トーク:1936年度 (昭和11年度)

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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晴れの甲子園初出場
忘れもしない昭和11年8月10日。我が八中蹴球部は第18回全国中等学校蹴球選手権大会東京千葉予選決勝に於いて、宿敵府立五中を1-0で破り晴れの甲子園出場の切符を手に入れたのである。
そもそも八中の蹴球は創立以来校技として盛んになり、当時朝日新聞に『八中の校技・蹴球』として写真入りで紹介されたこともあり、第四回生でベルリンオリンピックにも出場した高島保男氏(旧制鈴木)を頂点に数多くの名選手を輩出し、東都中等蹴球界の名門であった。
昭和11年には創立以来の部長松井力先生、第一回生田村富次郎先生及び納谷友一先生を中心に第五回生大沢正利先輩をヘッドコーチに迎え永原主将以下精鋭を擁して大会に参加した。
一・二回戦を軽く勝ち進み準々決勝で優勝候補筆頭の豊島師範を破ってから本調子を上げ、準決勝で強豪青山師範を一蹴し決勝に駒を進めた。会場の帝大御殿下グランドで一進一退の好ゲームを展開したが、前半弱冠横川君の放ったロングシュートを守って感激の優勝を勝ちとり、中等球児の夢であった甲子園へ駒を進めた次第である。
中等学校リーグにも優勝
之を機に全校の蹴球部応援の機運が昂まり、部歌、応援歌が出来上がり、陸上競技部主将であった飯沢治氏を団長に応援団が結成され、試合毎に大勢の生徒が旗を持ってグランドへ応援に来てくれた。リーグ戦も四戦全勝で優勝し、蹴球部の歴史に輝かしい一頁を加える事が出来たことは、半世紀近く経った今でも青春の忘れ得ぬ思い出として深く脳裡に刻みこまれている。
(加納孝 中11回「創立60周年記念誌」P116)