皆川 一郎

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皆川 一郎 先生 (中14回卒業アルバム)

皆川 一郎(みながわ いちろう、19XX年XX月XX日 - 19XX年XX月XX日)は、日本の教育者。府立第八中学校 国語教諭

本校歴

1939(昭和14)年 3月31日 府立八中国語教諭として赴任
1942(昭和17)年 7月 都制施行により、東京都立第八中学校と改称
1945(昭和20)年 8月25日 都立八中を退任





関連項目

着任:1939年 3月31日
退任:1945年 8月25日



参考データ
皆川一郎先生:中17回卒業生記念誌「八中の絆」


記事

報国団雑誌 第20号 102 皆川先生出征02

11月24日恩師皆川先生には晴れの御召にあづかって勇躍征途に就かれました。吾々はこの偉大なる事実に直面して腹の底からこみ上げる大きな感動を以って先生を送ったのであります。そうして先生の示されたご教訓をしつかと胸にいだいて学徒の道を静かに歩むことを誓ったのであります。


弓彦 皆川一郎の想ひ出 波彦 齋藤寛編


「弓彦 皆川一郎の想ひ出」東京府立八中第17回生同期会

はじめに

恩師弓彦皆川一郎先生は寒雷派の俳人であった。句集の一冊すら残し得ない先生の人生であった(戦死)。
60年経って波彦齋藤寛君はしきりに国会図書館へかよい、拾い集めた弓彦作品が142句数えた。
平成18年8月17日、府立八中17回生同期会席上において、波彦ノートを活字化するという意見が一致した。
弓彦先生への何よりもの供養であり波彦の遺志がいかされるのも嬉しい。
8月吉日 咲彦 五十嵐信一

・「寒雷」創刊号より 昭和15年10月1日発行 十月号
 寒韻抄 一 加藤楸邨
  我の背の高さ炎天野よりつづき
  蜩やわが影崖に折れ曲り
 友人故武笠大尉追憶
  英霊に身は征く日なき野分かな
 茂木楚秋戦場にあり報至る
  この夜の祷り向日葵傾(かし)ぎ言をなさず
・「寒雷集」加藤楸邨選 皆川一郎 初出句
  瞶るものを失ひし空松葉は灼け  一郎
  英霊に秋立つ鋪道真に光る    一郎
 山形領立石寺
  秋風に法燈を継ぐ人は誰     一郎
 炎天に立った作者の若い焦燥は、何かを瞶め何かに集中せずには居られない位激しいのであるが雲一つなく白々と灼けた空には、
 ただ一つ青い松葉が灼けて見える。
 作者の焦燥感は「松葉は灼け」と言い切ったあとに、ざらざらとする強さで揺曳する。
 この句の表現は、一つ一つの言葉が、何かいらだたしい感じを帯びていることで、「見るものを失ひし空」といふやうなとかく
 観念的に考へられた結果とも見える叙述的表現をしていても、それを、かういふ感情が裏からしっかりと支へているのである。
 この作者はある時、ある境地で高揚した感情を以て詞を支へているのであるが、これは若さの力ある。やがて鍛へこまれて、
 人間としての体験の重さ心境の重さで支へるところにゆかねばならぬ。。
  以上 加藤楸邨 選評
・「寒雷」1月号 昭和16年1月1日発行 寒雷集 楸邨 選より
  寒夙の樹木電柱今一色      一郎
  街落葉犬の頭と尾の無心     一郎
  凩の犬が瞶てゐる日の遠さ    一郎
・「寒雷」2月号 昭和16年 寒雷集より 楸邨 選
  狂院に枯るるものなし蔦枯れて  一郎(*)
  霜枯の野に来る音はみな短かく  一郎
  朝霧に光るものみなものの角   一郎
 (*)狂院に纏っていた蔦も枯れきってしまった。
    今まで目にあった唯一の枯れうつらふものが、枯れてしまった今索漠として枯るるものを何も目にすることが出来ないといふのである。
    「狂院にかるるものなし」と「蔦枯れて」との微妙な連続は狂院の冬枯を詠って、たしかな把握である。   楸邨 評
・「寒雷」3月号 昭和16年 寒雷集より
 <東京偶感>
  冬没日松葉を染めて故郷なり   一郎
  寒凪の二輪の貨車ぞ押されゆく  一郎
  冬波は光り鉄柵をにぎりしめ   一郎
・「寒雷」4月号 昭和16年 寒雷集より
  末黒野(すぐろの)の音になり切り歩むなり  一郎
  雉たつや枯野に黒き脚を垂り   一郎
  月出でて枯野は狭くなりにけり  一郎
  鴨ないて欺かれざる一日かな   一郎
・「寒雷」5月号 昭和16年 寒雷集より
  春寒の寝に就く足を揃へけり   一郎
  春隣りバスは巨きくなりにけり  一郎
  父の忌や電柱ひびく東風の畦   一郎
  枯草の中より湧きて東風荒らし  一郎
・「寒雷」6月号 昭和16年 寒雷暖響より
  清水清山・澤木欣一・峰岸徳哉・皆川弓彦
  <一郎改め 弓彦 熱海三句>
  熱湯の沸りてゐるや春日中    弓彦
  春の雷深山のごとく書に對ふ   弓彦
  別れ霜松林より夜は明けぬ    弓彦
    寒雷集より  楸邨 選
  灰かいて大き文字書く餘寒かな  弓彦
  別れ霜遠近の山ひたと寄り    弓彦
・「寒雷」7月号 昭和16年 寒雷暖響より 楸邨 選
  春暁や鉛筆なげられて真青なり  弓彦
  春の蟻一つ一つが乾きたり    弓彦
  荒東風や屋台の鮨を吹きまくり  弓彦
  梅雨旱耳しんとして子規全集   弓彦
・「寒雷」8月号 昭和16年 寒雷暖響より自選
    屋根と松  皆川弓彦
  屋根と松同じ黝さや梅雨旱    弓彦
  地下店に枇杷熟れてゐて疾風かな 弓彦
  雨の旅狭の旅なる草苺      弓彦
  溶鉱炉花苔の雨小止みなく    弓彦
    楸邨評  屋根と松
   皆川氏はまだ充分その全貌を示してゐないのであるが、今までのところ、
   冴えた知性的なものがひらめいてゐる。本質的な見方もなかなか鋭い。
   然し、その把握がその探究しつつある古典的な表現の格と、ぴったりと
   しないと弱くなる。第1句は成功してゐる。第3句は弱い。概して前月の
   「春暁や鉛筆なげられて真青なり」には及ばぬ
・「寒雷」8月号 昭和16年 寒雷集鑑賞 原田秋魚 評
  荒東風や屋台の鮨を吹きまくり  弓彦
   「屋台の鮨」である故に、この句には新しい感覚が漲ってゐる。
   「屋台の鮨」であるが故に、須賀をかぶってざらざらしてゐる
   鮨に追って行く作者の意力が感ぜられる。従って「や」は月並的「や」
   ではない。この句、弓彦氏の指標的なる句となるのではないか。
・「寒雷」7月号 昭和16年 寒雷集より 楸邨 選
   伯父を悼む
  颱風の訪れかけし夕餉かな    弓彦
  颱風や柩をめぐり暁けきたる   弓彦
  骨抱いてかへる夏野の日照かな  弓彦
・「寒雷」10月号 昭和16年 寒雷集より 楸邨 選
  椎の木の一日灼けしすがたかな  弓彦
   楸邨居
  かなかなとともに昏れゐる草ばかり  弓彦
  たたかひや晩夏の光木の動き   弓彦
  穀象や畳の目よりあはれなり   弓彦
・「寒雷」11月号 昭和16年 寒雷集より 楸邨 選
  月のぼるとき椎の葉のこぞるなり 弓彦
  十六夜や暗がりにある馬の陣   弓彦
  黒黒と馬の背が征く十六夜    弓彦
・「寒雷」12月号 昭和16年 寒雷集より 楸邨 選
  靖国の朝寒雲の幾たむろ     弓彦
  糸瓜忌の拳をふるふ夜露かな   弓彦
  露寒のひしひし迫る障子かな   弓彦
  機銃音潮のごとく草枯るる    弓彦
・「寒雷」1月号 昭和17年 寒雷集より 楸邨 選
  颱風の太幹覚めぬ欅かな     弓彦
  石炭のきらりきらりと時雨けり  弓彦



関連事項

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脚注: ・

2023年12月16日:直近編集者:SGyasushi
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