「運動会」の版間の差分

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<li>小山台高校正応援歌メロディー[[file:小山台正応援歌.mp3]]</li>
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<li>1975年(昭和50年)運動会正応援歌[[file:高28回運動会正応援歌.mp3]]</li>
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===小山台高校正応援歌の元歌を発見!===
中11回 加納孝氏が「創立60周年記念誌」に「晴れの甲子園初出場」と題する文章を寄稿されています。<br>
以下にその一部を抜粋します。<br>
忘れもしない昭和11年8月10日。我が八中蹴球部は第18回全国中等学校蹴球選手権大会東京千葉予選決勝に於いて、宿敵府立五中を1-0で破り晴れの甲子園出場の切符を手に入れたのである。(中略)会場の帝大御殿下グランドで一進一退の好ゲームを展開したが、前半弱冠横川君の放ったロングシュートを守って感激の優勝を勝ちとり、中等球児の夢であった甲子園へ駒を進めた次第である。(中略)之を機に'''全校の蹴球部応援の機運が昂まり、部歌、応援歌が出来上がり'''...(後略)<br>
全校を挙げて強い八中サッカー部を応援しようとの機運が高まったなかでできた、という応援歌の楽譜が、加納孝氏の文章の隣に掲載されています。「創立60周年記念誌」P117<br>
'''八中蹴球部応援歌 ラッキー・ボール'''<br>
作詞 福地、作曲 楡井<br>
歌詞は一~四番まであり、特に一番で正応援歌と共通の箇所が多いこと。メロディーは異なりますが、類似箇所もみられること。<br>
この類似性から、八中蹴球部応援歌「ラッキー・ボール」が、現在も歌い継がれている小山台高校正応援歌の元歌である、と考えて差し支えないものと思われます。<br><br>
尚、'''作詞者は中10回 福地秀穂氏、作曲者は同じく中10回 楡井小十郎氏'''と推測されます。<br>
菊桜会HPの「会員検索」機能で調べたところ、府立八中卒業生で福地姓、楡井姓はそれぞれお一人ずつしかおらず、同校蹴球部が甲子園出場を決めた昭和11年当時、中10回生は五年生(旧制中学の最高学年)ですから、作詞・作曲者は両氏、と考えて良いでしょう。五年生、年齢は17歳です。17歳でこの作詞と作曲。旧制中学生、昔の人はエリートですね。
===ラッキー・ボール歌詞 一番===
:ゆけ 純白のユニフォーム<br>
:目指すゴールは 空晴れて<br>
:我らの意気の ゆくところ<br>
:勝利は常に 微笑めり<br>
:いざや蹴れ ラッキー・ボール<br>
:フレーフレー八中<br>
===楽譜===
:「創立60周年記念誌」P117に掲載されています。'''高9回 畑芳夫さん'''に、画像のレタッチでご協力をいただきました。
:[[ファイル:60周年P117 八中蹴球部応援歌楽譜.jpeg|600px|小山台高校正応援歌 楽譜]]<br><br>
:'''高28回 北原毅さん'''に、楽譜をmp3ファイルに変換していただきました。
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<li>八中蹴球部応援歌[[file:八中蹴球部応援歌_a.mp3]]</li>
</ul>
</ul>
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===各組応援歌===
<gallery>
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file:高28回青組応援歌.jpg|300px|<div style="text-align:center">昭和50年 青組応援歌</div>
file:高28回青組応援歌.jpg|300px|<div style="text-align:center">昭和50年 青組応援歌</div>
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いざや行かん 津波の如く<br><br>
いざや行かん 津波の如く<br><br>
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| ○○ 行進曲
| 作詞:松野下 健


「○○は我ら」
作曲:土屋 公平
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|70周年記念誌より
|1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。
作詞は体育科:松野下 健 先生
 
作曲は音楽科:土屋 公平先生
|}
|}
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勝利の凱歌 今こそ歌え<br>
勝利の凱歌 今こそ歌え<br>
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|○○行進曲
|作詞:松野下 健
作曲:土屋 公平
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|70周年記念誌より
|1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。
作詞は体育科:松野下 健 先生
 
作曲は音楽科:土屋 公平先生
|}
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255行目: 293行目:
勝利は白に 白にあり<br>
勝利は白に 白にあり<br>
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|○○歌より
|作詞:松野下 健
作曲:土屋 公平
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|70周年記念誌より
|1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。
作詞は体育科:松野下 健 先生
 
作曲は音楽科:土屋 公平先生
|}
|}
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304行目: 346行目:
いざや 示さん 若き闘志を<br><br>
いざや 示さん 若き闘志を<br><br>
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|不明
|作詞:松野下 健
作曲:土屋 公平
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|70周年記念誌より
|1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。
作詞は体育科:松野下 健 先生
 
作曲は音楽科:土屋 公平先生
|}
|}



2024年1月28日 (日) 00:00時点における最新版

ああ、運動会

運動会は1923(大正12)年に第一回が本校校庭において開催された(創立40周年記念誌より)。
その後も軍国主義の高まりにつれて形を変えながら、継続して開催されてきた。


1950(昭和25)年より全学年をたて割りに青赤白黄の4色に分けて、団長統率のもとに生徒の自主的運営によって実施された。



開催年別ページ

以下のリンク先に開催年ごとの詳細があります。
赤字」の年はまだページがありません (資料不足のため未作成)。
青字」の年はページができています。動画掲載ページもありますので、お楽しみください。
1926年(大正15年) 1927年(昭和 2年) 1928年(昭和 3年) 1929年(昭和 4年) 1930年(昭和 5年) 1931年(昭和 6年) 1932年(昭和 7年) 1933年(昭和 8年)
1934年(昭和 9年) 1935年(昭和10年) 1936年(昭和11年) 1937年(昭和12年) 1938年(昭和13年) 1939年(昭和14年) 1940年(昭和15年) 1941年(昭和16年)
1942年(昭和17年) 1943年(昭和18年) 1944年(昭和19年) 1945年(昭和20年) 1946年(昭和21年) 1947年(昭和22年) 1948年(昭和23年) 1949年(昭和24年)
1950年(昭和25年) 1951年(昭和26年) 1952年(昭和27年) 1953年(昭和28年) 1954年(昭和29年) 1955年(昭和30年) 1956年(昭和31年) 1957年(昭和32年)
1958年(昭和33年) 1959年(昭和34年) 1960年(昭和35年) 1961年(昭和36年) 1962年(昭和37年) 1963年(昭和38年) 1964年(昭和39年) 1965年(昭和40年)
1966年(昭和41年) 1967年(昭和42年) 1968年(昭和43年) 1969年(昭和44年) 1970年(昭和45年) 1971年(昭和46年) 1972年(昭和47年) 1973年(昭和48年)
1974年(昭和49年) 1975年(昭和50年) 1976年(昭和51年) 1977年(昭和52年) 1978年(昭和53年) 1979年(昭和54年) 1980年(昭和55年) 1981年(昭和56年)
1982年(昭和57年) 1983年(昭和58年) 1984年(昭和59年) 1985年(昭和60年) 1986年(昭和61年) 1987年(昭和62年) 1988年(昭和63年) 1989年(平成元年)
1990年(平成 2年) 1991年(平成 3年) 1992年(平成 4年) 1993年(平成 5年) 1994年(平成 6年) 1995年(平成 7年) 1996年(平成 8年) 1997年(平成 9年)
1998年(平成10年) 1999年(平成11年) 2000年(平成12年) 2001年(平成13年) 2002年(平成14年) 2003年(平成15年) 2004年(平成16年) 2005年(平成17年)
2006年(平成18年) 2007年(平成19年) 2008年(平成20年) 2009年(平成21年) 2010年(平成22年) 2011年(平成23年) 2012年(平成24年) 2013年(平成25年)
2014年(平成26年) 2015年(平成27年) 2016年(平成28年) 2017年(平成29年) 2018年(平成30年) 2019年(令和元年) 2020年(令和 2年) 2021年(令和 3年)




運動会応援歌

運動会応援歌は、現在は運動会開会式で歌われているが、元は「運動会の歌」ではなかった。
以下は高9回の畑さん、萩原さんのお話し
数年前に体育科の先生が「歌詞の中に黄色が無いのはなぜ?」と疑問を呈されていました。
実はこの応援歌は、運動会の歌ではなかったんです。
「行け純白のユニフォーム…」という歌は、1949(昭和24)年に、都立八高が甲子園の東京都予選の決勝まで行った時だったとか、
小山台高校1回か2回頃に対抗試合用に作られたとかと聞いています。
その頃は、メロディーが口伝えで伝えられていました。
使われていなかったものを私たちの時代に、運動会で使うことにしました。
復活したときのメロディーと今のメロディーとは、若干異なっているようです。
「我等の意気の行くところ↑」、が上がっていました。
また、最後の「ああああ高き菊の香り↑」も上がっていました。
恐らく、後に採譜したときには、もう変わっていたのだと思います。(2021年7月10日談)



歌詞

ゆけ 純白のユニフォーム
ゆるがぬ力 空晴れて
われらの意気の 進むところ
勝利は常に ほほえめり
ああ 高き菊の香り

楽譜

楽譜の画像ファイルは、高26回 津川忠之さんより提供いただきました。
「どこで入手したかはっきり覚えていませんが、小山台野球班の試合を見に行った時に野球班の生徒が配っていたものに印刷されていたように思います。」とのことです。
ありがとうございました。
小山台高校正応援歌 楽譜



小山台高校正応援歌の元歌を発見!

中11回 加納孝氏が「創立60周年記念誌」に「晴れの甲子園初出場」と題する文章を寄稿されています。
以下にその一部を抜粋します。
忘れもしない昭和11年8月10日。我が八中蹴球部は第18回全国中等学校蹴球選手権大会東京千葉予選決勝に於いて、宿敵府立五中を1-0で破り晴れの甲子園出場の切符を手に入れたのである。(中略)会場の帝大御殿下グランドで一進一退の好ゲームを展開したが、前半弱冠横川君の放ったロングシュートを守って感激の優勝を勝ちとり、中等球児の夢であった甲子園へ駒を進めた次第である。(中略)之を機に全校の蹴球部応援の機運が昂まり、部歌、応援歌が出来上がり...(後略)
全校を挙げて強い八中サッカー部を応援しようとの機運が高まったなかでできた、という応援歌の楽譜が、加納孝氏の文章の隣に掲載されています。「創立60周年記念誌」P117
八中蹴球部応援歌 ラッキー・ボール
作詞 福地、作曲 楡井
歌詞は一~四番まであり、特に一番で正応援歌と共通の箇所が多いこと。メロディーは異なりますが、類似箇所もみられること。
この類似性から、八中蹴球部応援歌「ラッキー・ボール」が、現在も歌い継がれている小山台高校正応援歌の元歌である、と考えて差し支えないものと思われます。

尚、作詞者は中10回 福地秀穂氏、作曲者は同じく中10回 楡井小十郎氏と推測されます。
菊桜会HPの「会員検索」機能で調べたところ、府立八中卒業生で福地姓、楡井姓はそれぞれお一人ずつしかおらず、同校蹴球部が甲子園出場を決めた昭和11年当時、中10回生は五年生(旧制中学の最高学年)ですから、作詞・作曲者は両氏、と考えて良いでしょう。五年生、年齢は17歳です。17歳でこの作詞と作曲。旧制中学生、昔の人はエリートですね。

ラッキー・ボール歌詞 一番

ゆけ 純白のユニフォーム
目指すゴールは 空晴れて
我らの意気の ゆくところ
勝利は常に 微笑めり
いざや蹴れ ラッキー・ボール
フレーフレー八中

楽譜

「創立60周年記念誌」P117に掲載されています。高9回 畑芳夫さんに、画像のレタッチでご協力をいただきました。
小山台高校正応援歌 楽譜

高28回 北原毅さんに、楽譜をmp3ファイルに変換していただきました。

各組応援歌


青組

歌 詞 期 間 原 曲 音声、動画 備 考
○○○○○○○○○○○○○○○

○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○

青組正応援歌


青い海の上 輝く団旗を
仰ぐ我らの 意気いや高し
津波の如く 敵を破り
勝利の凱歌 今こそあげよ

古関裕而 作曲

ラバウル海軍航空隊

青組応援歌メロディー
1975年(昭和50年)運動会青組応援歌


2023年4月1日(土)開催の「高28回同期会」での青組正応援歌斉唱


第33回寒菊祭プログラムより
青き海原 進む我等の

心に熱き 血潮の流る
力を合わせ 勝利をめざし
いざや行かん 津波の如く

作詞:松野下 健

作曲:土屋 公平

1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。

作詞は体育科:松野下 健 先生

作曲は音楽科:土屋 公平先生



赤組

歌 詞 期 間 原 曲 音声、動画 備 考
○○○○○○○○○○○○○○○

○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○

赤組正応援歌


行けよ行け 若人集いて
我らの意気を 力を示せ
いざやいざ 共に進まん
勝利の誉れを 占むるは我ら

J.P.スーザ 作曲

美中の美

赤組応援歌メロディー
1975年(昭和50年)運動会赤組応援歌


2023年4月1日(土)開催の「高28回同期会」での赤組正応援歌斉唱


第33回寒菊祭プログラムより
昇る朝日に 団旗掲げて

我等が意気を 力を示せ
赤き夕陽に 心は燃ゆる
勝利の凱歌 今こそ歌え

作詞:松野下 健

作曲:土屋 公平

1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。

作詞は体育科:松野下 健 先生

作曲は音楽科:土屋 公平先生



白組

歌 詞 期 間 原 曲 音声、動画 備 考

いざ集え若人 いざ集えEF
秋の空すみわたり 心も踊る
立てよ強者 砦を守れ
いざ純白の旗のもと
いざ集えEF

1954(昭和29)年~1956(昭和31)年

高9回 萩原正弘さんより提供
「この応援歌は私の入学以前から白組で使用していたもののようです。

 1年生(1954年)の第2応援歌は「お山の杉の子」の替え歌、
 2年時の第2応援歌は「デビークロケット」のメロディを借用、歌詞記憶なし。
 いずれもその年限りで、以後歌われませんでした。心に残るものでなかったようです。
 3年生の時は、取り立てて第2応援歌は作りませんでした。

 今も歌われている「行け純白のユニホーム」は白組にこそふさわしいとして歌った記憶があります。」

白組第2応援歌

この旗こそは 我が力 我が誇り
この純白に 紅の
血潮を染めて 進み行く
見よ白組の行進を
見よ白組の行進を
おお白組に 勝利あれ

1965(昭和40)年 空の神兵

元歌の歌詞→こちら



高20回生の記憶
「1年時の第2応援歌です。

 メロディーが良く歌詞もかっこいいので正応援歌はすぐ忘れてしまいましたが、こちらは覚えていました。
 その後、軍歌『空の神兵』の替え歌と知ったときは驚きました。
 2年時は青組に変わったので、定かではないのですが、この第2応援歌は白組では歌われていないようでした。
 2、3年と青組だったのですが、青組応援歌は思い出せません。思い出すのは赤組と黄組の応援歌です。
 応援歌はやはりメロディーが良くないと盛り上がりませんし、すぐ忘れてしまうことが多いですね。」

白組正応援歌

輝け栄光 この旗のもと
ひびけ歌声 青空に
鉄腸石心の こころをいだき
我らは行かん 勝利めざして

白組応援歌メロディー
1975年(昭和50年)運動会白組応援歌


2023年4月1日(土)開催の「高28回同期会」での白組正応援歌斉唱


第33回寒菊祭プログラムより
白雲なびく 大空の

八角塔を 仰ぎ見て
我等 翼をここに拡げん
はばたけ 今 翔べよ 今
勝利は白に 白にあり

作詞:松野下 健

作曲:土屋 公平

1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。

作詞は体育科:松野下 健 先生

作曲は音楽科:土屋 公平先生



黄組

歌 詞 期 間 原 曲 音声、動画 備 考
○○○○○○○○○○○○○○○

○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○


紺碧に澄み切る 大空高く
轟け熱き我らが血潮
今こそ示せ、黄色が意気を
敵手はいずこ 敵手はいずや

文部省唱歌 「広瀬中佐」より

元歌の歌詞→こちら


黄組応援歌メロディー
1975年(昭和50年)運動会黄組応援歌


2023年4月1日(土)開催の「高28回同期会」での黄組正応援歌斉唱


高17回生、高20回生の記憶

黄に映えて 今を盛りと
咲き薫る 菊は我等の
栄をば告ぐる
友よ 奮えよ 時は来ぬ
いざや 示さん 若き闘志を

作詞:松野下 健

作曲:土屋 公平

1985年(昭和60年)再開の運動会より採用された。

作詞は体育科:松野下 健 先生

作曲は音楽科:土屋 公平先生



種目別のページ

棒倒し   騎馬戦   100人ラグビー   小山台ボール   [[]]
バーゲンセール   [[]]   [[]]   [[]]


年別成績と年別ページへのリンク

「開催年」をクリックすると、その年の運動会ページへ移動します。
赤字」の年はまだページがありません (未作成)。
青字」の年はページができています。動画掲載ページもありますので、お楽しみください。



開催年 一 位 二 位 三 位 四 位
1950年(昭和25年)
1951年(昭和26年)
1952年(昭和27年)
1953年(昭和28年)
1954年(昭和29年)
1955年(昭和30年)
1956年(昭和31年)
1957年(昭和32年)
1958年(昭和33年)
1959年(昭和34年)
1960年(昭和35年)
1961年(昭和36年) 黄(大差)
1962年(昭和37年)
1963年(昭和38年) 黄(8点差)
1964年(昭和39年)
1965年(昭和40年) 黄875点 赤823点 白778点 青759点
1966年(昭和41年) 黄783点 青689点 赤661点 白630点
1967年(昭和42年)
1968年(昭和43年)
1969年(昭和44年)
1970年(昭和45年)
1971年(昭和46年)
1972年(昭和47年)
1973年(昭和48年)
1974年(昭和49年)
1975年(昭和50年)
1976年(昭和51年)
1977年(昭和52年)
1978年(昭和53年)
1979年(昭和54年) 赤760点 黄682点 青654点 白653点
1980年(昭和55年)
1981年(昭和56年)
1982年(昭和57年) 中止 (校舎改築)
1983年(昭和58年) 中止 (校舎改築)
1984年(昭和59年) 中止 (校舎改築)
1985年(昭和60年)
1986年(昭和61年)
1987年(昭和62年)
1988年(昭和63年)
1989年(平成元年)
1990年(平成 2年)
1991年(平成 3年)
1992年(平成 4年)
1993年(平成 5年)
1994年(平成 6年)
1995年(平成 7年)
1996年(平成 8年)
1997年(平成 9年)
1998年(平成10年)
1999年(平成11年)
2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
2002年(平成14年)
2003年(平成15年)
2004年(平成16年) 青・赤 同点3位
2005年(平成17年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
2010年(平成22年)
2011年(平成23年) 赤708点 黄624点 青597点 白585点
2012年(平成24年) 黄725 赤638点 青606点 白593点
2013年(平成25年) 黄668 青645点 赤616点 白607点
2014年(平成26年) 青676点 赤659点 白646点 黄542点
2015年(平成27年) 青677点 白647点 赤617点 黄614点
2016年(平成28年) 赤651点 黄651点 青632点 白578点
2017年(平成29年) 黄684点 青658点 赤601点 白593点
2018年(平成30年) 赤769点 白653点 黄569点 青532点
2019年(令和元年) 黄696点 赤667点 青596点 白569点
2020年(令和 2年) 中止 (コロナ禍)
2021年(令和 3年)
2022年(令和 4年)







関連項目

 →「文化祭(寒菊祭)」へ
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脚注:


2024年1月28日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20240128000034