「1937年度 (昭和12年度)」の版間の差分
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:1937年末、岡田校長は退任し、府立第2中学校より中島嘉之吉校長を迎えた。すでに日中両国の全面的戦争の段階に入って戦時体制が着々と | |||
:強化されるなかで、学校教育における軍国主義的傾向は強まった。現役将校の学校配属はすでに1927(昭和2)年以降実施されていたが、 | |||
:その後時勢の推移とともに配属将校の学校教育における発言は高まり、学校は戦時下国民練成の場として期待されていた。8中では、 | |||
:この時期に進学脂導に力をいれ、定期考査・実力考査を実施して学習成績の向上につとめ、上級学校進学の成果を高めるとともに、 | |||
:質実・剛健の気風を立て、また教練・行軍・野外演習等を通して心身の鍛練をはかった。 | |||
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:1937(昭和12)年、2代中島校長にかわったが、国家主義・軍国主義の盛んであった時代の風潮を反映して、質実剛健を標榜し、 | :1937(昭和12)年、2代中島校長にかわったが、国家主義・軍国主義の盛んであった時代の風潮を反映して、質実剛健を標榜し、 | ||
:個人尊重よりも団体の規律・秩序を重視し、鍛錬主義の教育が行なわれた。この時代の修学の指標として生徒に示されたものが | :個人尊重よりも団体の規律・秩序を重視し、鍛錬主義の教育が行なわれた。この時代の修学の指標として生徒に示されたものが | ||
:「校訓」である。上級学校進学に力を入れ、実力考査や定期試験を行ない、その成果はめきめきと現われて、この面での優秀校と | :「校訓」である。上級学校進学に力を入れ、実力考査や定期試験を行ない、その成果はめきめきと現われて、この面での優秀校と | ||
:自他共に許すほどになった。教練にも力を入れ、都下でも最も優秀な学校と認められるようになった。 | :自他共に許すほどになった。教練にも力を入れ、都下でも最も優秀な学校と認められるようになった。 | ||
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:1937(昭和12)年の運動会は分列行進、爆弾点火競争、肉弾戦(野試合)など戦時色豊かな種目が行なわれた。 | :1937(昭和12)年の運動会は分列行進、爆弾点火競争、肉弾戦(野試合)など戦時色豊かな種目が行なわれた。 | ||
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2023年8月6日 (日) 21:21時点における版
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できごと[1]
- 4月 2日 始業式
- 4月 3日 入学式(中15回生)
- 4月 6日 朝礼の際新任菅原融氏の紹介あり
- 4月13日 補習会入学者発表
- 4月15日 補習会入学式
- 4月20日 校友会委員選挙
- 4月23日 春季身体検査開始
- 4月27日 靖国神社臨時大祭につき臨時休業
- 4月29日 天長節式挙行
- 4月30日 第一学年野外教練
- 5月 5日 開校記念日、運動会を廃し、式と余興を行う
- 5月11日 1年 遊就館見学、2年 鉄道博物館、科学博物館見学、3年 動物園見学、4年 野外教練、5年 貴族院及び東朝社[2]見学
- 5月14日 定期試験開始
- 5月19日 全校遠足 (1年 大磯、2年 江ノ島鎌倉、3年 銚子犬吠埼、4年 三浦三崎、5年 箱根、補習科 休業)
- 5月21日 第二学年野外教練
- 5月25日 朝礼の際 國枝先生(美術)の紹介あり
- 5月26~29日 第五学年宿泊演習(習志野)施行
- 5月30日 第一学年保証人会
- 5月30~6月2日 第三学年宿泊演習(習志野)施行
- 6月18日 第四学年野外教練
- 6月25日 春季剣道大会挙行
- 7月 1日 短縮授業実施、水泳開始
- 7月 9日 定期試験開始
- 7月16日 第五学年狭窄射撃[3]演習(第三聯隊)
- 7月18日 午後1時より同窓会総会
- 7月20日 終業式
- 9月 1日 始業式
- 9月 2~3日 模擬試験
- 9月13日 水泳大会
- 9月24日 学芸会(3、4、5年)
- 9月25日 学芸会(1、2年)
- 10月 8~9日 第五学年 府中等学校聯合演習
- 10月13~19日 国民精神総動員強調週間
- 10月17日 新嘗祭、靖国神社参拝
- 10月24日 運動会
- 10月27日 第三学年日光修学旅行(1泊)
- 10月31日 保証人会
- 11月 3日 明治節、明治神宮参拝
- 11月 6日 明治神宮奉拝式
- 11月 8日 第四学年関西旅行(5泊)
- 11月12日 岡田前校長依願退職、現校長中島嘉之吉先生任命せらる
- 11月13日 第一学年野外演習
- 11月15日 岡田前校長告別式
- 11月16日 現校長中島先生新任式
- 11月24~25日 模擬試験
- 11月26日 武道大会
- 12月 1日 防火デー実施
- 12月 4日 映画会
- 12月 6~12日 清掃週間
- 12月 7日 後藤蒼洋[4]氏講演会
- 12月11~14日 定期考査
- 12月15日 南京陥落奉祝行進
- 12月21日 第五学年野外演習(狭窄射撃[3])
- 12月24日 終業式
- 1月 1日 四方拝
- 1月 8日 始業式
- 1月26日 査閲施行
- 1月30日 第五学年実包射撃
- 2月 5日 湯浅少将閣下講演会、映画会
- 2月11日 紀元節
- 2月15日 全校行軍
- 2月18日 資格検定試験
- 2月22~26日 武道強調週間
- 3月 4日 卒業式 中11回生(男子199名)
- 3月 7~9日 入学試験
- 3月12~17日 定期考査
- 3月18日 全校行軍
- 3月19日 前校長岡田先生謝恩会
- 3月24日 終業式
- 1931(昭和6)年の満州事変以降、時勢は超国家主義の台頭が顕著で、ことに1937(昭和12)年日華事変の勃発を機に軍国主義の風潮は一段と高まった。
- 1937年末、岡田校長は退任し、府立第2中学校より中島嘉之吉校長を迎えた。すでに日中両国の全面的戦争の段階に入って戦時体制が着々と
- 強化されるなかで、学校教育における軍国主義的傾向は強まった。現役将校の学校配属はすでに1927(昭和2)年以降実施されていたが、
- その後時勢の推移とともに配属将校の学校教育における発言は高まり、学校は戦時下国民練成の場として期待されていた。8中では、
- この時期に進学脂導に力をいれ、定期考査・実力考査を実施して学習成績の向上につとめ、上級学校進学の成果を高めるとともに、
- 質実・剛健の気風を立て、また教練・行軍・野外演習等を通して心身の鍛練をはかった。
- 1937(昭和12)年、2代中島校長にかわったが、国家主義・軍国主義の盛んであった時代の風潮を反映して、質実剛健を標榜し、
- 個人尊重よりも団体の規律・秩序を重視し、鍛錬主義の教育が行なわれた。この時代の修学の指標として生徒に示されたものが
- 「校訓」である。上級学校進学に力を入れ、実力考査や定期試験を行ない、その成果はめきめきと現われて、この面での優秀校と
- 自他共に許すほどになった。教練にも力を入れ、都下でも最も優秀な学校と認められるようになった。
- 1937(昭和12)年の運動会は分列行進、爆弾点火競争、肉弾戦(野試合)など戦時色豊かな種目が行なわれた。
教職員
学芸会
- 9月24日(金)午前8時より、3、4、5年学芸会
- 9月25日(土)午前8時より、1、2年学芸会
- 開会挨拶
- 閉会挨拶
運動会
- 10月24日(日)
「校友会雑誌 第14号」
- 「校友会雑誌 第14号」は、1937(昭和12)年12月20日発行されました。
- 発行所:東京府立第八中学校校友會
- 「校友会雑誌 第14号」は小山台高校 図書室資料室に保管されていました(裏表紙なし)。
- 表紙写真は、5D 秋山庄太郎 撮影によるもの
「校友会雑誌 第14号」全文
- 以下のリンクから「校友会雑誌 第14号」全文をご覧いただけます。
- 「校友会雑誌 第14号」PDFファイルへのリンク
卒業アルバム
卒業生
- 秋山庄大郎→ Wikipedia
関連項目
*← 1936年度 (昭和11年度) *→ 1938年度 (昭和13年度)
脚注
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2023年8月6日:直近編集者:SGyasushi
TimeStamp:20230806212158