1930年度 (昭和 5年度)
(編集完了)
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できごと (「東京府立第八中学校一覧」 P2「学年暦」より)
第一学期
- 4月1日 新学年準備
- 4月2日 始業式(午前7:50開始)
- 4月3日 入学式 中8回生(男子271名、A~F組の6クラス)(神武天皇祭)
- 4月中旬 校友会役員選挙、身体検査、教授要項作成、第一学年生身元票記入
- 4月下旬 清潔法[1]施行
- 4月29日 天長節拝賀式
- 5月5日 開校記念日(昔は5月4日[2]ではなかった!)
- 5月上旬 服装検査 → 生徒の服装規定
- 5月下旬 修学旅行、遠足
- 5月21~31日 更衣(夏冬衣随意着用期間)
- 6月上旬 第一学年保証人会
- 6月中旬 武道大会
- 7月1日 授業時間短縮(午前7:20開始)
- 7月1日 水泳練習始
- 7月上旬 操行会議[3]
- 7月中旬 成績表記入
- 7月20日 終業式
第二学期
- 9月1日 始業式(午前7:20開始)
- 9月中旬 授業時間変更(午前7:50始)
- 9月秋分 秋季皇霊祭[4]
- 10月1~10日 更衣(夏冬衣随意着用期間)
- 10月上旬 服装検査
- 10月17日 神嘗祭[5]
- 10月下旬 修業旅行、遠足
- 11月2日 運動会
- 11月3日 明治節拝賀式
- 11月上旬 授業時間変更(午前8:20始)
- 11月下旬 保証人会
- 11月23日 新嘗祭[6]
- 12月上旬 操行会議[3]
- 12月上旬 身体検査
- 12月中旬 成績表記入
- 12月24日 終業式
- 12月25日 冬季休業始(大正天皇祭)
第三学期
- 1月1日 新年拝賀式
- 1月8日 第三学期始業(午前8:20始)
- 1月中旬 生徒募集
- 1月中旬 教科書変更の要否調査
- 2月上旬 来年度学科受持打合せ
- 2月11日 紀元節拝賀式
- 3月上旬 第四、五学年授業終
- 3月上旬 第四、五学年成績会議
- 3月上旬 操行会議[3]
- 3月8日 卒業式 中4回生(男子213名、A~E組の5クラス)
- 3月中旬 入学考査施行
- 3月下旬 第一、二、三学年成績会議
- 3月春分 春期皇霊祭[4]
- 3月24日 終業式
教職員 (「東京府立第八中学校一覧」 P79「現職員」より) (1930年11月現在)
職名 | 担任学科 | 氏 名 | 就 任 | 本籍地[7] | |
---|---|---|---|---|---|
学校長 | 岡田 藤十郎 | 1923/01/15 | 愛知県 | ||
配属将校[8] | 内田 辰雄 | 1927/03/16 | 熊本県 | ||
教諭 | 修身 | 修身 | 岩崎源兵衛 | 1923/03/15 | 東京府 |
修身、国漢 | 鈴木 鶴吉 | 1926/03/31 | 茨城県 | ||
修身、国漢、法経 | 岩本 實次郎 | 1923/04/12 | 愛知県 | ||
国漢 | 臼杵 東峻 | 1923/04/05 | 熊本県 | ||
手塚 昇 | 1924/03/31 | 栃木県 | |||
尾見 修一 | 1926/03/31 | 茨城県 | |||
宮下 幸平 | 1927/03/31 | 群馬県 | |||
田波 又男 | 1927/03/31 | 栃木県 | |||
岸本 美之留 | 1930/04/07 | 東京府 | |||
高野 正巳 | 1930/09/19 | 長野県 | |||
国漢(習字) | 斎藤 梅雄 | 1924/03/31 | 東京府 | ||
社会 | 地理 | 児玉 貞臣 | 1923/02/23 | 島根県 | |
歴史 | 山本 義夫 | 1924/03/31 | 長野県 | ||
甲藤 太郎 | 1926/03/31 | 高知県 | |||
歴史、地理 | 都築 秀徳 | 1925/03/31 | 高知県 | ||
数学 | 栗原 善範 | 1923/04/30 | 神奈川県 | ||
飯野 兼八 | 1924/03/31 | 東京府 | |||
高輪 休郎 | 1925/05/15 | 東京府 | |||
崎谷 巖 | 1926/03/31 | 栃木県 | |||
沼尻 源一郎 | 1927/03/31 | 茨城県 | |||
理科 | 博物[9] | 北見 宗吉 | 1923/04/05 | 東京府 | |
一瀬 義行 | 1925/03/31 | 東京府 | |||
物化 | 桑野 達平 | 1925/03/31 | 福岡県 | ||
峯岸 政之助 | 1930/03/31 | 埼玉県 | |||
英語 | 伊藤 義末 | 1923/03/30 | 千葉県 | ||
大伴 峻 | 1924/03/31 | 東京府 | |||
斎藤 幸之助 | 1926/03/31 | 埼玉県 | |||
川波 千尋 | 1926/03/31 | 福岡県 | |||
百田 治朗 | 1926/03/31 | 山梨 県 | |||
大竹 健夫 | 1927/03/31 | 東京府 | |||
体操 | 加藤 譲 | 1923/04/10 | 岐阜県 | ||
岐部 信之助 | 1924/02/11 | 静岡県 | |||
市野 保 | 1924/03/31 | 東京府 | |||
峰岸 徳哉 | 1927/03/31 | 群馬県 | |||
芸術 | 図画 | 麻生 秀二 | 1923/03/31 | 東京府 | |
唱歌 | 松井 力 | 1925/03/31 | 東京府 |
嘱託・学校医
教科 | 氏名 | 就任 | 本籍地 | ||
---|---|---|---|---|---|
嘱託 | 国漢 | 龜山 與市 | 1925/06/20 | 岐阜県 | |
斎藤 芳滋 | 1927/03/31 | 東京府 | |||
福村 清 | 1929/03/31 | 大分県 | |||
数学 | 奈良 善雄 | 1926/03/31 | 青森県 | ||
赤沼 實 | 1929/10/09 | 長野県 | |||
理科 | 博物 | 岸谷 貞治郎 | 1925/03/31 | 大阪府 | |
英語 | 佐藤 浩 | 1924/03/31 | 山形県 | ||
ヘンリー・マーフォート・ケーリー | 1926/04/01 | 米国 | |||
長見 久堅 | 1929/03/31 | 島根県 | |||
山口 孝 | 1929/04/09 | 千葉県 | |||
体操 | 森田 文十郎 | 1925/03/31 | 埼玉県 | ||
佐藤 留五郎 | 1927/03/31 | 福島県 | |||
芸術 | 図画 | 吉田 雄司 | 1927/05/09 | 千葉県 | |
学校医 | 岡田 省三 | 1926/09/18 | 東京府 |
書記
職 名 | 氏 名 | 就 任 | 本籍地 |
---|---|---|---|
書記 | 佐藤 正男 | 1924/02/20 | 東京府 |
永山 政信 | 1924/04/05 | 茨城県 | |
平野 義包 | 1927/03/15 | 愛知県 |
生徒在籍数 (1930年4月現在)
組 | A | B | C | D | E | F | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1年 | 45 | 45 | 45 | 45 | 46 | 45 | 271 |
2年 | 44 | 43 | 43 | 44 | 43 | 43 | 260 |
3年 | 38 | 36 | 39 | 39 | 39 | 39 | 230 |
4年 | 50 | 49 | 50 | 48 | 49 | 246 | |
5年 | 45 | 43 | 42 | 44 | 45 | 219 | |
計 | 1,226 |
- 4年、5年はE組までの5クラス
生徒の服装(「東京府立第八中学校一覧」 P62「生徒服装規定」より)
卒業アルバム
関連項目
*← 1929年度 (昭和 4年度) *→ 1931年度 (昭和 6年度)
脚注
- ↑ 清潔法は、伝染病予防のために施行された。環境の浄化による伝染病予防の意図のもと「掃除清潔法」の制定が促され、1980(明治23)年7月開催の中央衛生会での議論に基づき内務省は、全国主要都市に「清潔法」を施行するよう訓令を発した。「伝染病予防法」に基づき清潔方法・消毒方法などの規則が定められ、全国的に春・秋2回の「清掃法」がなされたとのこと。
- ↑ 開校記念日が5月4日だったのは、戦後しばらくの期間だったようだ。5月3日と5日の祝日に挟まれた日を開校(創立)記念日にして3連休とする極めて安易な決定をした記念日であった。そのうち5月4日は祝日(最初は「国民の休日」そして「みどりの日(元の4月29日から移動)」に変更)となったため、あまたの学校で創立記念日が再度変更されたと聞く。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 明治後期中学校における「操行査定」と「生徒管理」 → PDFファイルより
戦前期日本の道徳教育の特質として「教育勅語」の内容を中心とする「修身科」の特設と並び「操行査定」という特殊な教育評価の形態が存在したことはしばしば指摘され、また当時の生徒たちによって回顧されている。
たとえば次の記述は、明治期に東京府尋常中学校の生徒であった渋沢元治の回想である。
「操行点これは今日の生徒諸君には分からぬであろう。生徒の操行を、受持ちの先生方が採点することである。しかも本校では全部の学科の平均点とその操行点とを加えて二分した点をその生徒の評点とするのである。 併し人の操行を採点することの困難なことは分かり切ったことで先生方は公平にしても生徒からみれば不満は免れない。」
ここで述べられている「操行」とは、一般に「生徒の品性・行為または生徒の道徳的判断・情操・行為・習慣」などの「総称」を指し、その評価は「操行査定」と呼ばれ「訓育の評価として学業成績とならんで重視され…国民教化のための教育評価として中心的な位置を占めた」とされている(日本近代教育史事典より)。 - ↑ 4.0 4.1 旧制の大祭の一つ。1878(明治11)年にそれまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋にまとめ奉祀した。1908(明治41)年9月19日制定の「皇室祭祀令」では春季皇霊祭・秋季皇霊祭ともに大祭に指定。同法は1947(昭和22)年5月2日に廃止されたが、1948(昭和23)年以降も宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われている。祭祀に続いて孝霊殿の前庭にて神楽の東遊が奏される。現在はこの日を「春分の日」「秋分の日」という国民の祝日としている。
- ↑ 神嘗祭はその年に収穫された新穀(初穂)を天照大神に奉げる感謝祭にあたる。同じく宮中祭祀のひとつで、天皇が天神地祇に収穫を感謝して自ら新穀を食す新嘗祭の約1か月前に行われる。元来は9月11日(旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日(旧暦)に奉納した。1873(明治6)年の太陽暦採用以降は新暦の9月17日に実施となったが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、1879(明治12)年以降は月遅れとして10月17日に実施されている。
- ↑ 新嘗祭は、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式である。毎年11月23日に宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。現在は「勤労感謝の日」という国民の祝日になっている。
- ↑ なぜか「本籍地」が記載されています。
- ↑ 旧日本陸軍で、学校教練のため陸軍現役将校配属令などにより官公私立の中学校、高等学校、大学予などに配属された将校。
- ↑ 明治、大正、昭和初期までの小学校、中学校の動植物・鉱物を内容とする教科の名称。
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2022年3月19日:直近編集者:Adminkoyama100
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