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提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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(ページの作成:「==できごと== '''学校行事'''<br> 4月10日 創立30周年記念事業として講堂完成<br> 5月13日 第8回オケラ杯争奪校内弁論大会<br> 6月12日 図書館整備完了(中学校5回卒業生米田誠一氏、閲覧机・椅子を寄贈)<br> 10月24日 創立30周年記念式典挙行<br> 3月1日 合同選抜学力検在(~2日)<br> 3月6日 高等学校第6回卒業式 優等・皆勤賞廃止さる<br> 3月31日 校長岩…」)
 
 
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==できごと==
==できごと==
'''学校行事'''<br>
'''学校行事'''<br>
4月10日 創立30周年記念事業として講堂完成<br>
4月3日 入学式<br>
5月13日 第8回オケラ杯争奪校内弁論大会<br>
5月4日 全校マラソン(多摩川堤)<br>
6月12日 図書館整備完了(中学校5回卒業生米田誠一氏、閲覧机・椅子を寄贈)<br>
5月22日 「青少年学徒への勅語」下賜記念日奉読式<br>
10月24日 創立30周年記念式典挙行<br>
5月30日 三年箱根・伊豆 四年伊香保 五年甲府・富士五湖旅行(~6月1日)<br>
3月1日 合同選抜学力検在(~2日)<br>
5月31日 二年日光旅行(~6月1日)<br>
3月6日 高等学校第6回卒業式 優等・皆勤賞廃止さる<br>
6月1日 一年高尾山遠足<br>
3月31日 校長岩本実次郎 依願退職<br>
6月8日 東亜競技大会(神宮外苑)で五年60人の戦闘訓練<br>
6月9日 五年習志野 野営演習<br>
7月7日 日中事変三周年記念日(五年武装行軍 四年以下記念式 閲兵分列式)<br>
7月20日 終業式<br>
9月5日 防空演習実施<br>
9月13日 水泳大会<br>
9月28日 日独伊同盟成立につき訓辞、放課後行軍<br>
10月1日 体力章授与<br>
10月13日 三国同盟国民大会に三年生150名参加(芝公園)<br>
10月16日 宮城内外苑勤労奉仕(一・二・四・五年)(~17日)<br>
10月20日 紀元二千六百年奉祝運動会<br>
10月30日 教育勅語渙発五十周年奉読式<br>
3月8日 卒業式 中14回生(男子226名)<br>
 
'''戦時下の学校生活 岩瀬達弥 中14回・昭和16年3月卒'''<br>
 自由の名残<br>
 私が八中に入学したのは、昭和十一年であるが、二年生の時に岡田校長から中島校長に替わった。<br>
或る日、「上級生が新校長に抗議のストライキをするといって屋上に集まっている。下級生も集まれ。」とハッパをかけられた記憶がある。何のことかも分からぬうちに、事は立ち消えになったようであったが今から思えば、それは、当時まだ幾らか残っていた自由の校風のそよぎであったのだろう。<br>
 興亜奉公日<br>
 この年、昭和一二年には、日華事変が勃発し、その後、軍国主義の風潮は加速化していった。昭和一四年九月から、毎月一日を「興亜奉公日」と定めて、国民は「戦場の労苦を偲んで、奉公の誠をいたす」ことになった。<br>
 八中でも、その日は、朝礼が三〇分繰上げられて、宮城遙拝、黙祷、青少年学徒への勅語の奉読等があり、放課後には、全校生徒の閲兵、分列行進を行うのが慣例となった。<br>
 体力錬成<br>
 昭和十五年には、紀元二千六百年式典が挙行され、その前後に、勤労奉仕で、宮城前の清掃に出たことがある。また、神宮外苑運動場の競技大会で、戦闘訓練をやって、何だか場違いな感じがしたこともあった。<br>
 この頃に、各人に「体力手帳」が交付された。今も手もとに残っているが、昭和十五年から十八年の学徒動員で入営する前までの私の体位等が記録されている。懸垂や投てきが苦手で苦労した体力検定の想い出と共に、体力錬成が至上命令であった当時の記念品である。<br>
(「創立60周年記念誌」P124)<br>


'''世相'''<br>
'''世相'''<br>
5月 内灘軍事基地反対闘争激化<br>
9月27日 日独伊三国同盟成立<br>
7月27日 朝鮮九千協定調印<br>
1月(昭和16年) 食糧増産に青少年学徒を動員<br>
流行語 洗脳・八頭身・サイザンス<br>
流行歌 芸者ワルツ・五木の子守唄<br>
(「創立60周年記念誌」P150)<br>
 
 
 
[[ファイル:S28 小山台高校 校舎の全景(昭和28年ごろ)(60周年記念誌P9).jpg|サムネイル]]
 
[[ファイル:S28 正門より校舎を望む.jpg|サムネイル]]
 
'''創立30周年に講堂・体育館落成'''<br>
創立30周年記念式典および事業の推進にあっては昭和26年5月2日の総会PTA総会で創立30周年記念準備委員会設置を可決し、その後PTA実行委員会で行事委員会を組織し、28年秋の式典をめざした。<br>
記念事業は式典までに完成を目標に講堂整備235万円(雨漏修理・天井・側壁張り・照明設備・椅子1300名分・ステージ改造・暗幕)体育館復旧600万円(1階建150坪・内部設備・付属室)に着手した。<br>
かくて講堂は戦災後の昭和21年11月の応急の外壁と屋根のみのバラックから面目を一新し、体育館は1260万円かかって昭和30年12月に落成した。<br>
なお、式典は昭和28年10月24日に新装成った講堂で挙行され、永年勤続先生へ感謝状贈呈、生徒へは記念品(男子バックル、女子ブローチ)を配布した。<br>
続いて、25・26両日学芸会、展示会を催して創立30年を祝賀した。<br>
(「50周年記念誌」P49)<br>


'''流行語'''<br>
 贅沢は敵だ・一億一心<br>


'''第8回オケラ杯弁論大会(高6回 秋山範子)'''<br>
'''流行歌'''<br>
 今から30年程前、新制の男女共学が発足して3年目に小山台に入学した。
 湖畔の宿・隣組<br> 
前年には約100名の女子が入学していたが男子生徒にはものめずらしかったと思う。
<br>
そこでオケラ杯弁論大会に私の選んだ題も「男女共学について」であった。
[[ファイル:昭和15年遠足.jpg|サムネイル]]
オケラというのは漢文担当で弁論班の顧問だった舞田先生のことである。<br>
 原稿は自分で考えたが父に随分手伝ってもらったように思う。
大会の前日まで屋上の八角塔の裏で練習した。
大体が早口の私はともすると一本調子で早口になりがちなのを、ゆっくり判りやすく話すのに時間がかかった。
当日は十何人かの男子に混ざって、女子はほんの2、3人でものめずらしさも手伝ってか、確か3位迄に入賞したと思う。
それを弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br>
(「創立60周年記念誌」P150)

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できごと

学校行事
4月3日 入学式
5月4日 全校マラソン(多摩川堤)
5月22日 「青少年学徒への勅語」下賜記念日奉読式
5月30日 三年箱根・伊豆 四年伊香保 五年甲府・富士五湖旅行(~6月1日)
5月31日 二年日光旅行(~6月1日)
6月1日 一年高尾山遠足
6月8日 東亜競技大会(神宮外苑)で五年60人の戦闘訓練
6月9日 五年習志野 野営演習
7月7日 日中事変三周年記念日(五年武装行軍 四年以下記念式 閲兵分列式)
7月20日 終業式
9月5日 防空演習実施
9月13日 水泳大会
9月28日 日独伊同盟成立につき訓辞、放課後行軍
10月1日 体力章授与
10月13日 三国同盟国民大会に三年生150名参加(芝公園)
10月16日 宮城内外苑勤労奉仕(一・二・四・五年)(~17日)
10月20日 紀元二千六百年奉祝運動会
10月30日 教育勅語渙発五十周年奉読式
3月8日 卒業式 中14回生(男子226名)

戦時下の学校生活 岩瀬達弥 中14回・昭和16年3月卒
 自由の名残
 私が八中に入学したのは、昭和十一年であるが、二年生の時に岡田校長から中島校長に替わった。
或る日、「上級生が新校長に抗議のストライキをするといって屋上に集まっている。下級生も集まれ。」とハッパをかけられた記憶がある。何のことかも分からぬうちに、事は立ち消えになったようであったが今から思えば、それは、当時まだ幾らか残っていた自由の校風のそよぎであったのだろう。
 興亜奉公日
 この年、昭和一二年には、日華事変が勃発し、その後、軍国主義の風潮は加速化していった。昭和一四年九月から、毎月一日を「興亜奉公日」と定めて、国民は「戦場の労苦を偲んで、奉公の誠をいたす」ことになった。
 八中でも、その日は、朝礼が三〇分繰上げられて、宮城遙拝、黙祷、青少年学徒への勅語の奉読等があり、放課後には、全校生徒の閲兵、分列行進を行うのが慣例となった。
 体力錬成
 昭和十五年には、紀元二千六百年式典が挙行され、その前後に、勤労奉仕で、宮城前の清掃に出たことがある。また、神宮外苑運動場の競技大会で、戦闘訓練をやって、何だか場違いな感じがしたこともあった。
 この頃に、各人に「体力手帳」が交付された。今も手もとに残っているが、昭和十五年から十八年の学徒動員で入営する前までの私の体位等が記録されている。懸垂や投てきが苦手で苦労した体力検定の想い出と共に、体力錬成が至上命令であった当時の記念品である。
(「創立60周年記念誌」P124)

世相
9月27日 日独伊三国同盟成立
1月(昭和16年) 食糧増産に青少年学徒を動員

流行語
 贅沢は敵だ・一億一心

流行歌
 湖畔の宿・隣組
 

昭和15年遠足.jpg