「ラグビー班」の版間の差分

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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==発足==
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[[ファイル:Sample.jpg|thumb|200px|19XX年3月卒業時のラグビー班メンバー]]
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:以下は「高4回会報 第29・最終号」P21記載の「小山台高校ラグビー版創設の頃の思い出:飯沼 武」より転載。
:以下は「高4回会報 第29・最終号」P21記載の「小山台高校ラグビー班創設の頃の思い出:飯沼 武」より転載。
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:ラグビー班は野球やサッカーやバレーボールの班と比較すると、新しく、昭和24年に創設されたのです。
:ラグビー班は野球やサッカーやバレーボールの班と比較すると、新しく、昭和24年に創設されたのです。
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:全文は、[[高4回#「小山台高4回会報 第29・最終号」|「高4回」のページの「小山台高4回会報 第29・最終号」]]のDropboxリンクP21をご覧ください。
:全文は、[[高4回#「小山台高4回会報 第29・最終号」|「高4回」のページの「小山台高4回会報 第29・最終号」]]のDropboxリンクP21をご覧ください。
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==活動記録一覧==
==活動記録一覧==
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ファイル:TutidaJiro_012.jpg|
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ファイル:TutidaJiro_013.jpg|土田二朗さん提供
ファイル:TutidaJiro_013.jpg|土田二朗さん提供
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<br>以下の写真は「高22回」○○さん提供
<br><div style="text-align:left">当日の概要: 教育大保谷グランドに到着後、反対側にデカい体格のラグビー集団がいたので、てっきり教育大学ラグビー部?とみんなで話していた。ところが今日の対戦相手と分かって、少しヤバイと感じていた。<br>
 相手は2年前の花園全国大会の東京代表でベスト8まで行ったチームなのでちょっと暗い気持ちになっていた。<br>
 開始早々、マイボールラインアウトで9番山田がスルリと抜けて土田にパス。そのまま中央にトライとなった。試合開始後は、2年前の東京代表でも何とかなると思ったのだろう。みんなバンバンと戦った。相手も少し「都立高校」を舐めていたのかも知れない。あるいは3回戦で当たる予定の目黒高校のことを考えていたのかも....<br>
 高22回のラグビー班で一番思い出に残る試合が大東文化大学第一高等学校戦だと思います。2年生マネージャーの河原崎君が引き当てた関東大会予選組合せは一回戦は大東文化大学第一高等学校、二回戦は都立大森とどこかの勝者、三回戦は順当ならば目黒高校という素晴らしい組み合わせでした。目黒はその年の花園で初優勝したチームで、大学で明治大学と対戦したメンバーが何人かいました。関東大会以後、小山台に結構強そうなこうこうからの対戦申込があったそうです。断るのに苦労したそうです。</div><br>
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ファイル:690420_001a_対大東文化大第1高校_ポジション表.jpg|大東文化大第1高校_ポジション表
ファイル:690420_001b_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真1:前半開始、緊張のキックオフ<br>写真2:マイボールラインアウトで土田→山田 するっと抜けて相手バックに回り→土田にパス<br>写真3:そのまま中央にトライ</div>
ファイル:690420_002a_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真4:新田がゴールキック、どうやら全く外れたようですね<br>写真5:デカい相手とのスクラム 小山台のプロップ陣は強固でしっかりと組める為、押されることはなかったと思う<br>写真6:我が軍のスクラムの方がまとまりがよさそうですね</div>
ファイル:690420_002b_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真7:姿勢も相手より低い姿勢ですね スタンドオフ香月とセンター幸田で何やら打ち合わせているようです<br>写真8:スムーズにボールが出たようでハーフ山田のパスも香月の少し前に投げる理想のコースです<br>写真9:ラインアウトの攻防、相手もしっかりと組んでいる 昔は持ち上げると反則 諏訪・新田</div>
ファイル:690420_003a_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真10:1mルールが出来る前なので間隔を詰めているのが懐かしいですね 新田・小林・山本・土田・北林・ハーフ山田 この写真は大アルバム最終ページにあります<br>写真11:ラインアウトジャンプ一発 土田 バックしているのが松山<br>写真12:フォワードの攻防、相手は結構デカいので苦労しました</div>
ファイル:690420_003b_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真13:後ろに見える教育大学ラグビー部の部室 今見ると文化遺産ですね 現在は文理公園になっています<br>写真14:幸田の鋭いステップで相手を翻弄しているシーン 河村もしっかりフォローしています<br>写真15:竹原の疾走とフォローする土田 この写真の原板は大アルバム最終ページにあります</div>
ファイル:690420_004a_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真16:新田のゴールキック、これはど真ん中だから入ったでしょう<br>写真1:後半開始 後姿の室伏さんも気が気でなかったと思います。<br>写真2:後半はハイパントが多いですね</div>
ファイル:690420_004b_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真3:相手もそろそろヤバイと思い始めていたかも</div>
ファイル:690420_005a_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真4:懐かしいルーススクラム<br>写真5:諏訪にロングスローイング、新田ブレーク、小林サインミスか。北村ボール見つめ、土田・河村はブレーク<br>写真6:昔懐かしいルーススクラムでのボールの奪い合い、今見ると結構な肉弾戦です</div>
ファイル:690420_005b_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真7:相手11番ウイングを倒しそこに集まっているが、相手優勢か<br>写真8:14番ウイング2年生米山の疾走 元陸上選手で途中入班で経験少ないですがパワフルな選手です<br>写真9:後半のトライで室伏さんも応援に力が入ります</div>
ファイル:690420_006a_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真10:次のトライで室伏さんも一安心か 室伏さんは熱心に指導してくれたので良い恩返しです<br>写真11:勝利して喜んで帰ってくるところ<br>写真12:左から香月・並木・新田・土田・熊谷(学生服)・酒井までは見当つきました 室伏さん嬉しそうです</div>
ファイル:690420_006b_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真13:土田・松山・小林・諏訪・山田・室伏さん<br>写真14:宮田先生を囲んで ほとんど日常は来られませんがいい時に来ていただきました<br>写真15:北林の嬉しそうな顔</div>
ファイル:690420_007_大東文化大第1高校との試合.jpg|<div style="text-align:left">写真16:土田と北林<br>写真17:青野キャプテン、山崎、熊谷 負傷欠場で悔しかったかもしれませんが嬉しそうです</div>
ファイル:690420_008_大東文化大第1高校_写真説明文.jpg|
ファイル:690420_009_関東大会予選_ポジション表.jpg|
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ファイル:高28回 ラグビー班 099.jpg|
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ファイル:高28回 ラグビー班 100.jpg|
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ファイル:高28回 ラグビー班 101.jpg|道家 裕さん提供
ファイル:高28回 ラグビー班 101.jpg|
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:◯高28回OB会 2023(令和5)年8月19日(土)不動前ぬの川にて
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ファイル:高28回ラグビー班230806.jpg|道家 裕さん提供
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2023年10月30日 (月) 22:30時点における最新版

ラグビー班は、1949年 (昭和24) に発足した班活動。

発足

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19XX年3月卒業時のラグビー班メンバー
以下は「高4回会報 第29・最終号」P21記載の「小山台高校ラグビー班創設の頃の思い出:飯沼 武」より転載。


ラグビー班は野球やサッカーやバレーボールの班と比較すると、新しく、昭和24年に創設されたのです。
その当時、私たちは併設中学の3年生から新制の都立小山台高校1年生に進学したばかりでした。実際に、ラグビー班を創ったのは3年だった渡辺さん、秋元さんたちでした。
2年生には田中宏之助さんがおられました。(中略)
当時の小山台高校のグラウンドは石ころが多く、とても悪い状態でした。タックルの練習をすると擦り傷が絶えませんでした。
そこで、先輩たちの配慮で大岡山の東京工業大学のグラウンドを使って練習をやりました。その時は東工大のラグビー選手だった菱田さんという方が我々の面倒をみてくださって、実質的な監督だったようです。
試合のことは余り覚えていませんが、麻布高校とは何回か試合したように思います。当時は創部間もない頃なので東京でも弱い方だったと思います。(後略)


全文は、「高4回」のページの「小山台高4回会報 第29・最終号」のDropboxリンクP21をご覧ください。


活動記録一覧

年 度(4月~3月) 周年 在籍回 班 長 顧 問 合 宿 OB・OG会 活動記録 特記事項
1949年(昭和24年) 3 高2-4         ラグビー班創設   
1950年(昭和25年) 4 高3-5            
1951年(昭和26年) 5 高4-6            
1952年(昭和27年) 6 高5-7            
1953年(昭和28年) 7 高6-8            
1954年(昭和29年) 8 高7-9            
1955年(昭和30年) 9 高8-10            
1956年(昭和31年) 10 高9-11            
1957年(昭和32年) 11 高10-12            
1958年(昭和33年) 12 高11-13            
1959年(昭和34年) 13 高12-14            
1960年(昭和35年) 14 高13-15            
1961年(昭和36年) 15 高14-16            
1962年(昭和37年) 16 高15-17            
1963年(昭和38年) 17 高16-18            
1964年(昭和39年) 18 高17-19            
1965年(昭和40年) 19 高18-20            
1966年(昭和41年) 20 高19-21       6月「ラグビー班OB会」発足  10月 OB会誌「青空」創刊号発行  
1967年(昭和42年) 21 高20-22        
昭和42年
1968年(昭和43年) 22 高21-23        
昭和43年
 
1969年(昭和44年) 23 高22-24        
昭和44年


以下の写真は「高22回」○○さん提供


当日の概要: 教育大保谷グランドに到着後、反対側にデカい体格のラグビー集団がいたので、てっきり教育大学ラグビー部?とみんなで話していた。ところが今日の対戦相手と分かって、少しヤバイと感じていた。

 相手は2年前の花園全国大会の東京代表でベスト8まで行ったチームなのでちょっと暗い気持ちになっていた。
 開始早々、マイボールラインアウトで9番山田がスルリと抜けて土田にパス。そのまま中央にトライとなった。試合開始後は、2年前の東京代表でも何とかなると思ったのだろう。みんなバンバンと戦った。相手も少し「都立高校」を舐めていたのかも知れない。あるいは3回戦で当たる予定の目黒高校のことを考えていたのかも....

 高22回のラグビー班で一番思い出に残る試合が大東文化大学第一高等学校戦だと思います。2年生マネージャーの河原崎君が引き当てた関東大会予選組合せは一回戦は大東文化大学第一高等学校、二回戦は都立大森とどこかの勝者、三回戦は順当ならば目黒高校という素晴らしい組み合わせでした。目黒はその年の花園で初優勝したチームで、大学で明治大学と対戦したメンバーが何人かいました。関東大会以後、小山台に結構強そうなこうこうからの対戦申込があったそうです。断るのに苦労したそうです。

1970年(昭和45年) 24 高23-25            
1971年(昭和46年) 25 高24-26            
1972年(昭和47年) 26 高25-27            
1973年(昭和48年) 27 高26-28            
1974年(昭和49年) 28 高27-29        
昭和49年
1月13日 法政一高戦
2月10日 目黒戦
 
1975年(昭和50年) 29 高28-30        
昭和50年
6月 関東大会出場(埼玉県熊谷市)
7月 東京大会
早実戦
OB会



◯高28回OB会 2023(令和5)年8月19日(土)不動前ぬの川にて
 
1976年(昭和51年) 30 高29-31            
1977年(昭和52年) 31 高30-32            
1978年(昭和53年) 32 高31-33            
1979年(昭和54年) 33 高32-34            
1980年(昭和55年) 34 高33-35            
1981年(昭和56年) 35 高34-36            
1982年(昭和57年) 36 高35-37            
1983年(昭和58年) 37 高36-38            
1984年(昭和59年) 38 高37-39            
1985年(昭和60年) 39 高38-40            
1986年(昭和61年) 40 高39-41            
1987年(昭和62年) 41 高40-42            
1988年(昭和63年) 42 高41-43            
1989年(平成元年) 43 高42-44            
1990年(平成 2年) 44 高43-45            
1991年(平成 3年) 45 高44-46            
1992年(平成 4年) 46 高45-47            
1993年(平成 5年) 47 高46-48            
1994年(平成 6年) 48 高47-49            
1995年(平成 7年) 49 高48-50            
1996年(平成 8年) 50 高49-51            
1997年(平成 9年) 51 高50-52            
1998年(平成10年) 52 高51-53            
1999年(平成11年) 53 高52-54            
2000年(平成12年) 54 高53-55            
2001年(平成13年) 55 高54-56         5月「青空」50周年記念号発行  
2002年(平成14年) 56 高55-57            
2003年(平成15年) 57 高56-58            
2004年(平成16年) 58 高57-59            
2005年(平成17年) 59 高58-60     7/26~7/30 □□県△△      
2006年(平成18年) 60 高59-61     7/26~7/30 □□県△△      
2007年(平成19年) 61 高60-62            
2008年(平成20年) 62 高61-63            
2009年(平成21年) 63 高62-64     8/3~8/7 □□県△△      
2010年(平成22年) 64 高63-65            
2011年(平成23年) 65 高64-66            
2012年(平成24年) 66 高65-67     7/30~8/3 □□県△△      
2013年(平成25年) 67 高66-68     7/30~8/3 □□県△△      
2014年(平成26年) 68 高67-69     7/30~8/3 □□県△△      
2015年(平成27年) 69 高68-70     7/31~8/3 □□県△△      
2016年(平成28年) 70 高69-71     □□県△△    記念祝賀会  
2017年(平成29年) 71 高70-72     7/21~7/24 □□県△△   総会・懇親会  
2018年(平成30年) 72 高71-73            
2019年(令和元年) 73 高72-74            
2020年(令和 2年) 74 高73-75            
2021年(令和 3年) 75 高74-76            
2022年(令和 4年) 76 高75-77            
2023年(令和 5年) 77 高76-78            
2024年(令和 6年) 78 高77-79            



OB会誌「青空」

1966(昭和41)年6月、ラグビー班OB会「小山台OBラグビークラブ(KORC)」発足。同年10月、OB会誌『青空』創刊号発行。
2001(平成13)年5月、『青空』50周年記念号発行。 『青空』50周年記念号は、ラグビー班OB会会長 小湊清光 様(高28回)よりご提供いただきました。


「青空」創刊号(復刻版)

「青空」50周年記念号に掲載された「創刊号(1966(昭和41)年6月発行)」復刻版です。


以下の「青空」創刊号(復刻版)PDFファイルへのリンクをクリックすると「青空」創刊号(復刻版)全文表示「青空」創刊号(復刻版) 全文

以下のリンクから「青空」創刊号(復刻版)全文をご覧いただけます。
 「青空」創刊号(復刻版)PDFファイルへのリンク




「青空」50周年記念号

「青空」50周年記念号 (2001(平成13)年5月発行)


以下の「青空」50周年記念号PDFファイルへのリンクをクリックすると「青空」50周年記念号 全文表示「青空」50周年記念号 全文

以下のリンクから「青空」50周年記念号 全文をご覧いただけます。
 「青空」50周年記念号PDFファイルへのリンク




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脚注: 

2023年10月30日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20231030223033