「トーク:1953年度 (昭和28年度)」の版間の差分
Adminkoyama100 (トーク | 投稿記録) |
|||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
17行目: | 17行目: | ||
[[ファイル:S28 小山台高校 校舎の全景(昭和28年ごろ)(60周年記念誌P9).jpg|サムネイル]] | |||
[[ファイル:S28 正門より校舎を望む.jpg|サムネイル]] | |||
'''創立30周年に講堂・体育館落成'''<br> | '''創立30周年に講堂・体育館落成'''<br> | ||
38行目: | 42行目: | ||
それを弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br> | それを弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br> | ||
(「創立60周年記念誌」P150) | (「創立60周年記念誌」P150) | ||
[[ファイル:S28 女子の服装 右旧、左改正後(50周年記念誌P63).jpg|サムネイル]] | |||
'''女子制服は数度の改正<br>''' | |||
新制高校、男女共学実施に伴い、昭和24年4月には初めて全日制に女生徒が4名入学、つづいて25年には全日制に女子100名、定時制にも若干名入学して来て、いよいよ女子制服決定が迫られてきた。 | |||
PTAでは女生徒制服制定小委員会を開き、学校側委員と協議を重ねた結果、昭和25年12月14日に大体の成案を得て高野洋服店に試作を依頼し、翌26年2月女生徒に見本を示し、4月から標準服として着用した。 | |||
当時の小山台新聞には、「従来の女学生服がセーラー服に固定しがちであったのを打破し、背広型の上衣とスカートに分ける基本デザインにさらにチョッキの着用も考案されており、たしかに制服という概念にしばられない新味を出すことに成功しているが、なお全体的に女生徒全部を魅了する理想型というには足らない」(昭26.3.1 第9号)とある。 | |||
この制服は紺サージの衿なしであったが、女生徒の中からやぼったいとの声が出て、昭和27・28年ごろに現在の背広衿に改正された。はじめは標準服であって、セーラー服その他の着用者もあったが、制服として皆揃って着用されるようになったのは昭和30年ごろからである。 | |||
またブラウスも当初のステンカラーが昭和40年ごろにワイシャツ型に改正され、また、昭和48年にはベストの着用が認められた。 | |||
(50周年記念誌P63) | |||
2023年9月2日 (土) 16:52時点における最新版
できごと
学校行事
4月10日 創立30周年記念事業として講堂完成
5月13日 第8回オケラ杯争奪校内弁論大会
6月12日 図書館整備完了(中学校5回卒業生米田誠一氏、閲覧机・椅子を寄贈)
10月24日 創立30周年記念式典挙行
3月1日 合同選抜学力検在(~2日)
3月6日 高等学校第6回卒業式 優等・皆勤賞廃止さる
3月31日 校長岩本実次郎 依願退職
世相
5月 内灘軍事基地反対闘争激化
7月27日 朝鮮九千協定調印
流行語 洗脳・八頭身・サイザンス
流行歌 芸者ワルツ・五木の子守唄
(「創立60周年記念誌」P150)
創立30周年に講堂・体育館落成
創立30周年記念式典および事業の推進にあっては昭和26年5月2日の総会PTA総会で創立30周年記念準備委員会設置を可決し、その後PTA実行委員会で行事委員会を組織し、28年秋の式典をめざした。
記念事業は式典までに完成を目標に講堂整備235万円(雨漏修理・天井・側壁張り・照明設備・椅子1300名分・ステージ改造・暗幕)体育館復旧600万円(1階建150坪・内部設備・付属室)に着手した。
かくて講堂は戦災後の昭和21年11月の応急の外壁と屋根のみのバラックから面目を一新し、体育館は1260万円かかって昭和30年12月に落成した。
なお、式典は昭和28年10月24日に新装成った講堂で挙行され、永年勤続先生へ感謝状贈呈、生徒へは記念品(男子バックル、女子ブローチ)を配布した。
続いて、25・26両日学芸会、展示会を催して創立30年を祝賀した。
(「50周年記念誌」P49)
第8回オケラ杯弁論大会(高6回 秋山範子)
今から30年程前、新制の男女共学が発足して3年目に小山台に入学した。
前年には約100名の女子が入学していたが男子生徒にはものめずらしかったと思う。
そこでオケラ杯弁論大会に私の選んだ題も「男女共学について」であった。
オケラというのは漢文担当で弁論班の顧問だった舞田先生のことである。
原稿は自分で考えたが父に随分手伝ってもらったように思う。
大会の前日まで屋上の八角塔の裏で練習した。
大体が早口の私はともすると一本調子で早口になりがちなのを、ゆっくり判りやすく話すのに時間がかかった。
当日は十何人かの男子に混ざって、女子はほんの2、3人でものめずらしさも手伝ってか、確か3位迄に入賞したと思う。
それを弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。
(「創立60周年記念誌」P150)
女子制服は数度の改正
新制高校、男女共学実施に伴い、昭和24年4月には初めて全日制に女生徒が4名入学、つづいて25年には全日制に女子100名、定時制にも若干名入学して来て、いよいよ女子制服決定が迫られてきた。
PTAでは女生徒制服制定小委員会を開き、学校側委員と協議を重ねた結果、昭和25年12月14日に大体の成案を得て高野洋服店に試作を依頼し、翌26年2月女生徒に見本を示し、4月から標準服として着用した。
当時の小山台新聞には、「従来の女学生服がセーラー服に固定しがちであったのを打破し、背広型の上衣とスカートに分ける基本デザインにさらにチョッキの着用も考案されており、たしかに制服という概念にしばられない新味を出すことに成功しているが、なお全体的に女生徒全部を魅了する理想型というには足らない」(昭26.3.1 第9号)とある。
この制服は紺サージの衿なしであったが、女生徒の中からやぼったいとの声が出て、昭和27・28年ごろに現在の背広衿に改正された。はじめは標準服であって、セーラー服その他の着用者もあったが、制服として皆揃って着用されるようになったのは昭和30年ごろからである。
またブラウスも当初のステンカラーが昭和40年ごろにワイシャツ型に改正され、また、昭和48年にはベストの着用が認められた。
(50周年記念誌P63)
アーカイブ記事一覧
- 100周年記念事業
- 100周年記念事業実行委員会
- 100周年記念誌
- 100周年記念誌 正誤表
- 1921年度 (大正10年度)
- 1922年度 (大正11年度)
- 1923年度 (大正12年度)
- 1924年度 (大正13年度)
- 1925年度 (大正14年度)
- 1926年度 (大正15年度)
- 1927年度 (昭和 2年度)
- 1928年度 (昭和 3年度)
- 1929年度 (昭和 4年度)
- 1930年度 (昭和 5年度)
- 1930年度 (昭和 5年度) 旧字体
- 1931年度 (昭和 6年度)
- 1932年度 (昭和 7年度)
- 1933年度 (昭和 8年度)
- 1934年度 (昭和 9年度)
- 1935年度 (昭和10年度)
- 1936年度 (昭和11年度)
- 1937年度 (昭和12年度)
- 1938年度 (昭和13年度)
- 1939年度 (昭和14年度)
- 1940年度 (昭和15年度)
- 1941年度 (昭和16年度)
- 1942年度 (昭和17年度)
- 1943年度 (昭和18年度)
- 1944年度 (昭和19年度)
- 1945年度 (昭和20年度)
- 1946年度 (昭和21年度)
- 1947年度 (昭和22年度)
- 1948年度 (昭和23年度)
- 1949年度 (昭和24年度)
- 1950年度 (昭和25年度)
- 1951年度 (昭和26年度)
- 1952年度 (昭和27年度)
- 1953年度 (昭和28年度)
- 1954年度 (昭和29年度)
- 1955年度 (昭和30年度)
- 1956年度 (昭和31年度)
- 1957年度 (昭和32年度)
- 1958年度 (昭和33年度)
- 1959年度 (昭和34年度)
- 1960年度 (昭和35年度)
- 1961年度 (昭和36年度)
- 1962年度 (昭和37年度)
- 1963年度 (昭和38年度)
- 1964年度 (昭和39年度)
- 1965年度 (昭和40年度)
- 1966年度 (昭和41年度)
- 1967年度 (昭和42年度)
- 1968年度 (昭和43年度)
- 1969年度 (昭和44年度)
- 1970年度 (昭和45年度)
- 1971年度 (昭和46年度)
- 1972年度 (昭和47年度)
- 1973年度 (昭和48年度)
- 1974年度 (昭和49年度)
- 1975年度 (昭和50年度)
- 1976年度 (昭和51年度)
- 1977年度 (昭和52年度)
- 1978年度 (昭和53年度)
- 1979年度 (昭和54年度)
- 1980年度 (昭和55年度)
- 1981年度 (昭和56年度)
- 1982年度 (昭和57年度)
- 1983年度 (昭和58年度)
- 1984年度 (昭和59年度)
- 1985年度 (昭和60年度)
- 1986年度 (昭和61年度)
- 1987年度 (昭和62年度)
- 1988年度 (昭和63年度)
- 1989年度 (平成元年度)
- 1990年度 (平成 2年度)
- 1991年度 (平成 3年度)
- 1992年度 (平成 4年度)
- 1993年度 (平成 5年度)
- 1994年度 (平成 6年度)
- 1995年度 (平成 7年度)
- 1996年度 (平成 8年度)
- 1997年度 (平成 9年度)
- 1998年度 (平成10年度)
- 1999年度 (平成11年度)
- 2000年度 (平成12年度)
- 2001年度 (平成13年度)
- 2002年度 (平成14年度)
- 2003年度 (平成15年度)
- 2004年度 (平成16年度)
- 2005年度 (平成17年度)
- 2006年度 (平成18年度)
- 2007年度 (平成19年度)
- 2008年度 (平成20年度)
- 2009年度 (平成21年度)
- 2010年度 (平成22年度)
- 2011年度 (平成23年度)
- 2012年度 (平成24年度)
- 2013年度 (平成25年度)
- 2014年度 (平成26年度)
- 2015年度 (平成27年度)
- 2016年度 (平成28年度)
- 2017年度 (平成29年度)
- 2018年度 (平成30年度)
- 2019年度 (平成31年度)
- 2020年度 (令和 2年度)
- 2021年度 (令和 3年度)
- 2022年度 (令和 4年度)
- 2023年度 (令和 5年度)
- 50周年記念誌
- 60周年記念誌
- 70周年記念誌
- 80周年記念誌
- 90周年記念誌
- ESS
- Excl2WikiTable使用説明書
- H28関連寒菊祭プログラム
- Hexdump取説
- KBS(放送)班
- Lcalc取説
- Marginを使った表示位置の微調整
- Pdf2jpeg使用説明書
- Python教室
- 【重要】ログアウトに注意!
- こちら
- なわとび
- アニメ
- クラス対抗駅伝
- コメント(編集時のみ表示)
- サッカー班
- ソフトテニス班
- ソフトボール大会
- ダミー
- ダンス班
- テキストや表を折りたたむ
- テキスト整形方法について
- テキスト編集ツール
- テンプレートの作成と利用
- テーブルトーク
- バスケットボール班
- バドミントン班
- バレーボール班
- ファイルアップロードと削除
- フォークソング
- フォークダンス
- ブラスバンド班
- プログラミング
- ページの名前を変更する方法
- ページ作成テスト
- ホームサークル
- メインページ
- ラグビー班
- ラジオ班
- リンク作成方法について
- ロードレース
- ワンダーフォーゲル班
- 上原 好一
- 下河原 五郎
- 不島 静夫
- 中10回
- 中11回
- 中12回
- 中13回
- 中14回
- 中15回
- 中16回
- 中17回
- 中18回
- 中19回
- 中1回
- 中20回
- 中21回
- 中2回
- 中3回
- 中4回
- 中5回
- 中6回
- 中7回
- 中8回
- 中9回
- 中島 嘉之吉
- 中嶋 康雄
- 中西 雄三
- 九万田 哲哉
- 井上 隆
- 今井 雅康
- 他にもあった百周年
- 令和6年7月17日
- 令和6年7月17日午後2時
- 令和6年7月17日
- 伊藤 久雄
- 伊藤 太一郎
- 佐々城 開
- 佐分利 一昭
- 修学旅行
- 偲櫻会会報
- 偲櫻会創立六十周年記念誌
- 偲櫻会活動の記録
- 全定合同機関誌「寒菊」
- 八中廿五周年史
- 八乙女盛典
- 八台美術会
- 八高教育協議会報
- 八高教育協議会報(昭和24年3月1日)
- 内田 貴
- 写真班
- 剣道班
- 創立100周年祝賀会スナップ写真
- 加藤 楸邨
- 動画・音声を再生する
- 勝田 泰久
- 勢山 秀子
- 化学班
- 千葉菊桜会
- 卒業生
- 卒業生、同窓生からの「寄稿」
- 卒業記念レコード
- 卓球班
- 合唱コンクール
- 合唱班
- 同期会の模造紙のコメント
- 周年祝賀会
- 器械体操班
- 四十周年記念誌
- 団長会
- 坂倉 海彦
- 埼玉菊桜会
- 塩澤 賢一
- 塩野入啓晃
- 増田 次郎
- 大伴 峻
- 大岩 誠
- 大島 好道
- 大島 長次
- 大川 洋二
- 大澤 佳雄
- 大田原 弘幸
- 天文班
- 太田 弘
- 奥野 一雄
- 女子バスケットボール班
- 女子バレーボール班
- 将棋班
- 小山台体操
- 小山台新聞
- 小山台通信
- 小島 章伸
- 小林 年子
- 山崎 茂
- 山田 洋次
- 山谷 敬之
- 岐部信之助
- 岡田 藤十郎
- 岡田藤十郎伝
- 岩崎源兵衛
- 岩本 實次郎
- 島田 元生
- 川合 元彦
- 川崎 正孝、水口 義朗
- 川崎正孝 水口義朗
- 工事中です。
- 平澤 和憲
- 広瀬 修
- 弁論班
- 弦楽班
- 心理研究班
- 恩師の思い出
- 手島 直幸
- 教職員在任一覧
- 数学研究会
- 数学科
- 文化祭(寒菊祭)
- 文化祭:1950年(昭和25年)
- 文芸班
- 斎藤 千代
- 斎藤 清
- 斎藤 義光
- 新しいページを作成する。まずはここから
- 新バージョン対応:編集操作の変更について
- 新聞班
- 日本史
- 日本語の難しさ
- 日馬 美樹
- 映画
- 春号
- 書取大会
- 書道班
- 木村 武雄
- 松野下 健
- 柔道班
- 栗原 源七
- 校友会誌・生徒会誌「菊香」
- 校外教室
- 校歌
- 校歌を2部で歌う会
- 校歌を二部で歌う会
- 植木 英次
- 楠原 隆
- 榎木 繁男
- 榎本 達郎
- 武田 良三
- 歴代校長
- 歴史研究班
- 毛利 順男
- 気象班
- 水泳大会
- 水泳班
- 永島 惇正
- 永見 至
- 海洋班
- 海老坂 武
- 深井 英一
- 深堀 修
- 渡木 温彦
- 湘南小山台会
- 滝 久雄
- 滝澤 利夫
- 演劇班
- 物理班
- 班活動顧問教諭一覧
- 班目 文雄
- 生物班
- 田中 和子
- 田島 達也
- 田川 和夫
- 男子バスケットボール班
- 男子バレーボール班
- 画像を表示する方法
- 畑 芳夫
- 畑 芳夫、萩原 正弘
- 畑 芳夫、萩原正弘
- 白石 史子
- 百人一首大会
- 皆川 一郎
- 矢ヶ崎隆二郎
- 矢作 洋
- 矢野 佐
- 硬式テニス班
- 社会研究班
- 福川 伸次
- 秋号
- 秋月 直胤
- 管理者用ヘルプ
- 粂 太郎
- 編集者用情報共有
- 美術班
編集協力者募集
情報の間違いを見つけたり、新しい情報をお持ちの方はぜひ紫友同窓会事務局へご連絡ください。
紫友同窓会では、このデジタルアーカイブの記事作成をお手伝いいただける方を募集しています。
寄付のお願い
五中・小石川デジタルアーカイブはみなさまからのご寄付で成り立っています。
紫友同窓会は、このデジタルアーカイブ以外にもさまざまな活動を行なっています。同窓会報などで随時お知らせいたしますのでぜひ目を通してください。そして活動の実現に向けて同窓生の方々からの寄付金を募っております。さまざまなルートからみなさまへ寄付金のお願いが届くと思います。その節は同送の趣意書をご覧いただきご協力くださいますよう切にお願い申し上げます。
学校風景
小山台新聞
- 1953(昭和28)年度発行
- 「小山台新聞1953(昭和28)年6月20日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1953(昭和28)年6月20日発行」へのリンク