4月8日 (午前)始業式
4月8日 (午後)入学式 高18回生(男子387、女子135、計522名、A~H組、K組、L組までの10クラス)
4月9日 対面式
4月18日~20日 ツベルクリン、BCG
4月23日~25日 身体検査、レントゲン検診
5月4日 創立記念日
5月12日 PTA総会
5月20日~23日 中間テスト
5月24日 春の遠足(1・2・3年)
6月5日 腸パラ予防接種
6月8日 父兄会(1・2年)
6月10日~12日 ア・テスト(3年)
6月13日 生徒総会
6月29日 父兄会(3年)
7月10日~13日 期末テスト
7月20日 終業式
7月23日 転入考査
8月1日~8日 臨海学校・林間学校
9月2日 始業式
9月2日~4日 ア・テスト(2・3年)
9月3日 ア・テスト(1年)
9月9日~11日 水泳大会
9月14日 父兄会(1・2年)
9月28日~29日 学校祭(学芸会・展示会)
10月6日 運動会:優勝(青組)
10月9日 インフルエンザ予防接種
10月16日 インフルエンザ予防接種
10月24日~26日 中間テスト
10月30日~11月1日 レントゲン検診
11月8日 40周年式典
11月14日~15日 ア・テスト(1年)
11月14日~16日 ア・テスト(2・3年)
11月21日 生徒総会
11月24日~28日 修学旅行(2年)
11月26日 遠足(1・3年)
12月12日~16日 期末テスト
12月25日 終業式
11月3日~6日 スキー教室
1月8日 始業式
1月9~11日 ア・テスト(3年)
1月25日 ロードレース
2月5日~6日 ア・テスト(1・2年)
2月22日 父兄会(1・2年)
3月1日~2日 選抜テスト
3月6日 なわとび大会
3月9日~12日 学年末テスト
3月18日 卒業式 高16回生(男子306、女子97、計403名)
3月21日 終業式
3月22日~25日 スキー教室
3月23日 転入考査
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斑を見て全豹を知る 5代校長 上原好一 私は本校に着任して今年の3月で満4年である。昔から「一斑を見て全豹を知る」という言葉がある。私は4年間の経験で本校40年の歩みを回想してみたい。伝統は歴史の集積である。妓初に蒔いた種子が牌となる。幹はそれに加わる歴史によって伸びる。その成長は風雪によって廻り道することもあり得る。40年前初代岡田藤十郎校長は非常な見識と熱意を以て立派な種子を蒔かれた。その種子は歴代の校長を中心とした学校当局や在校生・父兄によって大事に培われて来た。創立の頃を知る職員や卒業生によって、当時の自由で伸び伸びとしていた独特の校風が懐しく語られるのはその現われである。教室の配置を見ても、科学技術振興の叫ばれる今日においても容易に達成し得ない大きな比率を理化の教室に割当ててある。岡田校長がその方面の専門の出身であったにしても立派な見識であったと言わなければならない。
それから40年を経過した。孔子は「四十而不惑」と言い、孟子は「我四十不動心」と言っている。ここで揺ぎなき伝統が打ち建てられるのであろう。この不動の精神には警戒すべき反面がないわけではない。人生40を初老という。そろそろ老化現象が現われる。放っておけない。その上に社会的・国家的な風雪も加わる。私が着任した年は他の戦災校の復風は既に終わっていた。本校は明らかに戦災校であるのに全く忘れられている。私は早速担当者の協力を得て1億4千万円に上る復興計画を立てた。これは当局の深い理解と職員や父兄の積極的な協力を得て、着々と進められている。感謝に堪えない。
更に嬉しいことはわれが愛する生徒諸君である。この4年間、毎年続いて工事の騒音に悩まされながら、その不快な気分を復興の意気に転じて進学の成績を逐年向上している。校舎の美化も自分達の手で始めてくれた。「後生可畏」私はこういう教え子を持っていることを幸せに思う。
復興計画は困難だと思われた施設が案外順調に進んでいるのに、逆に話し合いで解決出来ると思ったプールや体育館の敷地が思うに任せなかったが、これもやがては常誠と時間が解決してくれることであろう。40周年に当たってわれわれは現実を直視しながら気分を新たにし、全校一体となて力強く前進していきたいと思う。
(「創立50周年記念誌」P49には一部省略されて再掲載、全文は「創立40周年記念誌P16「巻頭言」を転記」すること)
40周年は新校舎・生徒部室誕 創立40周年記念式典は昭和38年11月8日午前10時より講堂で盛大に挙行された。来賓230名。式は開会の辞、国歌斉唱、学校長式辞、来賓祝辞、感謝状贈呈、PTA会長挨拶、生徒代表挨拶、同窓会より記念品贈呈、校歌斉唱、閉会の辞と進められ11時41分終了した。同窓会より学校への記念品は全日制は各種辞典10万円。定時制は水銀灯3基。生徒への記念品は手拭及び記念雑誌「四十周年」を配布した。なお40周年記念事業としては新校舎増築、生徒部案班室の建設、校舎外壁改装、体育館床張り内部改修、放送室内部改修、鹿沢寮建設、館山海浜寮敷地359坪余購入等当時の金額で約1憶近い計画が実現した。 (「創立50周年記念誌」P49)
班室完成
この年五月、創立四○周年記念事業の一環として、PTAにより、生徒班室が完成した。現正門の脇に建っているものがそれで、鉄筋コンクリート二階建て、一階に八室、二階に二室、その他シャワー室や足洗い場も設置された立派なものである。総面積二二九平方メートル、総工費五一五万円。五月末には難行した「班室争奪戦」も終わりそれぞれ移転作業にかかったが、新聞班などは「講堂横から、所帯道具をエッチラオッチラと下まで持っていって後は自動車班のポンコツ車でサッソウと」引っ越したとのこと。
さて新班室では「カーテンを取り付け、花を飾ってきれいにしている」班もあれば、「一階のつい立てには洗濯物が、初夏の風になびき、物干し場に早変わり」している所もある。生徒は、部屋が狭いことや、他の班と同居の不満をかこつものの、「班室が新しくなった、初めて班室が仙えるようになったということが支えとなって」、班活動にそれぞれ大いに励んだ。ところが、ひと月立った限には、そろそろ清掃について言われだした。「例のごとく汚れてきた班もある」とか、「特に運動班は、清掃の付き届かない班が多く、このままでは以前の班室と大差はなくなってしまうだろう」等々である。
何はともあれ、「新しいから締麗なのではなく、清潔であるから締麗だという」班室で活気あふれる活動が続けられた。爾来二○年、工事のために枝を切られたシイの木も、また大きな木になった。
(小山台新聞三八号 昭和38・7.1発行より抜粋)
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