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新制高校、男女共学実施に伴い、昭和24年4月には初めて全日制に女生徒が4名入学、つづいて25年には全日制に女子100名、定時制にも若干名入学して来て、いよいよ女子制服決定が迫られてきた。 | |||
PTAでは女生徒制服制定小委員会を開き、学校側委員と協議を重ねた結果、昭和25年12月14日に大体の成案を得て高野洋服店に試作を依頼し、翌26年2月女生徒に見本を示し、4月から標準服として着用した。 | |||
当時の小山台新聞には、「従来の女学生服がセーラー服に固定しがちであったのを打破し、背広型の上衣とスカートに分ける基本デザインにさらにチョッキの着用も考案されており、たしかに制服という概念にしばられない新味を出すことに成功しているが、なお全体的に女生徒全部を魅了する理想型というには足らない」(昭26.3.1 第9号)とある。 | |||
この制服は紺サージの衿なしであったが、女生徒の中からやぼったいとの声が出て、昭和27・28年ごろに現在の背広衿に改正された。はじめは標準服であって、セーラー服その他の着用者もあったが、制服として皆揃って着用されるようになったのは昭和30年ごろからである。 | |||
またブラウスも当初のステンカラーが昭和40年ごろにワイシャツ型に改正され、また、昭和48年にはベストの着用が認められた。 | |||
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==小山台新聞== | ==小山台新聞== | ||
:1953(昭和28)年度発行 | :1953(昭和28)年度発行 | ||
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ファイル:1953_昭和28年6月20日_小山台新聞第15号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1953(昭和28)年6月20日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1953_昭和28年6月20日_小山台新聞第15号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1953(昭和28)年6月20日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/2s1km9d9bcplj0j/1953_%E6%98%AD%E5%92%8C28%E5%B9%B46%E6%9C%8820%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC15%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1953(昭和28)年6月20日発行」へのリンク] </div> | ||
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2023年9月2日 (土) 16:52時点における最新版
できごと
学校行事
4月10日 創立30周年記念事業として講堂完成
5月13日 第8回オケラ杯争奪校内弁論大会
6月12日 図書館整備完了(中学校5回卒業生米田誠一氏、閲覧机・椅子を寄贈)
10月24日 創立30周年記念式典挙行
3月1日 合同選抜学力検在(~2日)
3月6日 高等学校第6回卒業式 優等・皆勤賞廃止さる
3月31日 校長岩本実次郎 依願退職
世相
5月 内灘軍事基地反対闘争激化
7月27日 朝鮮九千協定調印
流行語 洗脳・八頭身・サイザンス
流行歌 芸者ワルツ・五木の子守唄
(「創立60周年記念誌」P150)
創立30周年に講堂・体育館落成
創立30周年記念式典および事業の推進にあっては昭和26年5月2日の総会PTA総会で創立30周年記念準備委員会設置を可決し、その後PTA実行委員会で行事委員会を組織し、28年秋の式典をめざした。
記念事業は式典までに完成を目標に講堂整備235万円(雨漏修理・天井・側壁張り・照明設備・椅子1300名分・ステージ改造・暗幕)体育館復旧600万円(1階建150坪・内部設備・付属室)に着手した。
かくて講堂は戦災後の昭和21年11月の応急の外壁と屋根のみのバラックから面目を一新し、体育館は1260万円かかって昭和30年12月に落成した。
なお、式典は昭和28年10月24日に新装成った講堂で挙行され、永年勤続先生へ感謝状贈呈、生徒へは記念品(男子バックル、女子ブローチ)を配布した。
続いて、25・26両日学芸会、展示会を催して創立30年を祝賀した。
(「50周年記念誌」P49)
第8回オケラ杯弁論大会(高6回 秋山範子)
今から30年程前、新制の男女共学が発足して3年目に小山台に入学した。
前年には約100名の女子が入学していたが男子生徒にはものめずらしかったと思う。
そこでオケラ杯弁論大会に私の選んだ題も「男女共学について」であった。
オケラというのは漢文担当で弁論班の顧問だった舞田先生のことである。
原稿は自分で考えたが父に随分手伝ってもらったように思う。
大会の前日まで屋上の八角塔の裏で練習した。
大体が早口の私はともすると一本調子で早口になりがちなのを、ゆっくり判りやすく話すのに時間がかかった。
当日は十何人かの男子に混ざって、女子はほんの2、3人でものめずらしさも手伝ってか、確か3位迄に入賞したと思う。
それを弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。
(「創立60周年記念誌」P150)
女子制服は数度の改正
新制高校、男女共学実施に伴い、昭和24年4月には初めて全日制に女生徒が4名入学、つづいて25年には全日制に女子100名、定時制にも若干名入学して来て、いよいよ女子制服決定が迫られてきた。
PTAでは女生徒制服制定小委員会を開き、学校側委員と協議を重ねた結果、昭和25年12月14日に大体の成案を得て高野洋服店に試作を依頼し、翌26年2月女生徒に見本を示し、4月から標準服として着用した。
当時の小山台新聞には、「従来の女学生服がセーラー服に固定しがちであったのを打破し、背広型の上衣とスカートに分ける基本デザインにさらにチョッキの着用も考案されており、たしかに制服という概念にしばられない新味を出すことに成功しているが、なお全体的に女生徒全部を魅了する理想型というには足らない」(昭26.3.1 第9号)とある。
この制服は紺サージの衿なしであったが、女生徒の中からやぼったいとの声が出て、昭和27・28年ごろに現在の背広衿に改正された。はじめは標準服であって、セーラー服その他の着用者もあったが、制服として皆揃って着用されるようになったのは昭和30年ごろからである。
またブラウスも当初のステンカラーが昭和40年ごろにワイシャツ型に改正され、また、昭和48年にはベストの着用が認められた。
(50周年記念誌P63)
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