毛利 順男

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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毛利 順男校長

毛利 順男(もうり よしお、1989年4月1日 - 1991年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(十二代)

本校歴

1990年 2月22日 財団法人小山台、法人名義の校地(校庭の一部及び体育館敷地4338.45㎡)の全てを東京都に売却する。
1990年 2月23日 平成2年度入学選抜学力検査を実施。1学級定員45名(8学級362名)となる。なお、男子65%:女子35%を、男子60%:女子40%とする。 
1990年 3月25日 体育館改築設計図完成する。
1990年 9月19日 本校体育館改築工事を、東京都議会が議決する。。 
1990年 9月20日 東京都が本校体育館改築工事請負を神崎組・工藤建設共同体と契約する。。
1990年11月 7日 体育館解体工事始まる。
1990年11月13日 本年度より修学旅行を11月実施に戻す。
1991年 1月 7日 体育館建築工事着工する。
1991年 1月28日 財団法人小山台事務所分室を品川区小山三丁目6番18号「ユニープル武蔵小山Ⅱ」1階に設置することとし、賃貸契約を締結する(279㎡:84.5坪)。
1991年 1月31日 体育館レリーフの原画として堀口健太郎(2年在学)の作品「希望」を採用する。
1991年 2月22日 平成3年度入学選抜学力検査を実施。1学級44名となる。なお、3年度より男女定員の比率を変更し、男子57.4%:女子42.6%とする。
1991年 2月25日 東京郵便貯金会館で文化教室として東京フィルハーモニー交響楽団演奏による音楽鑑賞会を実施する。



エピソード

青春の発揮を

夏の頃から続いた長い準備もすんで、今や寒菊祭の花がいっきょに開く秋である。運動会を押し進めると、その勢いをがって文化祭を色どる小山台の実りの季節といえる。世界の各地のいろいろな祭りと同じく、寒菊祭も日常性を越えた行事の意味がある。これは精神が高揚し生命が輝き出す青春の昇華であろう。この運動会と文化祭の一こまーこまに、生徒の諸君が主役となり演出家となり,さらにマネージャーであるような経験や役割を重ねてほしいものである。どうか運動会では、全力で疾走し正々堂々の演技をする フェアプレイの青春を、また文化祭の演技や展示では、創意と工夫の知恵を示すチャンスとなることを期待する。 わが小山台の実質は、集中する力と団結する態度にある。世間に時々見かける「無気力・無関心」の青年と違った姿勢である。参観し応援して父母、地域の皆様には、このひたむきな青年群をあたたかく見守っていただきたいと存じます。(学校長 毛利順男 第44回寒菊祭プログラムより)



関連項目

着任:1989年4月1日
退任:1991年3月31日
前 任 在 任 後 任
下河原 五郎

1989年度 (平成元年度)

1990年度 (平成 2年度)

伊藤 久雄



関連事項

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脚注: ・

2023年11月24日:直近編集者:Inorio
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