「1921年度 (大正10年度)」の版間の差分
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| style="width: 65% ;vertical-align:top" |'''江戸時代の小山'''<br> | |||
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====江戸時代の小山は幕府の直轄領==== | ====江戸時代の小山は幕府の直轄領==== | ||
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地名も字本村と呼ばれた。駅の南方3,4分の所に洗足方面の岡の一角がつきでて川にのぞみ、その上に矢幡社が祀られ、小山八幡(別名本村八幡)といわれる。<br> | 地名も字本村と呼ばれた。駅の南方3,4分の所に洗足方面の岡の一角がつきでて川にのぞみ、その上に矢幡社が祀られ、小山八幡(別名本村八幡)といわれる。<br> | ||
(40周年誌・都築秀徳氏稿より)<br><br> | (40周年誌・都築秀徳氏稿より)<br><br> | ||
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2023年7月14日 (金) 11:50時点における版
(編集中) (編集完了)
1921(大正10)年度
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世 相 | 詳細・引用・寄稿 | |
4月X日 4月X日 9月1日 1月X日 |
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江戸時代の小山江戸時代の小山は幕府の直轄領 小山村は江戸時代に近隣の大井村、中延村、上・下大崎村、桐谷村と共に徳川氏の直轄領であり代官が支配していた。 明治時代の小山明治時代は平塚村大字小山
大政奉還後、将軍直轄領は新政府の直轄地となり、府県が置かれた。このとき品川は武蔵県となったが、 明治2年(1869)に武蔵県は廃止され品川県となり小山はその中にはいった。 小山という地名の由来 江戸時代の郷名帖には仮名で「ヲヤマ」とあるらしい。やがて多摩川筋の「ヲヤマ」(尾山)とまちがわぬよう当方は小山と当て字して「コヤマ」 と呼ぶようになったかと思う。小山本通りに近い三谷八幡は、元禄のころに小山八幡社から分かれたという。 |
関連項目
脚注
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2023年7月14日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20230714115037