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(編集中)<!-- 歴代校長の写真は図書室にあるアルバムからスキャンすること -->[[ファイル:Example.jpg|thumb|200px|井上 隆校長]]'''井上 隆'''(いのうえ たかし、2022年4月1日 - 20XX年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(第22代)
<!-- 歴代校長の写真は図書室にあるアルバムからスキャンすること -->[[ファイル:井上隆校長.JPG|thumb|250px|井上 隆 第22代校長]]
 
'''井上 隆'''(いのうえ たかし、2022年4月1日 - 20XX年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(第22代)
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== 本校歴 ==
== 本校歴 ==
:1938(昭和13)年5月28日 全校マラソンを実施(多摩川堤)する。
:2022年4月1日 着任。
:1939年 4月   夜間中学は第1学年より2学級編成となる。 
:現職の校長 
:     4月   補習科の設置を再開する。(1945年3月まで)
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:1967年  2月23日 指定時(修学旅行、団体行事など)の着用とする。 
:
:1967年  2月23日 昭和43年度入学希望者から学校群制度を実施するための第1回学力検査が行われる。本校は東京都立田園調布高校と第14群を編成する。
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:1967年 3月     「財団法人小山台」名義の体育館、プールを都に寄付(体育館・プール敷地を無償で50年間都に貸与)する。
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==エピソード==
    '''小山台 Style「夢を諦めない」'''


  武蔵小山駅を出るとグラウンドから「カッキーン、カッキーン」と野球班のトスバッティングの音、正門から歩く途中で「おはようございます」の挨拶の声、職員玄関を入るとピアノの演奏、さらに廊下を行くとどこからか聞こえる誰かが歌うハーモニー。駅から校長室までの間に耳に届く小山台高校の朝の音色です。運動会の前には、応援練習をする生徒の声が、合唱コンクール前には校歌と課題曲が校内に溢れます。生徒は、先輩たちが築いた班活動や学校行事の伝統を受け継ぎながら、活発に活動しています。本校は大正12年に東京府立第八中学校として開校しました。『品川区史 通史編 下巻』を紐解くと、開校した年には校舎が完成しておらず、前年にできたばかりの三木小学校の一部を借りて授業が行われ、翌13年4月から小山校舎での授業が始まったとあります。また、当時八中に集まる生徒は地元の荏原郡のみでなく、旧市内からの者も多く、通学範囲はかなり広かったとあります。さらに、初代岡田校長は生徒個々人の素質・個性の発揮、伸長を基調とした人格教育を理想として教育を実践したとあります。この後、昭和23年に東京都立第八新制高等学校、昭和25年からは東京都立小山台高等学校として、現在に至っています。本校のスクール・ミッションは、知的好奇心を高める授業、キャリア教育、班活動、国際交流の推進といった教育活動を通じて、高い志をもって自らの進路を追求する生徒、学習と行事や班活動の両立に全力で取組む生徒、広い視野をもち国際社会で活躍する生徒を育成することです。このミッションは、初代校長の教育方針を受け継ぐものであります。本校は、平成19年度にはじめて東京都教育委員会から「進学指導特別推進校」の指定を受けました。この間、難関国公立大学、国公立大学、難関私立大学を目指す進学指導に重点を置き、平成28年度からは毎年国公立大学に100人を超える合格者を出しており、近年は120名に迫る勢いです。これは本校の3年間の教育活動を通して培った資質・能力や高い志、最後まで夢を諦めない生徒たちの工夫や努力によるものだと思います。また、本校のすべての教職員が真摯に、丁寧に、情熱をもって教育活動に取り組んでいることによる成果であると思います。令和2年から新型コロナウイルス感染症予防対策として全国の学校が一斉休業となりました。第75期生の入学式をはじめ、合唱コンクール、寒菊祭、修学旅行など本校の伝統ある学校行事を残念なことに中止せざるを得ない状況でした。このコロナ感染症による学校教育への影響は現在も少なからず続いておりますが、生徒と教職員で知恵を出し合い、保護者の皆様の協力の下、コロナ禍前の学校生活を取り戻しつつあります。そして、何よりも生徒の皆さんの努力のおかげで伝統ある学校行事が先輩から後輩へと途切れることなく継続されることを大変喜ばしく思います。大きな節目の年を迎え、本校は生徒、保護者、地域の方、小山台教育財団、教職員が力を一つにして新たなステップを踏み出しました。本校は小山台スタイル「夢を諦めない」、生徒の夢を叶える学校であり続けます。(井上 隆 百周年~この十年の歩み~ より)


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*[[歴代校長| 「歴代校長一覧へ」]]
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:着任:19XX年4月1日
:着任:2022年4月1日
:退任:19XX年3月31日
:退任:20XX年3月31日
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!前 任
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|[[大田原 弘幸]]
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[[1935年度 (昭和10年度)|2022年度 (令和4年度)]]
 
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2023年11月25日 (土) 11:33時点における最新版

井上 隆 第22代校長

井上 隆(いのうえ たかし、2022年4月1日 - 20XX年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(第22代)

本校歴

2022年4月1日 着任。
現職の校長 



エピソード

    小山台 Style「夢を諦めない」
  武蔵小山駅を出るとグラウンドから「カッキーン、カッキーン」と野球班のトスバッティングの音、正門から歩く途中で「おはようございます」の挨拶の声、職員玄関を入るとピアノの演奏、さらに廊下を行くとどこからか聞こえる誰かが歌うハーモニー。駅から校長室までの間に耳に届く小山台高校の朝の音色です。運動会の前には、応援練習をする生徒の声が、合唱コンクール前には校歌と課題曲が校内に溢れます。生徒は、先輩たちが築いた班活動や学校行事の伝統を受け継ぎながら、活発に活動しています。本校は大正12年に東京府立第八中学校として開校しました。『品川区史 通史編 下巻』を紐解くと、開校した年には校舎が完成しておらず、前年にできたばかりの三木小学校の一部を借りて授業が行われ、翌13年4月から小山校舎での授業が始まったとあります。また、当時八中に集まる生徒は地元の荏原郡のみでなく、旧市内からの者も多く、通学範囲はかなり広かったとあります。さらに、初代岡田校長は生徒個々人の素質・個性の発揮、伸長を基調とした人格教育を理想として教育を実践したとあります。この後、昭和23年に東京都立第八新制高等学校、昭和25年からは東京都立小山台高等学校として、現在に至っています。本校のスクール・ミッションは、知的好奇心を高める授業、キャリア教育、班活動、国際交流の推進といった教育活動を通じて、高い志をもって自らの進路を追求する生徒、学習と行事や班活動の両立に全力で取組む生徒、広い視野をもち国際社会で活躍する生徒を育成することです。このミッションは、初代校長の教育方針を受け継ぐものであります。本校は、平成19年度にはじめて東京都教育委員会から「進学指導特別推進校」の指定を受けました。この間、難関国公立大学、国公立大学、難関私立大学を目指す進学指導に重点を置き、平成28年度からは毎年国公立大学に100人を超える合格者を出しており、近年は120名に迫る勢いです。これは本校の3年間の教育活動を通して培った資質・能力や高い志、最後まで夢を諦めない生徒たちの工夫や努力によるものだと思います。また、本校のすべての教職員が真摯に、丁寧に、情熱をもって教育活動に取り組んでいることによる成果であると思います。令和2年から新型コロナウイルス感染症予防対策として全国の学校が一斉休業となりました。第75期生の入学式をはじめ、合唱コンクール、寒菊祭、修学旅行など本校の伝統ある学校行事を残念なことに中止せざるを得ない状況でした。このコロナ感染症による学校教育への影響は現在も少なからず続いておりますが、生徒と教職員で知恵を出し合い、保護者の皆様の協力の下、コロナ禍前の学校生活を取り戻しつつあります。そして、何よりも生徒の皆さんの努力のおかげで伝統ある学校行事が先輩から後輩へと途切れることなく継続されることを大変喜ばしく思います。大きな節目の年を迎え、本校は生徒、保護者、地域の方、小山台教育財団、教職員が力を一つにして新たなステップを踏み出しました。本校は小山台スタイル「夢を諦めない」、生徒の夢を叶える学校であり続けます。(井上 隆 百周年~この十年の歩み~ より)



関連項目

着任:2022年4月1日
退任:20XX年3月31日
前 任 在 任 後 任
大田原 弘幸

2022年度 (令和4年度)

2023年度(令和5年度)


 



関連事項

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脚注: ・

2023年11月25日:直近編集者:Inorio
TimeStamp:20231125113328