「1966年度 (昭和41年度)」の版間の差分
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|style="width: | |style="width: 15%;vertical-align:top" |4月8日 | ||
4月8日 | 4月8日 | ||
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<br>木村武雄校長退職 | <br>木村武雄校長退職 | ||
| rowspan="3" style="width: | | rowspan="3" style="width: 60% ;vertical-align:top" |'''生徒総会で制帽廃止を決議 大矢和光'''<br> 小山台高校を卒業して一六年の歳月か過ぎ去りました。しかし、小山台で経験し、教えられたことが今もなお私の中で生き私を動かしています。小山台時代の友人達は普段音信不通ながら、ひとたび会えば昨日までともに暮したような付き会い方をします。これら良き仲間を与え、私を作り上げてくれた小山台、その一端が生徒会活動にも見られます。<br> | ||
私は当時学校祭常任委員長という形で生徒会に関与しておりました。九月、一○月に行われる文化祭・運動会を統括管理運営していく立場でしたが、また生徒会中央執行委員の一人でもあったわけです。<br> | 私は当時学校祭常任委員長という形で生徒会に関与しておりました。九月、一○月に行われる文化祭・運動会を統括管理運営していく立場でしたが、また生徒会中央執行委員の一人でもあったわけです。<br> | ||
当時生徒会での最大の懸案は、制帽廃止と学校祭呼称変更問題でした。いずれの問題も以前より継続審議され、生徒間でも賛否両論、先生方も困っておられたのではないかと思います。結果は、制帽は廃止となり、学校祭名は愛称として「寒菊祭」を用いることとなったわけですが、それを審議した生徒総会は今もって思い出に残っております。と言いますのが、小山台卒業以後今日に至るまで、あれほどきちんとした議事の進行を経験したことがないからです。現在の生徒総会がどのように行われているかは知りませんが、当時私達は、議事法の勉強から入りました。そして、いかにスムーズに議事をすすめ、少数意見も十分に聞くことが出来るかを基本的な考え方にしていたわけです。議論は百出しました。しかし、後に出現した学生運動家のようなアジ演説はなく、自説を述べ、それをいかに他人に納得してもらうかの発言であったように思います。制帽廃止自体は、生徒の規制への反発と解釈出来ます。しかしそれを行動に先走らず手統きを踏んだステップにより達成したという点、その数年後には学生連動と称して暴力が検行した世の中の風潮と比べると、これが我々の世代なのか、それとも小山台の気風なのか考えてしまいます。<br> | 当時生徒会での最大の懸案は、制帽廃止と学校祭呼称変更問題でした。いずれの問題も以前より継続審議され、生徒間でも賛否両論、先生方も困っておられたのではないかと思います。結果は、制帽は廃止となり、学校祭名は愛称として「寒菊祭」を用いることとなったわけですが、それを審議した生徒総会は今もって思い出に残っております。と言いますのが、小山台卒業以後今日に至るまで、あれほどきちんとした議事の進行を経験したことがないからです。現在の生徒総会がどのように行われているかは知りませんが、当時私達は、議事法の勉強から入りました。そして、いかにスムーズに議事をすすめ、少数意見も十分に聞くことが出来るかを基本的な考え方にしていたわけです。議論は百出しました。しかし、後に出現した学生運動家のようなアジ演説はなく、自説を述べ、それをいかに他人に納得してもらうかの発言であったように思います。制帽廃止自体は、生徒の規制への反発と解釈出来ます。しかしそれを行動に先走らず手統きを踏んだステップにより達成したという点、その数年後には学生連動と称して暴力が検行した世の中の風潮と比べると、これが我々の世代なのか、それとも小山台の気風なのか考えてしまいます。<br> |
2023年8月5日 (土) 14:52時点における版
(編集中) (編集完了)
1966(昭和41)年度
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できごと | 詳細・引用・寄稿 | |
4月8日
4月8日
4月9日 4月19日~21日 4月23日 5月4日 5月13日 5月26日~28日 6月3日 6月13日~15日 6月18日 6月25日 6月30日 7月2日 7月11日~14日 7月20日 7月22日 7月28日~31日 8月1日~8日 9月1日 9月2日~5日 9月7日~9日 9月24日~25日 10月9日 10月12日~14日 10月18日~20日 10月21日 10月28日 11月2日 11月5日 11月9日 11月9日~13日 11月12日 11月16日~18日 11月25日 11月30日 12月3日 12月14日~17日 12月24日 1月3日~7日 1月9日 1月10日~12日 1月28日 2月11日~12日 2月22日~23日 3月
3月
3月18日 3月22日 3月23日 3月23日~26日 3月31日 |
(午前)始業式
(午後)入学式 高21回生(男子318、女子100、計418名) 対面式 身体検査、結核検診 PTA総会 創立記念日 遠足(1・2・3年) 中間テスト 生徒総会 ア・テスト(2・3年)父兄会(1年) 父兄会(2年) 腸バラ予防接種 父兄会(3年) 期末テスト 終業式 転入考査 臨海学校・林間学校 臨海学校・林間学校 始業式 ア・テスト(1・2・3年) 水泳大会 第21回寒菊祭(学芸会・展示会) 運動会 結核検診 中間テスト インフルエンザ予防接種 インフルエンザ予防接種 生徒会役員認証式 父兄会(2年) 遠足(1・3年) 修学旅行(2年) 父兄会(1年) ア・テスト(3年) 生徒総会 防火演習 父兄会(3年) 期末テスト 終業式 スキー教室 始業式 ア・テスト(3年) ロードレース スケート教室 選抜テスト 学校群制度により、田園調布高校と本校で「第14群」を結成。学校群制度第一回目の入学者選抜実施。 財団法人小山台名義の体育館・プールを都に寄付。体育館敷地・プール敷地を都に無償貸与。 学年末テスト 卒業式 高19回生(男子328、女子96、計424名) 終業式 転入考査 スキー教室
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生徒総会で制帽廃止を決議 大矢和光 小山台高校を卒業して一六年の歳月か過ぎ去りました。しかし、小山台で経験し、教えられたことが今もなお私の中で生き私を動かしています。小山台時代の友人達は普段音信不通ながら、ひとたび会えば昨日までともに暮したような付き会い方をします。これら良き仲間を与え、私を作り上げてくれた小山台、その一端が生徒会活動にも見られます。 私は当時学校祭常任委員長という形で生徒会に関与しておりました。九月、一○月に行われる文化祭・運動会を統括管理運営していく立場でしたが、また生徒会中央執行委員の一人でもあったわけです。 (20回・昭43年卒 聖マリアンナ医科大学第二外科助手) |
世 相 | ||
5月XX日 7月XX日 |
〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇 |
できごと
※学校要覧からは転記済20230719 軽微な追加修正のみ
- 4月8日 (午前)始業式
- 4月8日 (午後)入学式 高21回生(男子318、女子100、計418名)
- 4月9日 対面式
- 4月19日~21日 身体検査、結核検診
- 4月23日 PTA総会
- 5月4日 創立記念日
- 5月13日 遠足(1・2・3年)
- 5月26日~28日 中間テスト
- 6月3日 生徒総会
- 6月13日~15日 ア・テスト(2・3年)
- 6月18日 父兄会(1年)
- 6月25日 父兄会(2年)
- 6月30日 腸バラ予防接種
- 7月2日 父兄会(3年)
- 7月11日~14日 期末テスト
- 7月20日 終業式
- 7月22日 転入考査
- 7月28日~31日 臨海学校・林間学校
- 8月1日~8日 臨海学校・林間学校
- 9月1日 始業式
- 9月2日~5日 ア・テスト(1・2・3年)
- 9月7日~9日 水泳大会
- 9月24日~25日 第21回寒菊祭(学芸会・展示会)
- 10月9日 運動会
- 10月12日~14日 結核検診
- 10月18日~20日 中間テスト
- 10月21日 インフルエンザ予防接種
- 10月28日 インフルエンザ予防接種
- 11月2日 生徒会役員認証式
- 11月5日 父兄会(2年)
- 11月9日 遠足(1・3年)
- 11月9日~13日 修学旅行(2年)
- 11月12日 父兄会(1年)
- 11月16日~18日 ア・テスト(3年)
- 11月25日 生徒総会
- 11月30日 防火演習
- 12月3日 父兄会(3年)
- 12月14日~17日 期末テスト
- 12月24日 終業式
- 1月3日~7日 スキー教室
- 1月9日 始業式
- 1月10日~12日 ア・テスト(3年)
- 1月28日 ロードレース
- 2月11日~12日 スケート教室
- 2月22日~23日 選抜テスト
- 3月 学校群制度により、田園調布高校と本校で「第14群」を結成。学校群制度第一回目の入学者選抜実施。
- 3月 財団法人小山台名義の体育館・プールを都に寄付。体育館敷地・プール敷地を都に無償貸与。
- 3月10日~14日 学年末テスト
- 3月18日 卒業式 高19回生(男子328、女子96、計424名)
- 3月22日 終業式
- 3月23日 転入考査
- 3月23日~26日 スキー教室
- 3月31日 木村武雄校長退職
教職員
※学校要覧からは転記済20230721(班活・就任以外)軽微な追加修正のみ
職名 | 教科目 | 氏 名 | 担任 | 校務分掌 | 班活顧問 | 就 任 | PTA・菊桜会 | 財団小山台 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
校長 | (英語) | 木村 武雄 | 1964/04/01 | 理事長 | |||||
教頭 | 数学 | 飛岡 正治 | 1964/04/16 | 常任理事 | |||||
教諭 | 国語 | 舞田 正達 | 3F | 弁論同好会 | 1939/06/30 | ||||
落合 光禎 | 3年係 | 1945/09/30 | |||||||
長瀬 治 | 庶務部長 | 1957/04/01 | |||||||
安藤 千鶴子 | 3C | 華道 | 1960/04/01 | ||||||
湯沢 賢之助 | 2F | バスケット | 1962/04/01 | ||||||
河野 通敬 | 1E | 新聞 | 1963/05/01 | ||||||
土屋 泰男 | 2D | ラグビー | 1965/04/01 | ||||||
野沢 穣 | ワンダーフォーゲル | 1965/04/01 | |||||||
社会 | 地理 | 宮田 時雄 | 教務部長 | 1947/06/15 | |||||
斉藤 績 | 3G | バドミントン | 1962/04/01 | ||||||
世界史 | 三橋 力 | 補習科主任 | 1949/05/15 | ||||||
日本史 | 荒久保 忠夫 | 2A | 学年主任 | 写真 | 1954/09/16 | ||||
沢井 景之助 | 2B | 歴史研究 | 1960/04/01 | ||||||
政経 | 塩野入 啓晃 | 3年係 | 演劇 | 1949/04/01 | |||||
倫社 | 野々山 正司 | 1A | 学年主任 | 心理研究 | 1949/03/31 | ||||
数学 | 奥野 一雄 | 2G | 天文 | 1946/03/31 | |||||
不島 静夫 | 3H | 鉄道研究 | 1947/09/30 | ||||||
井沢 弘児 | 2C | 野球 | 1950/03/31 | ||||||
竹内 庸雄 | 進路部長 | 剣道 | 1950/03/31 | ||||||
川又 之裕 | 1957/04/01 | ||||||||
斎藤 昉 | 3A | 学年主任 | 美術 | 1960/04/01 | |||||
石井 孝雄 | 1F | 1960/04/01 | |||||||
若林 明弘 | 1C | 卓球 | 1963/04/01 | ||||||
理科 | 物理 | 永見 至 | 2E | ラジオ | 1944/09/20 | ||||
八乙女 盛典 | 1G | 物理 | 1949/04/30 | ||||||
化学 | 園山 忠夫 | 図書部長 | 化学 | 1946/09/15 | 理事 | ||||
生物 | 矢野 佐 | 1年係 | 1942/03/31 | ||||||
鈴木 亨 | 生徒部長 | 1951/04/05 | |||||||
水越 虔二 | 3D | 生物 | 1963/05/01 | ||||||
地学 | 多胡 忠治 | 2年係 | 水泳、社会研究 | 1965/04/01 | |||||
英語 | 深掘 修 | 2年係 | 硬式テニス | 1945/10/31 | |||||
大島 長次 | 2年係 | 軟式テニス | 1945/06/20 | ||||||
勢山 秀子 | 1H | ESS | 1949/05/31 | ||||||
原口 正則 | 自動車 | 1958/04/16 | |||||||
中山 重男 | 1D | 柔道 | 1959/04/01 | ||||||
清水 忠 | 3E | 海洋、フォークダンス | 1960/04/01 | ||||||
羽部 英二 | 3B | 文芸 | 1965/04/01 | ||||||
保健体育 | 榎木 繁男 | 保健部長 | 陸上競技 | 1949/03/31 | |||||
小林 年子 | 1B | 舞踊 | 1952/04/01 | ||||||
阿部 修二 | 2H | 器械体操 | 1958/04/01 | ||||||
永島 惇正 | 3年係 | 排球 | 1963/04/01 | ||||||
粂 太郎 | 1年係 | サッカー | 1964/09/01 | ||||||
家庭 | 持塚 多喜 | 2年係 | 1951/02/28 | ||||||
芸術 | 音楽 | 吉岡 巌 | 1年係 | 音楽 | 1958/03/31 | ||||
司書 | 矢口 洋子 | 弦楽 | 1955/04/01 | ||||||
養護 | 斎藤 千代 | 1964/03/01 |
講師・校医
※学校要覧からは転記済20230721 軽微な追加修正のみ
教科 | 氏名 | ||
---|---|---|---|
講 師 | 社会 | 千葉 茂雄 | |
姫田 光義 | |||
武田 秀輝 | |||
理科 | 大岩 誠 | ||
林 良重 | |||
小川 健吾 | |||
芸術 | 美術 | 武田 良三 | |
書道 | 黒沢 岩資 | ||
校医 | 内科 | 武田 久孝 | |
耳鼻科 | 仙頭 哲夫 | ||
眼科 | 早川 和夫 | ||
歯科 | 鎌田 栄一 | ||
薬剤師 | 三浦 薫 |
事務職員
※学校要覧からは転記済20230721(就任以外)
職 名 | 氏 名 | 就 任 |
---|---|---|
事務長 | 佐藤 二郎 | 1966/04/01 |
事務主事 | 井上 とみ | 1948/10/15 |
諸 孝 | 1961/05/01 | |
真保 孝 | 1962/07/01 | |
事務主事補 | 佐生 せい子 | 1949/08/31 |
内田 誠 | 1961/05/01 | |
見村 すみ子 | 1964/04/01 | |
山本 瑛子 | 1962/05/17 | |
司書 | 菅原 千枝子 | 1965/04/01 |
助手 | 小林 泰代 | 1964/04/01 |
金沢 昭二 | 1966/04/01 | |
熊谷 等 | 1966/04/01 | |
用務員 | 上田 信吉 | 1936/07/22 |
平野 福三郎 | 1947/05/01 | |
槌屋 貞二郎 | 1964/04/01 | |
警備員 | 浜村 辰次郎 | 1954/08/01 |
神原 孝史 |
生徒在籍数 (1966年4月現在)
※20230719に確認したところ、学校要覧からは転記済でした。
組 | A | B | C | D | E | F | G | H | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1年 | 男 | 39 | 38 | 40 | 40 | 39 | 41 | 40 | 41 | 318 |
女 | 12 | 13 | 13 | 13 | 13 | 12 | 12 | 12 | 100 | |
計 | 51 | 51 | 53 | 53 | 52 | 53 | 52 | 53 | 418 | |
2年 | 男 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 320 |
女 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 104 | |
計 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 424 | |
3年 | 男 | 40 | 41 | 41 | 41 | 41 | 41 | 41 | 42 | 328 |
女 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 96 | |
計 | 52 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 54 | 424 | |
総 計 | 男 | 966 | 女 | 300 | 計 | 1,266 |
寒菊祭(学芸、展示、招待試合、後夜祭)
- 9月24日(土)、9月25日(日) 開催
- この年から「学校祭」→「寒菊祭」という名称を使い始めた。
- 「1966年寒菊祭プログラム」は以下のリンクからご覧になれます。
- 1966年寒菊祭.pdfファイルへのリンク
- 文化祭(寒菊祭)パンフレット一覧は以下のページからご覧いただけます。
- 文化祭(寒菊祭)一覧表
運動会
- 10月9日(日) 開催
- 結果:黄色:783、青:689、赤:661、白:630
菊香 第1号
- 全定合同機関誌「寒菊」に加えて、「生徒会誌 菊香」の記念すべき第1号が発行されました。
- 「生徒会誌 菊香 第1号」全文 は以下のリンクからご覧になれます。
- 「生徒会誌 菊香 第1号」pdfファイルへのリンク
- 生徒会誌「菊香」の一覧はこちら → 生徒会誌「菊香」一覧表
寒菊 (全定合同機関誌 第9号)
- 1967(昭和42)年に発行された「第9号」は保管されていません。
卒業アルバム
- この年度の卒業生は、「高19回生」(男:328名、女:96名)となります。
- 卒業アルバムは「高19回生」のページに掲載されています。
小山台新聞
- 1966(昭和41)年度発行
- 「小山台新聞1966(昭和41)年4月8日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1966昭和41)年4月8日発行」へのリンク
- 「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」へのリンク
- 「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」へのリンク
- 「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」へのリンク
- 「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」へのリンク
- 「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」へのリンク
関連項目
* ← 1965年度 (昭和40年度) * → 1967年度 (昭和42年度)
脚注
・
2023年8月5日:直近編集者:NMKtakaji
TimeStamp:20230805145231