大島 長次

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大島 長次 先生 (高6回卒業アルバム)

大島 長次(おおしま ちょうじ、19XX年XX月XX日 - 20XX年XX月XX日)は、日本の教育者。都立小山台高校英語教諭

本校歴

1945(昭和20)年 6月20日 都立第八中学校英語教諭として赴任
1948(昭和23)年 4月 1日 学制改革(新制高等学校制度)により、東京都立第八新制高等学校となる
1950(昭和25)年 1月28日 校名を東京都立小山台高等学校と改称
1971(昭和45)年 3月31日 都立小山台高校を退任




記事

40周年記念誌_P73_大島長次_風呂屋の煙突に憶う
「風呂屋の煙突に憶う」
             大島 長次

 現在の体育館の敷地には、約20年前までは風呂屋ありき。
 太平洋戦争中、旧舘3階にある大講堂と現在の新刊の敷地にありし武道場は空襲に遭遇し、焼夷弾を受け灰燼に帰せし際、煙突のみを残して運命をともにせしものなり。
 戦闘帽をかぶり、ゲートルを巻き、きのうもまた空襲ありけり、きょうは空襲の無からんことを祈りつつ、風呂屋の焼跡の整地などを日課とし8月15日の終戦を迎えぬ。
 周囲の焦土と化せしあとに残れるのは、風呂屋の煙突のみなりき、国破れて煙突あり、毅然として蒼空にそびえたり。本校周辺の復興いまだ成らざる当時においては、戦前も戦後も変形せざる目に立つ雄姿なりき。
 校庭の一角に佇立して、焼け残れる煙突を仰ぎつつ、日本民族の来し方、行く末に想いを馳せしこと幾度ぞ。
 思えば四十星霜、脈々として生々発展を続けたる八中魂の何時もゆるがぬ毅然たる姿を堅持して、未来の世界に燦烈たる光芒を放たんことを祈念しつつ、体育館を低徊して、ありし日の煙突の幻影に孤影悄然として涙をそそぐ。
  (本校英語科教諭)



参考情報

関連項目

着任:1945年 6月20日
退任:1971年 3月31日



関連事項

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脚注: ・

2023年12月23日:直近編集者:SGyasushi
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