「1966年度 (昭和41年度)」の版間の差分
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==1966(昭和41)年度== | ==1966(昭和41)年度== | ||
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ファイル: | ファイル:19661009_赤組応援チアa.jpg|<div style="text-align:center; >運動会赤組応援</div> | ||
ファイル: | ファイル:生徒会誌「菊香」創刊.jpg|<div style="text-align:center; >生徒会誌「菊香」創刊</div> | ||
ファイル: | ファイル:同窓会寄付プール.jpg|<div style="text-align:center; >同窓会寄付プール</div> | ||
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==できごと== | |||
:04.08 (午前)始業式 | |||
:04.08 (午後)入学式 [[高21回 | 高21回生]](男子318、女子100、計418名) | |||
:04.09 対面式 | |||
:04.19 身体検査、結核検診(~21) | |||
:04.23 PTA総会 | |||
:05.04 創立記念日 | |||
:05.13 遠足(1・2・3年) | |||
:05.26 中間テスト(~28) | |||
:06.03 生徒総会 | |||
:06.13 ア・テスト(2・3年) (~15) | |||
:06.18 父兄会(1年) | |||
:06.25 父兄会(2年) | |||
:06.30 腸バラ予防接種 | |||
:07.02 父兄会(3年) | |||
:07.11 期末テスト(~14) | |||
:07.20 終業式 | |||
:07.22 転入考査 | |||
:07.28 臨海学校・林間学校(~31) | |||
:08.01 臨海学校・林間学校(~08) | |||
:09.01 始業式 | |||
:09.02 ア・テスト(1・2・3年) (~05) | |||
:09.07 水泳大会(~09) | |||
:09.24 第21回寒菊祭(学芸会・展示会) (~25) | |||
:10.09 運動会 | |||
:10.12 結核検診(~14) | |||
:10.18 中間テスト(~20) | |||
:10.21 インフルエンザ予防接種 | |||
:10.28 インフルエンザ予防接種 | |||
:11.02 生徒会役員認証式 | |||
:11.05 父兄会(2年) | |||
:11.09 遠足(1・3年) | |||
:11.09 修学旅行(2年) (~13) | |||
:11.12 父兄会(1年) | |||
:11.16 ア・テスト(3年) (~18) | |||
:11.25 生徒総会 | |||
:11.30 防火演習 | |||
:12.03 父兄会(3年) | |||
:12.14 期末テスト(~17) | |||
:12.24 終業式 | |||
:01.03 スキー教室(~07) | |||
:01.09 始業式 | |||
:01.10 ア・テスト(3年) (~12) | |||
:01.28 ロードレース | |||
:02.11 スケート教室(~12) | |||
:02.22 選抜テスト(~23) | |||
:03. 学校群制度により、田園調布高校と本校で「第14群」を結成。学校群制度第一回目の入学者選抜実施。 | |||
:03. 財団法人小山台名義の体育館・プールを都に寄付。体育館敷地・プール敷地を都に無償貸与。 | |||
:03.10 学年末テスト(~14) | |||
:03.18 卒業式 [[高19回 | 高19回生]](男子328、女子96、計424名) | |||
:03.22 終業式 | |||
:03.23 転入考査 | |||
:03.23 スキー教室(~26) | |||
:03.31 木村武雄校長退職 | |||
<br> | |||
==世相== | |||
:'''1966年''' | |||
:06.30 ザ・ビートルズ武道館で公演<br> | |||
:08.18 中国文化大革命勝利大集会<br> | |||
:'''1967年''' | |||
:02.11 建国の日が祝日となる<br> | |||
<br> | |||
:'''流行語'''-黒い霧・びっくりしたなあもう<br> | |||
:'''流行歌'''-君といつまでも・骨まで愛して・星のフラメンコ<br> | |||
<br> | |||
==生徒総会で制帽廃止を決議 大矢和光== | |||
小山台高校を卒業して一六年の歳月か過ぎ去りました。しかし、小山台で経験し、教えられたことが今もなお私の中で生き私を動かしています。小山台時代の友人達は普段音信不通ながら、ひとたび会えば昨日までともに暮したような付き会い方をします。これら良き仲間を与え、私を作り上げてくれた小山台、その一端が生徒会活動にも見られます。<br> | |||
私は当時学校祭常任委員長という形で生徒会に関与しておりました。九月、一○月に行われる文化祭・運動会を統括管理運営していく立場でしたが、また生徒会中央執行委員の一人でもあったわけです。<br> | |||
当時生徒会での最大の懸案は、制帽廃止と学校祭呼称変更問題でした。いずれの問題も以前より継続審議され、生徒間でも賛否両論、先生方も困っておられたのではないかと思います。結果は、制帽は廃止となり、学校祭名は愛称として「寒菊祭」を用いることとなったわけですが、それを審議した生徒総会は今もって思い出に残っております。と言いますのが、小山台卒業以後今日に至るまで、あれほどきちんとした議事の進行を経験したことがないからです。現在の生徒総会がどのように行われているかは知りませんが、当時私達は、議事法の勉強から入りました。そして、いかにスムーズに議事をすすめ、少数意見も十分に聞くことが出来るかを基本的な考え方にしていたわけです。議論は百出しました。しかし、後に出現した学生運動家のようなアジ演説はなく、自説を述べ、それをいかに他人に納得してもらうかの発言であったように思います。制帽廃止自体は、生徒の規制への反発と解釈出来ます。しかしそれを行動に先走らず手統きを踏んだステップにより達成したという点、その数年後には学生連動と称して暴力が検行した世の中の風潮と比べると、これが我々の世代なのか、それとも小山台の気風なのか考えてしまいます。<br> | |||
今、小山台の友人と会って、感じ、そしてお互い納得すること、それは小山台の卒業生が一つの価値観にこだわらず、広く自分の思った世界で飛びまわっていることです。お互いを大切にし、自分を見失わない本来の自由人としての小山台生の輪が、今後も広がっていくことを確信しております。<br> | |||
(20回・昭43年卒 聖マリアンナ医科大学第二外科助手)(「第60周年記念誌」P177より抜粋) | |||
==“人生の原型”の日々 五十嵐裕治(旧姓 関)== | |||
少年から青年へ。未来への淡い希望を内に蔵しつつ、目前の受験勉強に半ば機械的に取り組んでいた、あのくすんだ日々。世は高度経済成長の坂を昇り始め、物の豊かさを追い求めて、日本人の多くが何か得体の知れないものに向かって突進し始めていたころだった。東大はじめ一流大学への捷径とされていた当時の小山台にあって、私たちは繁栄への道をひた走る親たちの期待に、忠実に応えようとしていただろう、と今あらためて思う。 | |||
私自身、自分について考えるようになるまでは、全てが点数で表示されるそのときの教育のあり方に、無機質な快感を抱いていた。しかし、その快感が、高校三年の春、突如として不快感に変わった。揺れ動く少年の心にそのとき映じていたのは何だったろうか。定まらない形を求めて、私は何かを表現しようとしていた。しかし、いくら表現しても核心がつかめない。つかめぬまま日々は過ぎた。 | |||
私のいらだちは、おそらく同世代の者たちのそれでもあったろう。卒業のころから吹き荒れ出した全国学園闘争のすさまじい嵐は、ぜいじゃくな私や、私を取り巻く多くの友人たちを、否応なく呑み込んでいった。 | |||
今、私は思う。その後の道がどうあれ、小山台の三年間は、“いま”を胚胎する濃密な日々であった、と。あの千日余の期間に、現在を予兆させるすべてが刻まれている。いわば、“人生の原型”を形づくった日々――。 | |||
その底に、現世を超えて生きようとする永遠の美意識が流れているとするならば、それは二年間担任であった安藤千鶴子先生の人格的影響によるところが大きい。教師はおそらく、授業の質によってでなく、その人間性において教え子を感化する。 | |||
さて、小山台の三年間で象られた“人生の原型”が、今後どのような変奏曲をかなでるにしても、私の場合、友人たちと同じように曲は始まったばかりである。<br> | |||
(高19回・昭42年卒 天理教教会本部・「天理時報」記者)(「第60周年記念誌」P176より抜粋) | |||
<br> | <br> | ||
==教職員== | ==教職員== | ||
{|class="wikitable" | {|class="wikitable" | ||
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211行目: | 146行目: | ||
|3年係 | |3年係 | ||
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|1945/09/30 | |1945/09/30 | ||
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219行目: | 154行目: | ||
| | | | ||
|庶務部長 | |庶務部長 | ||
| | | | ||
|1957/04/01 | |1957/04/01 | ||
| | | | ||
227行目: | 162行目: | ||
|3C | |3C | ||
| | | | ||
| | |華道 | ||
|1960/04/01 | |1960/04/01 | ||
| | | | ||
235行目: | 170行目: | ||
|2F | |2F | ||
| | | | ||
| | |バスケット | ||
|1962/04/01 | |1962/04/01 | ||
| | | | ||
251行目: | 186行目: | ||
|2D | |2D | ||
| | | | ||
| | |ラグビー | ||
|1965/04/01 | |1965/04/01 | ||
| | | | ||
259行目: | 194行目: | ||
| | | | ||
| | | | ||
| | |ワンダーフォーゲル | ||
|1965/04/01 | |1965/04/01 | ||
| | | | ||
277行目: | 212行目: | ||
|3G | |3G | ||
| | | | ||
| | |バドミントン | ||
|1962/04/01 | |1962/04/01 | ||
| | | | ||
303行目: | 238行目: | ||
|2B | |2B | ||
| | | | ||
| | |歴史研究 | ||
|1960/04/01 | |1960/04/01 | ||
| | | | ||
313行目: | 248行目: | ||
| | | | ||
|演劇 | |演劇 | ||
| | |1949/04/01 | ||
| | | | ||
| | | | ||
331行目: | 266行目: | ||
| | | | ||
|天文 | |天文 | ||
|1946/ | |1946/03/31 | ||
| | | | ||
| | | | ||
362行目: | 297行目: | ||
| | | | ||
| | | | ||
| | | | ||
|1957/04/01 | |1957/04/01 | ||
| | | | ||
370行目: | 305行目: | ||
|3A | |3A | ||
|学年主任 | |学年主任 | ||
| | |美術 | ||
|1960/04/01 | |1960/04/01 | ||
| | | | ||
396行目: | 331行目: | ||
|2E | |2E | ||
| | | | ||
| | |ラジオ | ||
|1944/09/20 | |1944/09/20 | ||
| | | | ||
430行目: | 365行目: | ||
| | | | ||
|生徒部長 | |生徒部長 | ||
| | | | ||
|1951/04/ | |1951/04/05 | ||
| | | | ||
| | | | ||
447行目: | 382行目: | ||
|2年係 | |2年係 | ||
| | | | ||
| | |水泳、社会研究 | ||
|1965/04/01 | |1965/04/01 | ||
| | | | ||
464行目: | 399行目: | ||
|2年係 | |2年係 | ||
| | | | ||
| | |軟式テニス | ||
|1945/06/20 | |1945/06/20 | ||
| | | | ||
480行目: | 415行目: | ||
| | | | ||
| | | | ||
| | |自動車 | ||
|1958/04/16 | |1958/04/16 | ||
| | | | ||
504行目: | 439行目: | ||
|3B | |3B | ||
| | | | ||
| | |文芸 | ||
|1965/04/01 | |1965/04/01 | ||
| | | | ||
530行目: | 465行目: | ||
| | | | ||
|器械体操 | |器械体操 | ||
|1958/ | |1958/04/01 | ||
| | | | ||
| | | | ||
565行目: | 500行目: | ||
| | | | ||
|音楽 | |音楽 | ||
|1958/ | |1958/03/31 | ||
| | | | ||
| | | | ||
574行目: | 509行目: | ||
| | | | ||
|弦楽 | |弦楽 | ||
| | |1955/04/01 | ||
| | | | ||
| | | | ||
589行目: | 524行目: | ||
==== 講師・校医 ==== | ==== 講師・校医 ==== | ||
{|class="wikitable" | {|class="wikitable" | ||
|- | |- | ||
634行目: | 569行目: | ||
==== 事務職員 ==== | ==== 事務職員 ==== | ||
{|class="wikitable" | {|class="wikitable" | ||
|- | |- | ||
699行目: | 634行目: | ||
==生徒在籍数 <span style="font-size:15px;">(1966年4月現在)</span>== | ==生徒在籍数 <span style="font-size:15px;">(1966年4月現在)</span>== | ||
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!colspan="2"|組!!A!!B!!C!!D!!E!!F!!G!!H!!計 | !colspan="2"|組!!A!!B!!C!!D!!E!!F!!G!!H!!計 | ||
799行目: | 734行目: | ||
:1966(昭和41)年度発行 | :1966(昭和41)年度発行 | ||
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ファイル:1966_昭和41年4月8日_小山台新聞第47号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1966(昭和41)年4月8日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1966_昭和41年4月8日_小山台新聞第47号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1966(昭和41)年4月8日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/8t6gob914btdye9/1966_%E6%98%AD%E5%92%8C41%E5%B9%B44%E6%9C%888%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC47%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1966昭和41)年4月8日発行」へのリンク] </div> | ||
ファイル:1966_昭和41年6月18日_週間小山台創刊号.jpg|<div style="text-align:center; > 「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1966_昭和41年6月18日_週間小山台創刊号.jpg|<div style="text-align:center; > 「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/9otm0uk7zde484a/1966_%E6%98%AD%E5%92%8C41%E5%B9%B46%E6%9C%8818%E6%97%A5_%E9%80%B1%E9%96%93%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E5%89%B5%E5%88%8A%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」へのリンク] </div> | ||
ファイル:1966_昭和41年6月25日_週間小山台第2号.jpg|<div style="text-align:center; > 「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1966_昭和41年6月25日_週間小山台第2号.jpg|<div style="text-align:center; > 「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/7crg636iksnvj24/1966_%E6%98%AD%E5%92%8C41%E5%B9%B46%E6%9C%8825%E6%97%A5_%E9%80%B1%E9%96%93%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E7%AC%AC2%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」へのリンク] </div> | ||
ファイル:1966_昭和41年7月23日_小山台新聞第48号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1966_昭和41年7月23日_小山台新聞第48号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/7dy8suqe9fpm9ow/1966_%E6%98%AD%E5%92%8C41%E5%B9%B47%E6%9C%8823%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC48%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」へのリンク] </div> | ||
ファイル:1966_昭和41年12月17日_小山台新聞第49号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1966_昭和41年12月17日_小山台新聞第49号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/r1qb9jb5kcl0elw/1966_%E6%98%AD%E5%92%8C41%E5%B9%B412%E6%9C%8817%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC49%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」へのリンク] </div> | ||
ファイル:1967_昭和42年3月18日_小山台新聞第50号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/ | ファイル:1967_昭和42年3月18日_小山台新聞第50号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/q0xtv02movr46c1/1967_%E6%98%AD%E5%92%8C42%E5%B9%B43%E6%9C%8818%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC50%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」へのリンク] </div> | ||
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2025年3月14日 (金) 10:37時点における最新版
(編集中) (編集完了)
1966(昭和41)年度
できごと
- 04.08 (午前)始業式
- 04.08 (午後)入学式 高21回生(男子318、女子100、計418名)
- 04.09 対面式
- 04.19 身体検査、結核検診(~21)
- 04.23 PTA総会
- 05.04 創立記念日
- 05.13 遠足(1・2・3年)
- 05.26 中間テスト(~28)
- 06.03 生徒総会
- 06.13 ア・テスト(2・3年) (~15)
- 06.18 父兄会(1年)
- 06.25 父兄会(2年)
- 06.30 腸バラ予防接種
- 07.02 父兄会(3年)
- 07.11 期末テスト(~14)
- 07.20 終業式
- 07.22 転入考査
- 07.28 臨海学校・林間学校(~31)
- 08.01 臨海学校・林間学校(~08)
- 09.01 始業式
- 09.02 ア・テスト(1・2・3年) (~05)
- 09.07 水泳大会(~09)
- 09.24 第21回寒菊祭(学芸会・展示会) (~25)
- 10.09 運動会
- 10.12 結核検診(~14)
- 10.18 中間テスト(~20)
- 10.21 インフルエンザ予防接種
- 10.28 インフルエンザ予防接種
- 11.02 生徒会役員認証式
- 11.05 父兄会(2年)
- 11.09 遠足(1・3年)
- 11.09 修学旅行(2年) (~13)
- 11.12 父兄会(1年)
- 11.16 ア・テスト(3年) (~18)
- 11.25 生徒総会
- 11.30 防火演習
- 12.03 父兄会(3年)
- 12.14 期末テスト(~17)
- 12.24 終業式
- 01.03 スキー教室(~07)
- 01.09 始業式
- 01.10 ア・テスト(3年) (~12)
- 01.28 ロードレース
- 02.11 スケート教室(~12)
- 02.22 選抜テスト(~23)
- 03. 学校群制度により、田園調布高校と本校で「第14群」を結成。学校群制度第一回目の入学者選抜実施。
- 03. 財団法人小山台名義の体育館・プールを都に寄付。体育館敷地・プール敷地を都に無償貸与。
- 03.10 学年末テスト(~14)
- 03.18 卒業式 高19回生(男子328、女子96、計424名)
- 03.22 終業式
- 03.23 転入考査
- 03.23 スキー教室(~26)
- 03.31 木村武雄校長退職
世相
- 1966年
- 06.30 ザ・ビートルズ武道館で公演
- 08.18 中国文化大革命勝利大集会
- 1967年
- 02.11 建国の日が祝日となる
- 流行語-黒い霧・びっくりしたなあもう
- 流行歌-君といつまでも・骨まで愛して・星のフラメンコ
生徒総会で制帽廃止を決議 大矢和光
小山台高校を卒業して一六年の歳月か過ぎ去りました。しかし、小山台で経験し、教えられたことが今もなお私の中で生き私を動かしています。小山台時代の友人達は普段音信不通ながら、ひとたび会えば昨日までともに暮したような付き会い方をします。これら良き仲間を与え、私を作り上げてくれた小山台、その一端が生徒会活動にも見られます。
私は当時学校祭常任委員長という形で生徒会に関与しておりました。九月、一○月に行われる文化祭・運動会を統括管理運営していく立場でしたが、また生徒会中央執行委員の一人でもあったわけです。
当時生徒会での最大の懸案は、制帽廃止と学校祭呼称変更問題でした。いずれの問題も以前より継続審議され、生徒間でも賛否両論、先生方も困っておられたのではないかと思います。結果は、制帽は廃止となり、学校祭名は愛称として「寒菊祭」を用いることとなったわけですが、それを審議した生徒総会は今もって思い出に残っております。と言いますのが、小山台卒業以後今日に至るまで、あれほどきちんとした議事の進行を経験したことがないからです。現在の生徒総会がどのように行われているかは知りませんが、当時私達は、議事法の勉強から入りました。そして、いかにスムーズに議事をすすめ、少数意見も十分に聞くことが出来るかを基本的な考え方にしていたわけです。議論は百出しました。しかし、後に出現した学生運動家のようなアジ演説はなく、自説を述べ、それをいかに他人に納得してもらうかの発言であったように思います。制帽廃止自体は、生徒の規制への反発と解釈出来ます。しかしそれを行動に先走らず手統きを踏んだステップにより達成したという点、その数年後には学生連動と称して暴力が検行した世の中の風潮と比べると、これが我々の世代なのか、それとも小山台の気風なのか考えてしまいます。
今、小山台の友人と会って、感じ、そしてお互い納得すること、それは小山台の卒業生が一つの価値観にこだわらず、広く自分の思った世界で飛びまわっていることです。お互いを大切にし、自分を見失わない本来の自由人としての小山台生の輪が、今後も広がっていくことを確信しております。
(20回・昭43年卒 聖マリアンナ医科大学第二外科助手)(「第60周年記念誌」P177より抜粋)
“人生の原型”の日々 五十嵐裕治(旧姓 関)
少年から青年へ。未来への淡い希望を内に蔵しつつ、目前の受験勉強に半ば機械的に取り組んでいた、あのくすんだ日々。世は高度経済成長の坂を昇り始め、物の豊かさを追い求めて、日本人の多くが何か得体の知れないものに向かって突進し始めていたころだった。東大はじめ一流大学への捷径とされていた当時の小山台にあって、私たちは繁栄への道をひた走る親たちの期待に、忠実に応えようとしていただろう、と今あらためて思う。
私自身、自分について考えるようになるまでは、全てが点数で表示されるそのときの教育のあり方に、無機質な快感を抱いていた。しかし、その快感が、高校三年の春、突如として不快感に変わった。揺れ動く少年の心にそのとき映じていたのは何だったろうか。定まらない形を求めて、私は何かを表現しようとしていた。しかし、いくら表現しても核心がつかめない。つかめぬまま日々は過ぎた。
私のいらだちは、おそらく同世代の者たちのそれでもあったろう。卒業のころから吹き荒れ出した全国学園闘争のすさまじい嵐は、ぜいじゃくな私や、私を取り巻く多くの友人たちを、否応なく呑み込んでいった。
今、私は思う。その後の道がどうあれ、小山台の三年間は、“いま”を胚胎する濃密な日々であった、と。あの千日余の期間に、現在を予兆させるすべてが刻まれている。いわば、“人生の原型”を形づくった日々――。
その底に、現世を超えて生きようとする永遠の美意識が流れているとするならば、それは二年間担任であった安藤千鶴子先生の人格的影響によるところが大きい。教師はおそらく、授業の質によってでなく、その人間性において教え子を感化する。
さて、小山台の三年間で象られた“人生の原型”が、今後どのような変奏曲をかなでるにしても、私の場合、友人たちと同じように曲は始まったばかりである。
(高19回・昭42年卒 天理教教会本部・「天理時報」記者)(「第60周年記念誌」P176より抜粋)
教職員
職名 | 教科目 | 氏 名 | 担任 | 校務分掌 | 班活顧問 | 就 任 | PTA・菊桜会 | 財団小山台 | |
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校長 | (英語) | 木村 武雄 | 1964/04/01 | 理事長 | |||||
教頭 | 数学 | 飛岡 正治 | 1964/04/16 | 常任理事 | |||||
教諭 | 国語 | 舞田 正達 | 3F | 弁論同好会 | 1939/06/30 | ||||
落合 光禎 | 3年係 | 1945/09/30 | |||||||
長瀬 治 | 庶務部長 | 1957/04/01 | |||||||
安藤 千鶴子 | 3C | 華道 | 1960/04/01 | ||||||
湯沢 賢之助 | 2F | バスケット | 1962/04/01 | ||||||
河野 通敬 | 1E | 新聞 | 1963/05/01 | ||||||
土屋 泰男 | 2D | ラグビー | 1965/04/01 | ||||||
野沢 穣 | ワンダーフォーゲル | 1965/04/01 | |||||||
社会 | 地理 | 宮田 時雄 | 教務部長 | 1947/06/15 | |||||
斉藤 績 | 3G | バドミントン | 1962/04/01 | ||||||
世界史 | 三橋 力 | 補習科主任 | 1949/05/15 | ||||||
日本史 | 荒久保 忠夫 | 2A | 学年主任 | 写真 | 1954/09/16 | ||||
沢井 景之助 | 2B | 歴史研究 | 1960/04/01 | ||||||
政経 | 塩野入 啓晃 | 3年係 | 演劇 | 1949/04/01 | |||||
倫社 | 野々山 正司 | 1A | 学年主任 | 心理研究 | 1949/03/31 | ||||
数学 | 奥野 一雄 | 2G | 天文 | 1946/03/31 | |||||
不島 静夫 | 3H | 鉄道研究 | 1947/09/30 | ||||||
井沢 弘児 | 2C | 野球 | 1950/03/31 | ||||||
竹内 庸雄 | 進路部長 | 剣道 | 1950/03/31 | ||||||
川又 之裕 | 1957/04/01 | ||||||||
斎藤 昉 | 3A | 学年主任 | 美術 | 1960/04/01 | |||||
石井 孝雄 | 1F | 1960/04/01 | |||||||
若林 明弘 | 1C | 卓球 | 1963/04/01 | ||||||
理科 | 物理 | 永見 至 | 2E | ラジオ | 1944/09/20 | ||||
八乙女 盛典 | 1G | 物理 | 1949/04/30 | ||||||
化学 | 園山 忠夫 | 図書部長 | 化学 | 1946/09/15 | 理事 | ||||
生物 | 矢野 佐 | 1年係 | 1942/03/31 | ||||||
鈴木 亨 | 生徒部長 | 1951/04/05 | |||||||
水越 虔二 | 3D | 生物 | 1963/05/01 | ||||||
地学 | 多胡 忠治 | 2年係 | 水泳、社会研究 | 1965/04/01 | |||||
英語 | 深掘 修 | 2年係 | 硬式テニス | 1945/10/31 | |||||
大島 長次 | 2年係 | 軟式テニス | 1945/06/20 | ||||||
勢山 秀子 | 1H | ESS | 1949/05/31 | ||||||
原口 正則 | 自動車 | 1958/04/16 | |||||||
中山 重男 | 1D | 柔道 | 1959/04/01 | ||||||
清水 忠 | 3E | 海洋、フォークダンス | 1960/04/01 | ||||||
羽部 英二 | 3B | 文芸 | 1965/04/01 | ||||||
保健体育 | 榎木 繁男 | 保健部長 | 陸上競技 | 1949/03/31 | |||||
小林 年子 | 1B | 舞踊 | 1952/04/01 | ||||||
阿部 修二 | 2H | 器械体操 | 1958/04/01 | ||||||
永島 惇正 | 3年係 | 排球 | 1963/04/01 | ||||||
粂 太郎 | 1年係 | サッカー | 1964/09/01 | ||||||
家庭 | 持塚 多喜 | 2年係 | 1951/02/28 | ||||||
芸術 | 音楽 | 吉岡 巌 | 1年係 | 音楽 | 1958/03/31 | ||||
司書 | 矢口 洋子 | 弦楽 | 1955/04/01 | ||||||
養護 | 斎藤 千代 | 1964/03/01 |
講師・校医
教科 | 氏名 | ||
---|---|---|---|
講 師 | 社会 | 千葉 茂雄 | |
姫田 光義 | |||
武田 秀輝 | |||
理科 | 大岩 誠 | ||
林 良重 | |||
小川 健吾 | |||
芸術 | 美術 | 武田 良三 | |
書道 | 黒沢 岩資 | ||
校医 | 内科 | 武田 久孝 | |
耳鼻科 | 仙頭 哲夫 | ||
眼科 | 早川 和夫 | ||
歯科 | 鎌田 栄一 | ||
薬剤師 | 三浦 薫 |
事務職員
職 名 | 氏 名 | 就 任 |
---|---|---|
事務長 | 佐藤 二郎 | 1966/04/01 |
事務主事 | 井上 とみ | 1948/10/15 |
諸 孝 | 1961/05/01 | |
真保 孝 | 1962/07/01 | |
事務主事補 | 佐生 せい子 | 1949/08/31 |
内田 誠 | 1961/05/01 | |
見村 すみ子 | 1964/04/01 | |
山本 瑛子 | 1962/05/17 | |
司書 | 菅原 千枝子 | 1965/04/01 |
助手 | 小林 泰代 | 1964/04/01 |
金沢 昭二 | 1966/04/01 | |
熊谷 等 | 1966/04/01 | |
用務員 | 上田 信吉 | 1936/07/22 |
平野 福三郎 | 1947/05/01 | |
槌屋 貞二郎 | 1964/04/01 | |
警備員 | 浜村 辰次郎 | 1954/08/01 |
神原 孝史 |
生徒在籍数 (1966年4月現在)
組 | A | B | C | D | E | F | G | H | 計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1年 | 男 | 39 | 38 | 40 | 40 | 39 | 41 | 40 | 41 | 318 |
女 | 12 | 13 | 13 | 13 | 13 | 12 | 12 | 12 | 100 | |
計 | 51 | 51 | 53 | 53 | 52 | 53 | 52 | 53 | 418 | |
2年 | 男 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 40 | 320 |
女 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 13 | 104 | |
計 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 424 | |
3年 | 男 | 40 | 41 | 41 | 41 | 41 | 41 | 41 | 42 | 328 |
女 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 12 | 96 | |
計 | 52 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 53 | 54 | 424 | |
総 計 | 男 | 966 | 女 | 300 | 計 | 1,266 |
寒菊祭(学芸、展示、招待試合、後夜祭)
- 9月24日(土)、9月25日(日) 開催
- この年から「学校祭」→「寒菊祭」という名称を使い始めた。
「1966年寒菊祭プログラム」は以下のリンクからご覧になれます。
- 1966年寒菊祭.pdfファイルへのリンク
- 文化祭(寒菊祭)パンフレット一覧は以下のページからご覧いただけます。
- 文化祭(寒菊祭)一覧表
運動会
- 10月9日(日) 開催
- 結果:黄色:783、青:689、赤:661、白:630
菊香 第1号
- 全定合同機関誌「寒菊」に加えて、「生徒会誌 菊香」の記念すべき第1号が発行されました。
「生徒会誌 菊香 第1号」全文 は以下のリンクからご覧になれます。
- 「生徒会誌 菊香 第1号」pdfファイルへのリンク
- 生徒会誌「菊香」の一覧はこちら → 生徒会誌「菊香」一覧表
寒菊 (全定合同機関誌 第9号)
- 1967(昭和42)年に発行された「第9号」は保管されていません。
卒業アルバム
- この年度の卒業生は、「高19回生」(男:328名、女:96名)となります。
- 卒業アルバムは「高19回生」のページに掲載されています。
小山台新聞
- 1966(昭和41)年度発行
- 「小山台新聞1966(昭和41)年4月8日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1966昭和41)年4月8日発行」へのリンク
- 「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「週間小山台創刊号1966(昭和41)年6月18日発行」へのリンク
- 「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「週間小山台第2号1966(昭和41)年6月25日発行」へのリンク
- 「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1966(昭和41)年7月23日発行」へのリンク
- 「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1966(昭和41)年12月17日発行」へのリンク
- 「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→「小山台新聞1967(昭和42)年3月18日発行」へのリンク
関連項目
* ← 1965年度 (昭和40年度) * → 1967年度 (昭和42年度)
脚注
・
2025年3月14日:直近編集者:NMKtakaji
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