クラス対抗駅伝

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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1956(昭和31)年

クラス対抗駅伝 1956(昭和31)年2月
高9回:畑 芳夫 さん提供
学校/洗足池、洗足池/丸子橋。丸子橋/多摩川大橋折り返しの6区で駅伝が行われた。
当時は交通量も少なく、良い時代であった。
当時の大井町線は中原街道の路面を走行しており、踏切が閉まる前に駆け抜けるよう、見張り役や、自転車で伴走する女子の指示で、ランナーは必死であった。











クラス対抗駅伝について(高9回:畑さん、萩原さんのお話し)
私たちのころには、2月にクラス対抗駅伝がありました。
1区:高校→洗足池
2区:→丸子橋
3区:→多摩川大橋で折り返し
4区:→丸子橋
5区:→洗足池
6区:→武蔵小山の踏切前がゴール
参加は1年と2年でした。
旗の台では大井町線の踏切がありました。
アンカーで洗足池から走っていたら、自転車で伴走していた女子が「踏切に電車が来る前に渡るために走れ!」と叫ばれて、上り坂を必死に走ったことがあります。
当時は駅伝の許可が取れましたが、今は絶対許可されないでしょうね。
当時は、体育の授業で2km走の体力測定をやっており、タイムが7分を切れると合格と言われ、6分で走れるとすごい、と言われました。
クラスの上位者が、この駅伝に選ばれていました。(2021年7月10日談)




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脚注:

2022年5月15日:直近編集者:Adminkoyama100
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