トーク:1957年度 (昭和32年度)

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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受験中心の真剣な授業  授業時の組は進学先や能力を慮って分けられていた。斎藤校長自らもあたられた英語は授業中教科書を開くことを禁じられた暗誦中心のものであった。現代文の授業は「ここは何年度東大出題の個所」ということが強調された。しかし漢文での詩吟の朗詠は心に沁みた。受験中心の授業が行われた反面、自主的な生徒の活動があった。30年に落成した体育館でのクラブ活動・クラス対抗卓球試合や昼休みの全校小山台体操・多摩川堤のロードレース。夏には校舎で寝食を共にして運動部の合宿が先輩の指導のもと行われた。(中略)運動会では応援合戦と仮装行列に力を入れた。32年には女子中心の赤穂義士を演じた。  八中時代からの大らかな自由の伝統は長らく教鞭をとられた先生方と八中卒の先生方により伝えられ、全校にあったと思う。 (『60周年記念誌』P158より)