山谷 敬之
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山谷 敬之(やたに たかゆき、1995年4月1日 - 1998年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(十五代)
本校歴
- 1995年7月30日 財団法人小山台第1回ドイツ交換留学生7名受入れ。
- 1996年 3月16日 IC事業としてブラスバンド班コンサート開始。
- 1996年 4月 1日 学級減に伴い、1学年7学級編成(入学定員280名)となる。
- 1996年10月 2日 ウィーンフィル交響楽団主席トロンボーン奏者カール・ヤイトラー氏ブラスバンド班演奏指導に来校。
- 1996年10月19日 生物班読売科学賞東京都最優秀賞受賞。
- 1997年 5月30日 男子バレーボール班関東大会出場。
- 1997年 7月 8日 保健体育科柚木教諭「青少年の健全教育に関する研究協議会」で本校運動会について講演。
- 1997年 7月19日 財団法人小山台英国から8名、ドイツから10名の交換留学生受入れ。
- 1997年 7月23日 夏季合宿中の山中湖ニュー福寿荘で食中毒発生。
- 1997年 8月 5日 陸上競技班福田健次君(3年)男子やり投げでインターハイ京都大会出場。
- 1997年10月26日 ウィーンフィル交響楽団主席トロンボーン奏者カール・ヤイトラー氏ブラスバンド班演奏指導に来校。
エピソード
九月十六日午前八時を待つ
まだ小山台高校の大運動会を観たことがない。最も期待する学校行事の一つである。
生徒諸君が一つひとつの学校行事に真剣に取り糾むことが本校の特色であり、その集約された行事が運動会であると聞いている。
運動会の変遷の記録を読み、写真を見たり、そしてビデオを繰り返し観ながら、実際の運動会を私なりにイメージしてみた。
そこに描かれたものは、他校が真似をしようとしても、昨今ではできない、長い伝統と周到な準備に支えられた運動会が想像された。
この想像通りに運動会が展開すれば、小山台高校を誇りに思う私の気持ちは、揺ぎないものになるであろう。
「運動会は、ファンファーレとともに終わる」という。開会式のファンファーレから運動会
が始まるのではなく、練習段階から運動会が始まっており、その段階の苦労こそ真の意見での
運動会であるという。その自信に満ちた諸君の姿を午前八時に待ちたい。
学校長 山谷敬之
関連項目
- 着任:1995年4月1日
- 退任:1998年3月31日
前 任 | 在 任 | 後 任 |
---|---|---|
滝澤 利夫 | 鈴木 義雄 |
関連事項
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脚注:
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2023年11月17日:直近編集者:Inorio
TimeStamp:20231117151237