「トーク:1952年度 (昭和27年度)」の版間の差分

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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=== 1952年11月27日発行小山台新聞13号より「運動会雑感」 ===
=== 1952年11月27日発行小山台新聞13号より「運動会雑感」 ===
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|'''1952年11月27日発行小山台新聞13号より「運動会雑感」'''
|'''1952年11月27日発行小山台新聞13号より「運動会雑感」'''
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2023年7月2日 (日) 16:40時点における版

1952年11月27日発行小山台新聞13号より「運動会雑感」

1952年11月27日発行小山台新聞13号より「運動会雑感」
 昨年に比し、今年はレベルが下がるだろうとの前評判であったが、案に相違して昨年に倍する成績を収めたのは、賞賛されてしかるべきであろう。各面から見て昨年より格段の進歩が見られ、応援戦などもバックに巨大な装置などを使ったのは昨年は白組のみであったが、今年は四組とも相当の費用をかけ黄色が特大の蝶を作れば、白組も負けじと白亜の巨城をつくるなど、それぞれ意匠をこらして気をはき、白組のごときは前評判で地理的なハンデに見舞われr、ぜんぜん望みがないとまで言われていたが、見事にハンデを有利に導いて、一等を取ったのは賞賛されてよい。

 また仮装行列にも格段の進歩が見られ、優勝した白組の仮装など、着想が良く群を抜いていた。
 競技種目では、新形式のパン食い、さて誰でしょうなど相当観衆の哄笑を買ったようだ。
 終了後行われたファイヤー・ストームは昭和22年以来、初めて正式の許可が降り、事前に千円の薪の購入等をめぐって相当紛糾もあったようだが、ともかく井沢先生等の監督下に盛大に挙行され、久し振りで青春を謳歌し、三年生にとっては内容的には、意余って力及ばずの感が強かったかもしれぬが、申し分のない一日を送ったことであろう。(秋麗太郎)

19521127 小山台新聞13号 運動会雑感.jpg