1932年度 (昭和 7年度)

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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1932(昭和7)年度



できごと

1932年
04 入学式 中10回生
1933年
03.08 卒業式 中6回生(男子179名)


世相

1932年
05.05 五・一五事件
1933年
02.20 小林多喜二死す
03.27 国際連盟を脱退


流行語-非常時・話せばわかる
流行歌-影を慕いて・天国に結ぶ恋


八中運動会

 私は1927(昭和2)年に八中に入学した。この年に始めて一年生から五年生まで揃ったわけだ。校舎も新しく、運動場も広く感じられた。運動会は、毎年5月5日に行われ、何時も雲一つない好天気で、岩崎源兵衛先生が、「八中日和」と言っておられたのが懐かしい。
 2年E組の時、同じ組の佐藤 正君が100m、200m、400m競争の全種目に優勝した。また5回生の中村静夫君が長距離競争に出て、皆に一周以上も遅れて最後まで一人で走り通して、盛大な拍手を浴びたことや、6回生の船山夏雄君が、百足競争で毎年先頭になって活躍していたこと等も思い出される。
 当時も運動はとても盛んで、生徒は皆頑張り屋であった。私は、水泳は得意であったが、陸上では余り見るべきものもなく、もっぱらクラス対抗の競技に、人一倍大きな声をふり絞って、応援に駈けずり廻っていた。
 運動会が終わると、紅白の八中饅頭が配られて、そのおいしかったことを、今でも楽しく思い出す。 (堀井正 中6回「創立60周年記念誌」P109)


「校友会雑誌 第9号」

「校友会雑誌 第9号」は、現在探索中です。




卒業アルバム





関連項目

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脚注



2025年3月9日:直近編集者:SGyasushi
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