奥野 一雄

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奥野 一雄 先生 (高5回卒業アルバム)

奥野 一雄(おくの かずお、19XX年XX月XX日 - 1998年 8月23日)は、日本の教育者。都立小山台高校 数学教諭

本校歴

1946(昭和21)年 3月31日 都立第八高等学校数学教諭として赴任
1950(昭和25)年 1月28日 校名を東京都立小山台高等学校と改称
1985(昭和60)年 3月31日 都立小山台高校を退任




記事

40周年記念誌_P73_奥野一雄_終戦直後の赴任

「終戦直後の赴任」
     奥野一雄

 私がこの学校に来たのは昭和21年の春で、終戦直後の事で何もかもゴタゴタしていた。今の3階の講堂は爆弾で焼かれたままになっていて、大きな鉄骨が龍の骨のように曲がりくねっていた。自習時間にはよく生徒といっしょに灰かきをした。またそのころは食糧難で、先生方は学校の囲りの空地を分けあって畠を作っておられた。私もカボチャなどを植えてみたがろくに手入れもしなかったので、水っぽく味もそっけもないのが、3つ4つなったのを覚えている。そんな状態なので、栄養失調気味で3階の連続授業の時は下りるのが大儀で、よくそのままいすわっていて笑われた。
 冬は職員室はまるで山小屋のようで、そだを燃やして暖をとっていたので、天井はまっ黒であった。職員会議に焼き芋が出たのもそのころのことであった。宿直があったのも懐かしい。クラスの生徒達が宿直室によく遊びに来て、夜遅くまで話し合った。また、高校の2回生の時であったと思うが、3年生に夏季講習をやったらどうかという話が出て、希望者を募集したところ、たった5名しかなくて講習はお流れ、現在のような充実した数週間にわたる講習と比べて隔世の感がある。それでも当時は5組しかなかったのに、現役から東大へ25名も合格した。案外、楽しい時代であったのかも知れない。
 (本校数学科教諭)



関連項目

着任:1946年 3月31日
退任:1985年 3月31日



関連事項

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脚注: ・

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