「1941年度 (昭和16年度)」の版間の差分

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==1941(昭和16)年度==
<div style="margin:-6px 0 -8px 1em; max-width:1600px">
{| class="wikitable" style="width: 85%;"
|+
|-
| colspan="2" |
<gallery widths=360px  heights=250px >
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌03号</div>
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌04号</div>
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌04号</div>
</gallery>
|-
| style="text-align:center" | できごと || style="text-align:center" | 詳細・引用・寄稿
|-
|style="width: 25%;vertical-align:top" |4月 2日 始業式<br>
4月 3日 健康診断<br>
4月XX~XX日 開校記念日<br>
5月 4日 春の遠足<br>
5月XX日 中間考査<br>
5月XX~XX日 PTA総会<br>
5月XX日 3年ア・テスト<br>
6月XX~XX日 期末考査 生徒総会<br>
6月XX日 終業式<br>
7月X~XX日 林間学校<br><br>
----
9月1日 始業式<br>
9月2日~4日 ア・テスト<br>
9月9日~11日 水泳大会<br>
9月XX~XX日 運動会、X・X日代休<br>
10月XX~XX日  中間考査<br>
11月XX~XX日 2年修学旅行<br>
11月XX日~XX日 3年ア・テスト<br>
11月XX日 生徒総会<br>
12月XX~XX日 期末考査<br>
12月XX日 終業式<br>
----
1月X日 始業式<br>
1月X~XX日 1・2年ア・テスト<br>
1月XX日 3年ア・テスト<br>
1月XX日 ロードレース<br>
3月X~XX日 期末考査<br>
3月 8日 卒業式 [[中8回 | 中八回生]](男子190名)<br>
3月XX日 終業式
| rowspan="3" style="width: 75% ;vertical-align:top" |'''ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
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ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
(「XX周年記念誌」PYY)<br><br>
'''ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
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その後弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br>
(「創立XX周年記念誌」PYYY)
|-
| style="text-align:center" |世 相
|-
|style="vertical-align:top"|
8月8日 学校報国隊の編成を指令<br>
10月15日 ゾルゲ事件<br>
12月8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争始まる<br><br>
流行語-八紘一宇<br>
流行歌-船頭さん・オウマ<br>
|}
</div>
<br><br>
==できごと==
==できごと==
:4月 府立第八中学校入学式 [[中19回 | 中19回生]](男子2XX名、A~F組の6クラス)
:4月 府立第八中学校入学式 [[中19回 | 中19回生]](男子2XX名、A~F組の6クラス)
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</div>
</div>
:
:
:1月15日 「報國団雑誌 第18号」発行
:1月15日 [[#「報國団雑誌 第18号」|「報國団雑誌 第18号」]]発行
:1月31日 「同窓會會報 第14号」発行
:1月31日 [[#「同窓會會報 第14号」|「同窓會會報 第14号」]]発行
:3月 5日 卒業式 [[中15回 | 中15回生]](男子215名)
:3月 5日 卒業式 [[中15回 | 中15回生]](男子215名)
</br></br></br>


==教職員==
==教職員==
[[File:Sayari_za_jua_letu.jpg|thumb|300px|none|先生方の写真]]
{| class="wikitable"
<br>
|-
!職名|| colspan="2" |担任学科||氏 名||就 任||本籍地<ref>なぜか「本籍地」が記載されています。</ref>
|-
|学校長
| colspan="2" |
|[[岡田 藤十郎]]
|1923/01/15
|愛知県
|-
| 配属将校<ref>旧日本陸軍で、学校教練のため陸軍現役将校配属令などにより官公私立の中学校、高等学校、大学予などに配属された将校。</ref>
| colspan="2" |
|内田 辰雄
|1927/03/16
|熊本県
|-
| rowspan="36" |教諭
| rowspan="3" |修身
| rowspan="1" |修身
|岩崎源兵衛
|1923/03/15
|東京府
|-
| rowspan="1" |修身、国漢
|鈴木 鶴吉
|1926/03/31
|茨城県
|-
| rowspan="1" |修身、国漢、法経
|岩本 實次郎
|1923/04/12
|愛知県
|-
| colspan="2" rowspan="7" |国漢
|臼杵 東峻
|1923/04/05
|熊本県
|-
|手塚 昇
|1924/03/31
|栃木県
|-
|尾見 修一
|1926/03/31
|茨城県
|-
|宮下 幸平
|1927/03/31
|群馬県
|-
| 田波 又男
|1927/03/31
|栃木県
|-
|岸本 美之留
|1930/04/07
|東京府
|-
|高野 正巳
|1930/09/19
|長野県
|-
| colspan="2" rowspan="1" |国漢(習字)
|斎藤 梅雄
|1924/03/31
|東京府
|-
| rowspan="4" |社会
| rowspan="1" |地理
|児玉 貞臣
|1923/02/23
|島根県
|-
| rowspan="2" |歴史
|山本 義夫
|1924/03/31
|長野県
|-
|甲藤 太郎
|1926/03/31
|高知県
|-
| rowspan="1" |歴史、地理
|都築 秀徳
|1925/03/31
|高知県
|-
| colspan="2" rowspan="5" |数学
|栗原 善範
|1923/04/30
|神奈川県
|-
|飯野 兼八
|1924/03/31
|東京府
|-
|高輪 休郎
|1925/05/15
|東京府
|-
|崎谷 巖
|1926/03/31
|栃木県
|-
|沼尻 源一郎
|1927/03/31
|茨城県
|-
| rowspan="4" |理科
| rowspan="2" |博物<ref>明治、大正、昭和初期までの小学校、中学校の動植物・鉱物を内容とする教科の名称。</ref>
|北見 宗吉
|1923/04/05
|東京府
|-
|一瀬 義行
|1925/03/31
|東京府
|-
| rowspan="2" |物化
|桑野 達平
|1925/03/31
|福岡県
|-
|峯岸 政之助
|1930/03/31
|埼玉県
|-
| colspan="2" rowspan="6" |英語
|伊藤 義末
|1923/03/30
|千葉県
|-
|大伴 峻
|1924/03/31
|東京府
|-
|斎藤 幸之助
|1926/03/31
|埼玉県
|-
|川波 千尋
|1926/03/31
|福岡県
|-
|百田 治朗
|1926/03/31
|山梨 県
|-
|大竹 健夫
|1927/03/31
|東京府
|-
| colspan="2" rowspan="4" |体操
|加藤 譲
|1923/04/10
|岐阜県
|-
|岐部 信之助
|1924/02/11
|静岡県
|-
|市野 保
|1924/03/31
|東京府
|-
|峰岸 徳哉
|1927/03/31
|群馬県
|-
| rowspan="2" |芸術
| rowspan="1" |図画
|麻生 秀二
|1923/03/31
|東京府
|-
| rowspan="1" |唱歌
|松井 力
|1925/03/31
|東京府
|}
=====嘱託・学校医=====
{| class="wikitable"
! || colspan="2" |教科||氏名||就任||本籍地
|-
| rowspan="13" |嘱託
| colspan="2" rowspan="3" |国漢
|龜山 與市
|1925/06/20
|岐阜県
|-
|斎藤 芳滋
|1927/03/31
|東京府
|-
|福村 清
|1929/03/31
|大分県
|-
| colspan="2" rowspan="2" |数学
|奈良 善雄
|1926/03/31
|青森県
|-
|赤沼 實
|1929/10/09
|長野県
|-
| rowspan="1" |理科
| rowspan="1" |博物
|岸谷 貞治郎
|1925/03/31
|大阪府
|-
| colspan="2" rowspan="4" |英語
|佐藤 浩
|1924/03/31
|山形県
|-
|ヘンリー・マーフォート・ケーリー
|1926/04/01
|米国
|-
|長見 久堅
| 1929/03/31
|島根県
|-
|山口 孝
|1929/04/09
|千葉県
|-
| colspan="2" rowspan="2" |体操
|森田 文十郎
|1925/03/31
|埼玉県
|-
|佐藤 留五郎
| 1927/03/31
|福島県
|-
| rowspan="1" |芸術
|図画
|吉田 雄司
|1927/05/09
|千葉県
|-
| colspan="3" rowspan="1" |学校医
| 岡田 省三
| 1926/09/18
|東京府
|}
=====書記=====
{| class="wikitable"
!職 名||氏 名||就 任||本籍地
|-
| rowspan="3" |書記
|佐藤 正男
|1924/02/20
|東京府
|-
|永山 政信
|1924/04/05
|茨城県
|-
|平野 義包
|1927/03/15
|愛知県
|}<br>


==学芸会==
==学芸会==
60行目: 398行目:
:「報國団雑誌 第18号」は、1942(昭和17)年1月15日発行されました。
:「報國団雑誌 第18号」は、1942(昭和17)年1月15日発行されました。
:中17回 三宮 洋 様より寄贈いただきました。
:中17回 三宮 洋 様より寄贈いただきました。
<gallery widths=250px  heights=350px >
File:報國団雑誌_第18号_001_表紙.jpg| <div style="text-align:center; > 表 紙 </div>
File:報國団雑誌_第18号_002_目次.jpg| <div style="text-align:center; > 目 次 </div>
File:報國団雑誌_第18号_003_宣戦の詔書.jpg| <div style="text-align:center; > 宣戦の詔書 </div>
File:報國団雑誌_第18号_004_銘記せよ.jpg| <div style="text-align:center; > 銘記せよ</div>
File:報國団雑誌_第18号_005_5年習志野野営.jpg| <div style="text-align:center; > 5年 習志野野営 </div>
File:報國団雑誌_第18号_006_運動会01.jpg| <div style="text-align:center; >運動会 01 </div>
File:報國団雑誌_第18号_007_運動会02.jpg| <div style="text-align:center; > 運動会 02</div>
File:報國団雑誌_第18号_008_中扉.jpg| <div style="text-align:center; > 中 扉 </div>
File:報國団雑誌_第18号_009_中島団長_各自の使命を自覚せよ01.jpg| <div style="text-align:center; > 中島団長「各自の使命を自覚せよ」01<br>校友會から報國團となったので「團長」</div>
File:報國団雑誌_第18号_010_中島団長_各自の使命を自覚せよ02.jpg| <div style="text-align:center; > 中島団長「各自の使命を自覚せよ」02 </div>
File:報國団雑誌_第18号_011_編集後記_奥付.jpg| <div style="text-align:center; > 編集後記 奥付</div>
File:報國団雑誌_第18号_012_裏表紙.jpg| <div style="text-align:center; > 裏表紙(無地となりました) </div>
</gallery>
<br><br><br>
<br><br><br>
=== [[File:R2l.gif|link=#「報國団雑誌 第18号」|以下の「報國団雑誌 第18号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「報國団雑誌 第18号」全文表示]]「報國団雑誌 第18号」全文===
=== [[File:R2l.gif|link=#「報國団雑誌 第18号」|以下の「報國団雑誌 第18号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「報國団雑誌 第18号」全文表示]]「報國団雑誌 第18号」全文===
75行目: 427行目:
:真珠湾攻撃が1941年12月8日なので、その直後に編集・発行されたもので、当時の世相を色濃く反映しています。
:真珠湾攻撃が1941年12月8日なので、その直後に編集・発行されたもので、当時の世相を色濃く反映しています。
:特に、表紙にある「英魂顕彰号」にもある通り、戦没者への追悼・顕彰という目的で発行されたものです。
:特に、表紙にある「英魂顕彰号」にもある通り、戦没者への追悼・顕彰という目的で発行されたものです。
 
<gallery widths=250px  heights=350px >
File:同窓會會報_第14号_001_表紙.jpg| <div style="text-align:center; > 表 紙 </div>
File:同窓會會報_第14号_002_目次.jpg| <div style="text-align:center; > 目 次 </div>
</gallery>
:口絵写真には「中1回」~「中10回」までの戦死者16名の写真が「故人ノ面影」として掲載されています。
:口絵写真には「中1回」~「中10回」までの戦死者16名の写真が「故人ノ面影」として掲載されています。
<gallery widths=250px  heights=350px >
File:同窓會會報_第14号_003_故人の面影01.jpg| <div style="text-align:center; > 故人の面影 01 </div>
File:同窓會會報_第14号_004_故人の面影02.jpg| <div style="text-align:center; > 故人の面影 02</div>
</gallery>
:また、その次には「中島嘉之吉 会長」による「八中教学刷新案」が2ページに渡って掲載され、続いて「岩本實次郎」次期校長による、「臨戦態勢」という文章が掲載されています。
:また、その次には「中島嘉之吉 会長」による「八中教学刷新案」が2ページに渡って掲載され、続いて「岩本實次郎」次期校長による、「臨戦態勢」という文章が掲載されています。
<gallery widths=250px  heights=350px >
File:同窓會會報_第14号_005_中島会長_八中教学刷新案01.jpg| <div style="text-align:center; > 中島会長「八中教学刷新案」01 </div>
File:同窓會會報_第14号_006_中島会長_八中教学刷新案02.jpg| <div style="text-align:center; > 中島会長「八中教学刷新案」02</div>
File:同窓會會報_第14号_007_岩本先生_臨戦態勢01.jpg| <div style="text-align:center; > 岩本先生「臨戦態勢」01 </div>
File:同窓會會報_第14号_008_岩本先生_臨戦態勢02.jpg| <div style="text-align:center; > 岩本先生「臨戦態勢」02</div>
</gallery>
<br>
<br>
:同窓会会長は、現役の校長先生が兼務(後掲の「同窓会会則 第5条」に「本會會長ニハ母校校長を推戴ス」と記載)。
:同窓会会長は、現役の校長先生が兼務(後掲の「同窓会会則 第5条」に「本會會長ニハ母校校長を推戴ス」と記載)。
:実務は「幹事長」が取り仕切っていた。
:実務は「幹事長」が取り仕切っていた。
:「噫<ref>「噫」は「ああ」と読む。詠嘆・呼びかけの言葉。</ref> ○○君」という追悼文のタイトルが並ぶ中に「仲田英之」さんの「幹事長の弁」という「新幹事長就任」の文章がある。
:「噫<ref>「噫」は「ああ」と読む。詠嘆・呼びかけの言葉。</ref> ○○君」という追悼文のタイトルが並ぶ中に「仲田英之」さんの「幹事長の弁」という「新幹事長就任」の文章がある。
<br>
<gallery widths=250px  heights=350px >
File:同窓會會報_第14号_008a_幹事長の弁01.jpg| <div style="text-align:center; > 幹事長の弁 01 </div>
File:同窓會會報_第14号_008b_幹事長の弁02.jpg| <div style="text-align:center; > 幹事長の弁 02 </div>
</gallery>
:発行者は「東京府立第八中学校同窓会」となっており、「菊桜会」という名称になったのは戦後のようです(詳細は現在調査中)。
:発行者は「東京府立第八中学校同窓会」となっており、「菊桜会」という名称になったのは戦後のようです(詳細は現在調査中)。
<br>
<br>
:かなり分厚い「会報」であり、現在の会報とは型式が異なるが、前半77ページで「編集後記」と「奥付」となっている。
:かなり分厚い「会報」であり、現在の会報とは型式が異なるが、前半77ページで「編集後記」と「奥付」となっている。
:次ページは、「第15号」の原稿募集、その次に「赤いページ」で「会員名簿」となっていて、以降は「同窓会会則」に続き、教職員、旧教職員、そして卒業生の名簿が「第1回卒業生」から掲載されている。
:次ページは、「第15号」の原稿募集、その次に「赤いページ」で「会員名簿」となっていて、以降は「同窓会会則」に続き、教職員、旧教職員、そして卒業生の名簿が「第1回卒業生」から掲載されている。
<br>
<gallery widths=250px  heights=350px >
File:同窓會會報_第14号_009_編集後記_奥付.jpg| <div style="text-align:center; > 編集後記 奥付 </div>
File:同窓會會報_第14号_009a_第15号原稿募集.jpg| <div style="text-align:center; > 会報 第15号原稿募集</div>
File:同窓會會報_第14号_010_会員名簿_目次.jpg| <div style="text-align:center; > 会員名簿 目次 </div>
File:同窓會會報_第14号_011_同窓会会則.jpg| <div style="text-align:center; > 同窓会会則</div>
</gallery>
:ここから見ていくと、
:ここから見ていくと、
:昭和3年卒業の「第1回生」はこの時点(ほぼ14年後の昭和17年1月末)で202名中30名が死亡。
:昭和3年卒業の「第1回生」はこの時点(ほぼ14年後の昭和17年1月末)で202名中30名が死亡。

2023年12月2日 (土) 16:48時点における版

(編集中) (編集完了)

1941(昭和16)年度

できごと 詳細・引用・寄稿
4月 2日 始業式

4月 3日 健康診断
4月XX~XX日 開校記念日
5月 4日 春の遠足
5月XX日 中間考査
5月XX~XX日 PTA総会
5月XX日 3年ア・テスト
6月XX~XX日 期末考査 生徒総会
6月XX日 終業式
7月X~XX日 林間学校


9月1日 始業式
9月2日~4日 ア・テスト
9月9日~11日 水泳大会
9月XX~XX日 運動会、X・X日代休
10月XX~XX日  中間考査
11月XX~XX日 2年修学旅行
11月XX日~XX日 3年ア・テスト
11月XX日 生徒総会
12月XX~XX日 期末考査
12月XX日 終業式


1月X日 始業式
1月X~XX日 1・2年ア・テスト
1月XX日 3年ア・テスト
1月XX日 ロードレース
3月X~XX日 期末考査
3月 8日 卒業式 中八回生(男子190名)
3月XX日 終業式

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(「XX周年記念誌」PYY)

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(「創立XX周年記念誌」PYYY)

世 相

8月8日 学校報国隊の編成を指令
10月15日 ゾルゲ事件
12月8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争始まる

流行語-八紘一宇
流行歌-船頭さん・オウマ



できごと

4月 府立第八中学校入学式 中19回生(男子2XX名、A~F組の6クラス)
8月31日 午後6時より図書館にて第14回同窓会総会開催 (総会の詳細は「同窓會會報 第14号」P75掲載)
9月 学校報國団結成
10月 8日 学芸会
10月10日 鍛錬運動大会
12月 8日 真珠湾攻撃、マレー半島上陸
12月 8日 教練査問:「優良」の成績 
1月15日 「報國団雑誌 第18号」発行
1月31日 「同窓會會報 第14号」発行
3月 5日 卒業式 中15回生(男子215名)

教職員

職名 担任学科 氏 名 就 任 本籍地[1]
学校長 岡田 藤十郎 1923/01/15 愛知県
配属将校[2] 内田 辰雄 1927/03/16 熊本県
教諭 修身 修身 岩崎源兵衛 1923/03/15 東京府
修身、国漢 鈴木 鶴吉 1926/03/31 茨城県
修身、国漢、法経 岩本 實次郎 1923/04/12 愛知県
国漢 臼杵 東峻 1923/04/05 熊本県
手塚 昇 1924/03/31 栃木県
尾見 修一 1926/03/31 茨城県
宮下 幸平 1927/03/31 群馬県
田波 又男 1927/03/31 栃木県
岸本 美之留 1930/04/07 東京府
高野 正巳 1930/09/19 長野県
国漢(習字) 斎藤 梅雄 1924/03/31 東京府
社会 地理 児玉 貞臣 1923/02/23 島根県
歴史 山本 義夫 1924/03/31 長野県
甲藤 太郎 1926/03/31 高知県
歴史、地理 都築 秀徳 1925/03/31 高知県
数学 栗原 善範 1923/04/30 神奈川県
飯野 兼八 1924/03/31 東京府
高輪 休郎 1925/05/15 東京府
崎谷 巖 1926/03/31 栃木県
沼尻 源一郎 1927/03/31 茨城県
理科 博物[3] 北見 宗吉 1923/04/05 東京府
一瀬 義行 1925/03/31 東京府
物化 桑野 達平 1925/03/31 福岡県
峯岸 政之助 1930/03/31 埼玉県
英語 伊藤 義末 1923/03/30 千葉県
大伴 峻 1924/03/31 東京府
斎藤 幸之助 1926/03/31 埼玉県
川波 千尋 1926/03/31 福岡県
百田 治朗 1926/03/31 山梨 県
大竹 健夫 1927/03/31 東京府
体操 加藤 譲 1923/04/10 岐阜県
岐部 信之助 1924/02/11 静岡県
市野 保 1924/03/31 東京府
峰岸 徳哉 1927/03/31 群馬県
芸術 図画 麻生 秀二 1923/03/31 東京府
唱歌 松井 力 1925/03/31 東京府
嘱託・学校医
教科 氏名 就任 本籍地
嘱託 国漢 龜山 與市 1925/06/20 岐阜県
斎藤 芳滋 1927/03/31 東京府
福村 清 1929/03/31 大分県
数学 奈良 善雄 1926/03/31 青森県
赤沼 實 1929/10/09 長野県
理科 博物 岸谷 貞治郎 1925/03/31 大阪府
英語 佐藤 浩 1924/03/31 山形県
ヘンリー・マーフォート・ケーリー 1926/04/01 米国
長見 久堅 1929/03/31 島根県
山口 孝 1929/04/09 千葉県
体操 森田 文十郎 1925/03/31 埼玉県
佐藤 留五郎 1927/03/31 福島県
芸術 図画 吉田 雄司 1927/05/09 千葉県
学校医 岡田 省三 1926/09/18 東京府
書記
職 名 氏 名 就 任 本籍地
書記 佐藤 正男 1924/02/20 東京府
永山 政信 1924/04/05 茨城県
平野 義包 1927/03/15 愛知県


学芸会

10月8日(水)午前9時より

(宮城遙拝黙祷の後)
1. 音楽
2. 支那人と處:2B 宮川丈二
3. 戦火に見る皇道精神:1A 黒川 尚
4. 谷川岳登山:1F 小島良策
5. ベルギー:3B 中村正巳
6. 詩吟:2B 森下昭平
7. 厳島:1F 村川秀雄
8. 音楽
9. 葉の毛管現象について:1F 土井洋三
10. 武蔵の野辺:2C 斎藤俊重
  立派な態度で、声も明瞭であり、熱情溢れるばかりで聴者を自ら陶酔させた。
11. 鴨鉱山:2F 岸 英明
  落ち着きあり態度が立派である。惜しいことは、一箇の鉱山案内に終わったことで、大きく鉱山紹介に迄言及すべきだった。
12. アトリの鐘:3A 鶴見良行
13. 音楽
14. 奥日光の旅:2C 皆川達夫
  前半奥日光につき概説し、後半狼について話す。此の点着想がよい。話方も優秀で馴れた態度で数々聴衆を爆笑させた。
以下つづく(本日はここまで「報國団雑誌第18号」P110より)
閉会の辞:高橋先生




鍛錬大会

10月10日(金)午前7時半開会式。

遙拝国歌斉唱黙祷等に次ぎ「元気よくやれ」という校長先生の訓辞の後、合同体操を皮切りに、十六年度鍛錬大会の幕が切られる。




「報國団雑誌 第18号」

「報國団雑誌 第18号」は、1942(昭和17)年1月15日発行されました。
中17回 三宮 洋 様より寄贈いただきました。




以下の「報國団雑誌 第18号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「報國団雑誌 第18号」全文表示「報國団雑誌 第18号」全文

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 「報國団雑誌 第18号」PDFファイルへのリンク






「同窓會會報 第14号」

「校友会雑誌」の他に、同窓会の発行する「同窓會會報」という冊子があります。
「同窓會會報_第14号」は、1942(昭和17)年1月31日発行で、菊桜会会室に保管されていました。
「校友会雑誌」と異なり、これ一冊のみです。
真珠湾攻撃が1941年12月8日なので、その直後に編集・発行されたもので、当時の世相を色濃く反映しています。
特に、表紙にある「英魂顕彰号」にもある通り、戦没者への追悼・顕彰という目的で発行されたものです。
口絵写真には「中1回」~「中10回」までの戦死者16名の写真が「故人ノ面影」として掲載されています。
また、その次には「中島嘉之吉 会長」による「八中教学刷新案」が2ページに渡って掲載され、続いて「岩本實次郎」次期校長による、「臨戦態勢」という文章が掲載されています。


同窓会会長は、現役の校長先生が兼務(後掲の「同窓会会則 第5条」に「本會會長ニハ母校校長を推戴ス」と記載)。
実務は「幹事長」が取り仕切っていた。
「噫[4] ○○君」という追悼文のタイトルが並ぶ中に「仲田英之」さんの「幹事長の弁」という「新幹事長就任」の文章がある。
発行者は「東京府立第八中学校同窓会」となっており、「菊桜会」という名称になったのは戦後のようです(詳細は現在調査中)。


かなり分厚い「会報」であり、現在の会報とは型式が異なるが、前半77ページで「編集後記」と「奥付」となっている。
次ページは、「第15号」の原稿募集、その次に「赤いページ」で「会員名簿」となっていて、以降は「同窓会会則」に続き、教職員、旧教職員、そして卒業生の名簿が「第1回卒業生」から掲載されている。
ここから見ていくと、
昭和3年卒業の「第1回生」はこの時点(ほぼ14年後の昭和17年1月末)で202名中30名が死亡。


続いて昭和4年卒業「第2回卒業生」200名中、この時点で26名死亡。


昭和5年卒業「第3回生」194名中22名死亡
昭和6年卒業「第4回生」219名中20名死亡
昭和7年卒業「第5回生」202名中15名死亡(卒業10年後)
昭和8年卒業「第6回生」184名中20名死亡(卒業9年後)


旧制中学は5年ですから、卒業時は17歳。
ほぼ1割の生徒が卒業後10年足らずで死亡。


昭和9年卒業「第7回生」203名中7名死亡(卒業8年後)
昭和10年卒業「第8回生」214名中6名死亡(卒業7年後。享年24歳以下)
昭和11年卒業「第9回生」208名中5名死亡(卒業6年後。享年23歳以下)
昭和12年卒業「第10回生」218名中5名死亡(卒業5年後。享年22歳以下)
昭和13年卒業「第11回生」223名中5名死亡(卒業4年後。享年21歳以下)
昭和14年卒業「第12回生」218名中1名死亡(卒業3年後。享年20歳以下)
昭和15年卒業「第13回生」213名中3名死亡(卒業2年後。享年19歳以下)
昭和16年卒業「第14回生」237名(卒業1年後。18歳では死亡ゼロ)


もちろん、全員が戦没者ということではないでしょうが、極めて「おそろしい」数字です。
そして、この後、敗戦の1945(昭和20)年8月までの3年半ほどの間に戦没者はさらに増加することとなります。



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卒業アルバム





関連項目

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脚注

  1. なぜか「本籍地」が記載されています。
  2. 旧日本陸軍で、学校教練のため陸軍現役将校配属令などにより官公私立の中学校、高等学校、大学予などに配属された将校。
  3. 明治、大正、昭和初期までの小学校、中学校の動植物・鉱物を内容とする教科の名称。
  4. 「噫」は「ああ」と読む。詠嘆・呼びかけの言葉。



2023年12月2日:直近編集者:NMKtakaji
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