1938年度 (昭和13年度)
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できごと[1]
- 4月 1日 第二、第三学年補欠試験
- 4月 2日 始業式、入学式
- 4月23日 常陸丸[2]生存者 小原氏講演会
- 4月29日 天長節
- 4月30日 靖国神社例祭、全校生徒参拝、行軍
- 12月20日 「校友会雑誌 第15号」発行
- 3月 8日 卒業式 中12回生(男子207名)
教職員
学芸会
4月9日(火)午前10時より
- 開会挨拶
- XXXXXX:○○○○
- ああああああ(講演):○○○○
- いいいいいい(劇):○○○○
- ううう(ピアノ演奏):○○○○
- 閉会挨拶
「校友会雑誌 第15号」
- 「校友会雑誌 第15号」は、1938(昭和13)年12月20日発行されました。
- 発行所:東京府立第八中学校校友會
- 印刷所は、なんと「大日本印刷株式會社」です。
- 「校友会雑誌 第15号」は小山台高校 図書室資料室に保管されていました(裏表紙なし)。
「校友会雑誌 第15号」全文
- 以下のリンクから「校友会雑誌 第15号」全文をご覧いただけます。
- 「校友会雑誌 第15号」PDFファイルへのリンク
卒業生数
修了:XX名
卒業:1XX名
卒業アルバム
関連項目
*← 1937年度 (昭和12年度) *→ 1939年度 (昭和14年度)
脚注
- ↑ 第一学期は、「校友会雑誌 第15号」P158からの校誌抄から転記しました。
- ↑ 常陸丸(ひたちまる)事件とは、日露戦争中の1904(明治37)年6月15日に玄界灘を西航中の陸軍徴傭運送船3隻が、ロシア帝国海軍ウラジオストク巡洋艦隊(ウラジオ艦隊)所属の3隻の装甲巡洋艦、「ロシア」、「リューリク」および「グロモボーイ」によって相次いで攻撃され、降伏拒否などにより撃沈破された事件である。特に、陸軍徴傭運送船「常陸丸」(日本郵船、6,172トン)の喪失は日本の国内世論を憤激させ、連合艦隊、特に日本海の海上警備を担当していた上村彦之丞中将の第二艦隊に対して非難の声が向けられることとなり、第二艦隊は事件から2か月後の8月14日に起こった蔚山沖海戦でウラジオ艦隊を事実上壊滅させるまでの間、強い批判にさらされた。
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2022年10月9日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20221009131722