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(編集中)<!-- 歴代校長の写真は図書室にあるアルバムからスキャンすること -->[[ファイル:Example.jpg|thumb|200px|伊藤 久雄校長]]'''伊藤 久雄'''(いとう ひさお、19XX年4月1日 - 19XX年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(十三代)
[[ファイル:一覧用画像_13_伊藤久雄.jpg|thumb|250px|伊藤 久雄校長]]'''伊藤 久雄'''(いとう ひさお、1991年4月1日 - 1993年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(十三代)
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== 本校歴 ==
== 本校歴 ==
:1938(昭和13)年5月28日 全校マラソンを実施(多摩川堤)する。
:1991年 6月 6日 財団法人小山台事務室分室を品川区小山三丁目6番18号「ユニープル武蔵小山Ⅱ1階」(279㎡:84.5坪)に移設する。 
:1939年 4月   夜間中学は第1学年より2学級編成となる。 
:1992年 2月25日 1学級定員43名で入学選抜を実施(入学定員8学級344名)。男女定員の比率を男子57.4%、女子42.6%から男子55%、女子45%に変更する。
:     4月   補習科の設置を再開する。(1945年3月まで)
:1992年 4月15日 中華人民共和国教職員訪日団 陳志誠氏ほか15名来校。 
:1967年  2月23日 指定時(修学旅行、団体行事など)の着用とする。 
:1992年 5月 6日 体育館改築工事、校庭B面・C面改修工事及び東側塀移設工事完了。
:1967年  2月23日 昭和43年度入学希望者から学校群制度を実施するための第1回学力検査が行われる。本校は東京都立田園調布高校と第14群を編成する。
:1992年11月21日 創立70周年記念式典・体育館落成記念行事を挙行。
:1967年 3月     「財団法人小山台」名義の体育館、プールを都に寄付(体育館・プール敷地を無償で50年間都に貸与)する。
:1993年 2月24日 1学級定員42名で入学選抜を実施(入学定員8学級336名)。男女定員の比率を男子55%、女        
 
::::::子45%から男子54.5%、女子45.5%に変更する。
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==エピソード==
道元と出会う


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私が道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」と出会ったのは学生時代であった。難解ではあるが、格調の高い文章で詩のように美しいリズムの文体に魅きつけられた。<br>
「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。萬法ともにわれに在らざる時節、まどいなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。仏道、もとより豊倹より跳出せるゆえに、消滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。」<br>
これは正法眼蔵冒頭の「現成公案(げんじょうこうあん)」の書き出しのところである。韻文調のリフレインがよくきいていてすこぶる響きがよい。しかも論理的ですきのない文章は仏教的というより哲学的である。全体の意味は「この世の実相を仏教観より見ると迷い・悟り、生・死、諸仏・衆生などの姿がある。また、萬法無我の立場から見ると迷いも悟りも生死もない。仏教的世界観では二元的価値観を超越しているので消滅や迷悟があり、仏も凡夫もいる。花はいくら愛しても惜しんでも散っていく。草はいくら棄てても嫌っても生えてくる」というようなことである。<br>
私は、大学の頃、自然科学をやりたいと思った。実験をし、フィールドを歩き科学の本を読んだ。<br>
真理の探究ということがいかに素晴らしいことかということにとりつかれ、友人と議論をした。そんな時代に、一っのショッキングな出会いがあった。それが「現成公案」の次の文章である。<br>
「自己をはこびて萬法を修証するを迷いとす、萬法すすみて自己を修訂するは悟りなり」<br>
私は当時、自然科学の方法、内容、そして対象の素晴らしさに陶酔していたときであったからこの文章は大変な衝撃である。今まで描いていた科学に対するイメージや価値観を大きく揺さぶられたわけである。自然を自己と対立させて、普遍的な真理を求めようと働きかけること自身「迷」であると喝破されたのである。「悟りとは宇宙のほうからやってきて自然に明らかになることである」まったく逆転の発想である。
それにさらに追い討ちをかけるように次ぎの文章が続く。<br>
「迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷するは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり」<br>
私は長い間、大変に悩んだ。私の座標がなくなってしまったようにも感じた。しかし、現成公案のこの深い意味は、私なりにすこしづつ分かりかけてきた。<br>
学んだことの第一は「謙虚さ」であり、第二は「自然科学の方法」とはなにか、という新たな関心をもつことができた点である。<br>
道元は宇宙の真理を萬法という言葉で語っている。「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」まことに雄大であり爽快である。ヨーロッパ流の宇宙観との違いが明白である。対象としての宇宙という観点でなく、萬法に証せられる人間存在の立場をいったものである。若いときにどの様な「邂逅」を持つことができたかは有形無形のうちにその人の生き様に関わってくるように思う。書物との出会い、人との出会い、自然との出会い、出会いの不思議ともいうべきかもしれない。波長が合わない巡り逢いは出会いとはいえず、単にすれちがったにすぎない。自分のアンテナにびしっと飛び込み、自分の心に確かな手応そのある出会いは自分自身の受信機にも絶えず準備態熱ができていないと本物の出会いが成立しないのかもしれない。<br>
(菊香第24号より 校長先生の言葉 伊藤久男)<br><br>


==関連項目==
==関連項目==
*[[歴代校長| 「歴代校長一覧へ」]]
*[[歴代校長| 「歴代校長一覧へ」]]


:着任:19XX年4月1日
:着任:1991年4月1日
:退任:19XX年3月31日
:退任:1993年3月31日
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!前 任
!前 任
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|[[毛利 順男]]
|[[毛利 順男]]
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[[1923年度 (大正12年度)]]
[[1935年度 (昭和10年度)|1991年度 (平成3年度)]]
 
[[1924年度 (大正13年度)]]
 
[[1925年度 (大正14年度)]]
 
[[1926年度 (大正15年度)]]
 
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[[1932年度 (昭和 7年度)]]
 
[[1933年度 (昭和 8年度)]]
 
[[1934年度 (昭和 9年度)]]
 
[[1935年度 (昭和10年度)]]
 
[[1936年度 (昭和11年度)]]


[[1937年度 (昭和12年度)]]
[[1936年度 (昭和11年度)|1992年度 (平成4年度)]]
||[[滝澤 利夫]]
||[[滝澤 利夫]]
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伊藤 久雄校長

伊藤 久雄(いとう ひさお、1991年4月1日 - 1993年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(十三代)


本校歴

1991年 6月 6日 財団法人小山台事務室分室を品川区小山三丁目6番18号「ユニープル武蔵小山Ⅱ1階」(279㎡:84.5坪)に移設する。 
1992年 2月25日 1学級定員43名で入学選抜を実施(入学定員8学級344名)。男女定員の比率を男子57.4%、女子42.6%から男子55%、女子45%に変更する。
1992年 4月15日 中華人民共和国教職員訪日団 陳志誠氏ほか15名来校。 
1992年 5月 6日 体育館改築工事、校庭B面・C面改修工事及び東側塀移設工事完了。
1992年11月21日 創立70周年記念式典・体育館落成記念行事を挙行。
1993年 2月24日 1学級定員42名で入学選抜を実施(入学定員8学級336名)。男女定員の比率を男子55%、女        
子45%から男子54.5%、女子45.5%に変更する。



エピソード

道元と出会う

私が道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」と出会ったのは学生時代であった。難解ではあるが、格調の高い文章で詩のように美しいリズムの文体に魅きつけられた。
「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。萬法ともにわれに在らざる時節、まどいなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。仏道、もとより豊倹より跳出せるゆえに、消滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。」
これは正法眼蔵冒頭の「現成公案(げんじょうこうあん)」の書き出しのところである。韻文調のリフレインがよくきいていてすこぶる響きがよい。しかも論理的ですきのない文章は仏教的というより哲学的である。全体の意味は「この世の実相を仏教観より見ると迷い・悟り、生・死、諸仏・衆生などの姿がある。また、萬法無我の立場から見ると迷いも悟りも生死もない。仏教的世界観では二元的価値観を超越しているので消滅や迷悟があり、仏も凡夫もいる。花はいくら愛しても惜しんでも散っていく。草はいくら棄てても嫌っても生えてくる」というようなことである。
私は、大学の頃、自然科学をやりたいと思った。実験をし、フィールドを歩き科学の本を読んだ。
真理の探究ということがいかに素晴らしいことかということにとりつかれ、友人と議論をした。そんな時代に、一っのショッキングな出会いがあった。それが「現成公案」の次の文章である。
「自己をはこびて萬法を修証するを迷いとす、萬法すすみて自己を修訂するは悟りなり」
私は当時、自然科学の方法、内容、そして対象の素晴らしさに陶酔していたときであったからこの文章は大変な衝撃である。今まで描いていた科学に対するイメージや価値観を大きく揺さぶられたわけである。自然を自己と対立させて、普遍的な真理を求めようと働きかけること自身「迷」であると喝破されたのである。「悟りとは宇宙のほうからやってきて自然に明らかになることである」まったく逆転の発想である。 それにさらに追い討ちをかけるように次ぎの文章が続く。
「迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷するは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり」
私は長い間、大変に悩んだ。私の座標がなくなってしまったようにも感じた。しかし、現成公案のこの深い意味は、私なりにすこしづつ分かりかけてきた。
学んだことの第一は「謙虚さ」であり、第二は「自然科学の方法」とはなにか、という新たな関心をもつことができた点である。
道元は宇宙の真理を萬法という言葉で語っている。「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」まことに雄大であり爽快である。ヨーロッパ流の宇宙観との違いが明白である。対象としての宇宙という観点でなく、萬法に証せられる人間存在の立場をいったものである。若いときにどの様な「邂逅」を持つことができたかは有形無形のうちにその人の生き様に関わってくるように思う。書物との出会い、人との出会い、自然との出会い、出会いの不思議ともいうべきかもしれない。波長が合わない巡り逢いは出会いとはいえず、単にすれちがったにすぎない。自分のアンテナにびしっと飛び込み、自分の心に確かな手応そのある出会いは自分自身の受信機にも絶えず準備態熱ができていないと本物の出会いが成立しないのかもしれない。
(菊香第24号より 校長先生の言葉 伊藤久男)

関連項目

着任:1991年4月1日
退任:1993年3月31日
前 任 在 任 後 任
毛利 順男

1991年度 (平成3年度)

1992年度 (平成4年度)

滝澤 利夫



関連事項

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脚注: ・

2023年12月13日:直近編集者:Mchika
TimeStamp:20231213140746