「剣道班」の版間の差分

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(ページの作成:「'''剣道班'''は、1956年 (昭和31年) に発足した班活動。 ==発足== thumb|200px|19XX年3月卒業時の剣道班メンバー :19XX年に理科教員として着任した□□□□は権威ある○○大会に出場した選手でもあったことから熱心に生徒に剣道を勧めた。<br> :新聞「○○」XX号昭和YY年XX月ZZ日発行によると□□は6授業時間のうち3割ほどを剣道にあてる…」)
 
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'''剣道班'''は、1956年 (昭和31年) に発足した班活動。
'''剣道班'''は、1956年 (昭和31年) に発足した班活動。


==発足==
==沿革(創班から現在まで)==
[[ファイル:Sample.jpg|thumb|200px|19XX年3月卒業時の剣道班メンバー]]
:戦後のGHQによる学校教育における「剣道禁止」が解けたのち、剣道を愛好する2,3名の同好の士により小規模に活動していたが、昭和39年に正式に班長・副班長を決定し剣道班として活動することとなった。当時の活動は、校庭や屋上を使った稽古であった。その後、旧体育館が完成し、体育館で稽古を行えるようになった。初期のころは、中学までの剣道経験者やOBにより現役生を指導してきたが、昭和58年に剣道を専門とする紺野教諭が小山台高校に着任し、顧問として現役生の指導に当たることとなった。以後、途中数年間途絶えることはあったが、剣道専門の顧問が就任し、現役生を指導することになる。城南地区においてはかなりの戦績を残している。また稽古場所も新体育館棟の完成により他班と共用ではあるものの専門の武道場が併設された。  近年においては、学期中は通常朝稽古を週3回、放課後の稽古を週5回、行っている。夏休み期間中は、都立高校数校で合同合宿を実施している。また日本武道館で行われる子どもたちの試合の補助役員や同じく武道館で実施される武道始めの手伝いに参加している。
:19XX年に理科教員として着任した□□□□は権威ある○○大会に出場した選手でもあったことから熱心に生徒に剣道を勧めた。<br>
:<br>
:新聞「○○」XX号昭和YY年XX月ZZ日発行によると□□は6授業時間のうち3割ほどを剣道にあてるほど熱心だったという。
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:1956年3月に□□は小山台高校を去ったが、生徒の中で剣道熱が高まりその年に創立以来XXXつめの班として発足。
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==記念誌==
==班旗==
:19XX年 (昭和XX年) に剣道班誕生XXX周年記念『○○会(まるまるかい)』を、昭和XX年YY月XX日にはXX年を記念して『[[誕生XX年]]』を発行している。
:昭和50年度卒業生より初代班旗「不動心」が寄贈される。その後、武道場の完成とともに常時武道場の壁面に掲揚させていただいていた。製作から40数年が立ち、班旗の傷みが激しくなったので、平成26年に2代目班旗「不動心」がOBOG会より寄贈され、現在に至る。 「不動心」を題字に選んだ理由については、初代班旗を寄贈していただいた昭和50年度卒業生の相吉沢班長によると「一年の時、ひとつ上の先輩たちの試合を応援に行ったときのこと。私立の強豪校と当たりましたが、確か、引き分け3番の0-2で惜敗でした。向こうは慌てたようで、途中「都立相手にモタモタするな」という感じで注意されていました。その強豪校が会場の壁に掲げていたのが「不動心」でした。卒業記念に班旗を贈ることになった際に思いついたのがこの「不動心」。強豪校にあやかったと同時に、その意味するところに共感していました。」とのことであった。調べてみると、剣道における不動心は、心を動かさないことだけではなく、むしろ状況に素早く対応して動じないこと。先入観をすて、変化を読んで対応すること、とされているようだ。
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:また、題字については同じく昭和50年度卒の小宮班室長のご父君の揮毫によるものである。
:現役生たちはOB・OGの心がこもった班旗に見守られながら、また班旗を励みにして日々稽古に励んでいる。


:[[ファイル:初代班旗.jpg|左|サムネイル|初代班旗]][[ファイル:2代目班旗.jpg|中央|サムネイル|2代目班旗]]


==卒業生==
==卒業生==
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| 1970年(昭和45年) || 24 || 高23 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1970年(昭和45年) || 24 || 高23 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
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| 1971年(昭和46年) || 25 || 高24 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1971年(昭和46年) || 25 || 高24 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1972年(昭和47年) || 26 || 高25 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1972年(昭和47年) || 26 || 高25 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1973年(昭和48年) || 27 || 高26 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1973年(昭和48年) || 27 || 高26 || 中村賢一  || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1974年(昭和49年) || 28 || 高27 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1974年(昭和49年) || 28 || 高27 || 播谷緑 || 柳原博 ||山中湖 児島荘
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| 1975年(昭和50年) || 29 || 高28 ||   ||   ||   ||   ||    ||    
| 1975年(昭和50年) || 29 || 高28 || 相吉澤俊一 || 柳原博 || 山中湖 児島荘 ||   ||    ||    
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| 1976年(昭和51年) || 30 || 高29 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1976年(昭和51年) || 30 || 高29 || 桑山一也 || 柳原博 ||山中湖 児島荘
|   ||    ||    
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| 1977年(昭和52年) || 31 || 高30 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1977年(昭和52年) || 31 || 高30 || 池田伸彦 || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1978年(昭和53年) || 32 || 高31 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1978年(昭和53年) || 32 || 高31 || 星野谷哲 || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1979年(昭和54年) || 33 || 高32 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1979年(昭和54年) || 33 || 高32 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1980年(昭和55年) || 34 || 高33 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1980年(昭和55年) || 34 || 高33 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1981年(昭和56年) || 35 || 高34 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1981年(昭和56年) || 35 || 高34 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1982年(昭和57年) || 36 || 高35 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1982年(昭和57年) || 36 || 高35 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1983年(昭和58年) || 37 || 高36 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1983年(昭和58年) || 37 || 高36 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1984年(昭和59年) || 38 || 高37 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1984年(昭和59年) || 38 || 高37 ||   || 柳原博 ||    ||   ||    ||    
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| 1985年(昭和60年) || 39 || 高38 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1985年(昭和60年) || 39 || 高38 ||   || 紺野正紀 ||    ||   ||    ||    
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| 1986年(昭和61年) || 40 || 高39 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1986年(昭和61年) || 40 || 高39 ||   ||紺野正紀
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| 1987年(昭和62年) || 41 || 高40 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1987年(昭和62年) || 41 || 高40 ||   ||紺野正紀
|    ||   ||    ||    
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| 1988年(昭和63年) || 42 || 高41 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1988年(昭和63年) || 42 || 高41 ||   ||紺野正紀
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| 1989年(平成元年) || 43 || 高42 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1989年(平成元年) || 43 || 高42 ||   ||紺野正紀
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| 1990年(平成 2年) || 44 || 高43 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1990年(平成 2年) || 44 || 高43 ||   ||紺野正紀
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| 1991年(平成 3年) || 45 || 高44 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1991年(平成 3年) || 45 || 高44 ||   ||紺野正紀
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| 1992年(平成 4年) || 46 || 高45 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1992年(平成 4年) || 46 || 高45 ||   ||紺野正紀
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| 1993年(平成 5年) || 47 || 高46 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1993年(平成 5年) || 47 || 高46 ||   ||紺野正紀
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| 1994年(平成 6年) || 48 || 高47 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
| 1994年(平成 6年) || 48 || 高47 ||   ||   ||    ||   ||    ||    
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==OB・OG会==
==OB・OG会==
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卒業生は卒業後も剣道を続ける者が多く、高段者が多いのがOB・OG会の特徴である。平成26年に小山台会館において初代から大学生までの50名ほどが集まり、大規模なOB会を実施した。
 
また月に1回現役生との稽古会を実施している。<br>
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2022年12月17日 (土) 17:37時点における最新版

剣道班は、1956年 (昭和31年) に発足した班活動。

沿革(創班から現在まで)

戦後のGHQによる学校教育における「剣道禁止」が解けたのち、剣道を愛好する2,3名の同好の士により小規模に活動していたが、昭和39年に正式に班長・副班長を決定し剣道班として活動することとなった。当時の活動は、校庭や屋上を使った稽古であった。その後、旧体育館が完成し、体育館で稽古を行えるようになった。初期のころは、中学までの剣道経験者やOBにより現役生を指導してきたが、昭和58年に剣道を専門とする紺野教諭が小山台高校に着任し、顧問として現役生の指導に当たることとなった。以後、途中数年間途絶えることはあったが、剣道専門の顧問が就任し、現役生を指導することになる。城南地区においてはかなりの戦績を残している。また稽古場所も新体育館棟の完成により他班と共用ではあるものの専門の武道場が併設された。 近年においては、学期中は通常朝稽古を週3回、放課後の稽古を週5回、行っている。夏休み期間中は、都立高校数校で合同合宿を実施している。また日本武道館で行われる子どもたちの試合の補助役員や同じく武道館で実施される武道始めの手伝いに参加している。

班旗

昭和50年度卒業生より初代班旗「不動心」が寄贈される。その後、武道場の完成とともに常時武道場の壁面に掲揚させていただいていた。製作から40数年が立ち、班旗の傷みが激しくなったので、平成26年に2代目班旗「不動心」がOBOG会より寄贈され、現在に至る。 「不動心」を題字に選んだ理由については、初代班旗を寄贈していただいた昭和50年度卒業生の相吉沢班長によると「一年の時、ひとつ上の先輩たちの試合を応援に行ったときのこと。私立の強豪校と当たりましたが、確か、引き分け3番の0-2で惜敗でした。向こうは慌てたようで、途中「都立相手にモタモタするな」という感じで注意されていました。その強豪校が会場の壁に掲げていたのが「不動心」でした。卒業記念に班旗を贈ることになった際に思いついたのがこの「不動心」。強豪校にあやかったと同時に、その意味するところに共感していました。」とのことであった。調べてみると、剣道における不動心は、心を動かさないことだけではなく、むしろ状況に素早く対応して動じないこと。先入観をすて、変化を読んで対応すること、とされているようだ。
また、題字については同じく昭和50年度卒の小宮班室長のご父君の揮毫によるものである。
現役生たちはOB・OGの心がこもった班旗に見守られながら、また班旗を励みにして日々稽古に励んでいる。
初代班旗
2代目班旗

卒業生





活動記録一覧

年 度(4月~3月) 周年 卒業回 班 長 顧 問 合 宿 OB・OG会 活動記録 特記事項
1956年(昭和31年) 10 高9         剣道班設立  
1957年(昭和32年) 11 高10            
1958年(昭和33年) 12 高11            
1959年(昭和34年) 13 高12            
1960年(昭和35年) 14 高13            
1961年(昭和36年) 15 高14            
1962年(昭和37年) 16 高15            
1963年(昭和38年) 17 高16            
1964年(昭和39年) 18 高17            
1965年(昭和40年) 19 高18            
1966年(昭和41年) 20 高19            
1967年(昭和42年) 21 高20            
1968年(昭和43年) 22 高21            
1969年(昭和44年) 23 高22            
1970年(昭和45年) 24 高23            
1971年(昭和46年) 25 高24   柳原博        
1972年(昭和47年) 26 高25   柳原博        
1973年(昭和48年) 27 高26 中村賢一  柳原博        
1974年(昭和49年) 28 高27 播谷緑 柳原博 山中湖 児島荘      
1975年(昭和50年) 29 高28 相吉澤俊一 柳原博 山中湖 児島荘      
1976年(昭和51年) 30 高29 桑山一也 柳原博 山中湖 児島荘      
1977年(昭和52年) 31 高30 池田伸彦 柳原博        
1978年(昭和53年) 32 高31 星野谷哲 柳原博        
1979年(昭和54年) 33 高32   柳原博        
1980年(昭和55年) 34 高33   柳原博        
1981年(昭和56年) 35 高34   柳原博        
1982年(昭和57年) 36 高35   柳原博        
1983年(昭和58年) 37 高36   柳原博        
1984年(昭和59年) 38 高37   柳原博        
1985年(昭和60年) 39 高38   紺野正紀        
1986年(昭和61年) 40 高39   紺野正紀        
1987年(昭和62年) 41 高40   紺野正紀        
1988年(昭和63年) 42 高41   紺野正紀        
1989年(平成元年) 43 高42   紺野正紀        
1990年(平成 2年) 44 高43   紺野正紀        
1991年(平成 3年) 45 高44   紺野正紀        
1992年(平成 4年) 46 高45   紺野正紀        
1993年(平成 5年) 47 高46   紺野正紀        
1994年(平成 6年) 48 高47            
1995年(平成 7年) 49 高48            
1996年(平成 8年) 50 高49            
1997年(平成 9年) 51 高50            
1998年(平成10年) 52 高51            
1999年(平成11年) 53 高52            
2000年(平成12年) 54 高53            
2001年(平成13年) 55 高54            
2002年(平成14年) 56 高55            
2003年(平成15年) 57 高56            
2004年(平成16年) 58 高57            
2005年(平成17年) 59 高58     7/26~7/30 □□県△△      
2006年(平成18年) 60 高59     7/26~7/30 □□県△△      
2007年(平成19年) 61 高60            
2008年(平成20年) 62 高61            
2009年(平成21年) 63 高62     8/3~8/7 □□県△△      
2010年(平成22年) 64 高63            
2011年(平成23年) 65 高64            
2012年(平成24年) 66 高65     7/30~8/3 □□県△△      
2013年(平成25年) 67 高66     7/30~8/3 □□県△△      
2014年(平成26年) 68 高67     7/30~8/3 □□県△△      
2015年(平成27年) 69 高68     7/31~8/3 □□県△△      
2016年(平成28年) 70 高69     □□県△△    記念祝賀会  
2017年(平成29年) 71 高70     7/21~7/24 □□県△△   総会・懇親会  
2018年(平成30年) 72 高71            
2019年(令和元年) 73 高72            
2020年(令和 2年) 74 高73            
2021年(令和 3年) 75 高74            
2022年(令和 4年) 76 高75            
2023年(令和 5年) 77 高76            
2024年(令和 6年) 78 高77            




夢の応援基金



OB・OG会

卒業生は卒業後も剣道を続ける者が多く、高段者が多いのがOB・OG会の特徴である。平成26年に小山台会館において初代から大学生までの50名ほどが集まり、大規模なOB会を実施した。

また月に1回現役生との稽古会を実施している。






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脚注: 


2022年12月17日:直近編集者:OZyukihiro
TimeStamp:20221217173714