「加藤 楸邨」の版間の差分

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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==記事==
報告団雑誌17号P23<br>
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白菊に人聲のふと遠くなる<br>
白菊を過ぎて四五歩の暗さあり<br>
めつむればやゝ白菊の崩れけり<br>
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  教室にて<br>
教へ子の一人目をあげ青嵐<br>
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報告団雑誌18号P26.
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  星曼荼羅<br>
大野分松はどこかが光りけり<br>
鮎に星編んだらの深夜かな<br>
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  嵯峨野<br>
青竹の俄かにちかし秋の風<br>
竹の奥なほ青竹の朝焼けて<br>
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2023年12月23日 (土) 16:46時点における版

加藤 楸邨 先生 (中14回卒業アルバム)

加藤 楸邨(かとう しゅうそん、1905年5月26日 - 1993年7月3日)は、日本の俳人・国文学者。本名は健雄(たけお)。府立第八中学校 国語教諭

本校歴

1940(昭和15)年4月1日 府立八中国語教諭として赴任
1942(昭和17)年 7月 都制施行により、東京都立第八中学校と改称
1942(昭和17)年 9月15日 都立八中を退任し、都立第八女学校(現:都立八潮高校)に転任


記事

報告団雑誌17号P23

白菊に人聲のふと遠くなる
白菊を過ぎて四五歩の暗さあり
めつむればやゝ白菊の崩れけり

  教室にて
教へ子の一人目をあげ青嵐


報告団雑誌18号P26.
  星曼荼羅
大野分松はどこかが光りけり
鮎に星編んだらの深夜かな

  嵯峨野
青竹の俄かにちかし秋の風
竹の奥なほ青竹の朝焼けて


参考

中19回生作成の「篤友 会報4号」に掲載の「加藤楸邨先生と私:佐藤善信」
「加藤楸邨先生と私:佐藤善信」(下のボタンを押すと全文が表示されます)

「加藤楸邨先生と私:佐藤善信」を表示




外部サイト

【加藤楸邨の有名俳句 20選】→「俳句の教科書」サイトより

関連項目

着任:1940年 4月 1日
退任:1942年 9月15日



関連事項

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脚注: ・

2023年12月23日:直近編集者:SGyasushi
TimeStamp:20231223164648