トーク:1960年度 (昭和35年度)

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
ナビゲーションに移動 検索に移動

4月8日 入学式

4月 生徒用ロッカー購入新設

5月16日 千葉県館山市見物に臨海施設用地359.68坪をPTAで買収

5月18日 図書館老朽化のため取り壊す

5月27日 遠足

6月7日 生徒総会「日米安全保障条約に関する要求決議文(国会即時解散・岸内閣総辞職・安保単独採決を白紙に戻す)」圧倒的多数で可決

7月 臨時生徒総会

7月29日 映画「ベンハー」鑑賞会

8月3日 林間学校

8月12日 臨海学校

9月5日 水泳大会(~7日)

9月23日 全定合同学校祭(~25日)

10月1日 都高校総合体育大会に参加、小山台体操公開演技(国立競技場)

10月16日 運動会

10月18日 国宝展見学(国立博物館)

11月8日 2年修学旅行(~12日)

11月11日 1・3年遠足

12月1日 ロードレース大会

2月7日 流感のため学級閉鎖

2月21日 流感のため5日間休校

3月1日 合同学力検査(~2日)のため休校

3月18日 高等学校第13回卒業式


世相

6月15日 学生デモ国会構内突入

6月23日 日米新安保条約発効

10月12日 浅沼稲次郎刺殺さる

1月3日 米、キューバと断交


流行語:「所得倍増」「ZENGAKUREN」

流行歌:「ありがたや節」「誰よりも君を愛す」


「小山台体操」のこと

 昭和29年11月、「小山台体操」は産声をあげた。制作者=薗頭潔先生・榎木繁男先生・私の体育科3名。頭をひねり、体をひねって作り上げた。目的=勉強で机に向かう時間数の多い本校生徒が、ラジオ体操では運動不足、内容不足でなんとか高校生に効果のあるものをということで作られた。相当運動量の多い内容で15種類あり、6種が男女異なる内容になっている。 完成後即体育授業の準備体操として使われ、現在に至っている。当初は体育授業ではまだ準備不足ということで、昼休み1時より業間体操として伴奏音楽(作曲は私)入りで全校生徒が校庭へ出て体を動かす機会を作っていたがいつの間にかバレーボールやベースボールに変わってしまった。

 その頃「自校体操」を持っている学校は少なく、各方面から注目され、昭和35年には国立競技場で「小山台体操」を全校生徒で発表する機会を得て大変感激した思い出がある。いつまでも残してほしい体操である。

(体育科教諭 小林年子)


好評だった小山台体操の披露

10月1日(土)大東京祭の一環として東京都高等学校総合体育大会が開かれた。各校運動部の華やかな入場行進に続いて優秀者の表彰が行われ、この後本校1・2年生による自校体操と白鴎高校の自校体操が披露された。両校はこの催しの初の出場校として選ばれたのであるが、そのみごとな演技は好評を博した。特に、本校の生徒の示した落着きとまとまりは、白鴎高校に勝るとも劣らないものであった。体育科の先生方も、「とても元気があって良かった。号令の合わない箇所もあったが、男らしさがあふれて見ていて気持が良かった」と大ニコニコ。

(小山台新聞31号 S35.10.16)より

S35 好評だった小山台体操の披露(小山台新聞31号 S35.10.16).jpg



S35 旧図書館(40周年記念誌巻頭).jpg