「深堀 修」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
Adminkoyama100 (トーク | 投稿記録) (ページの作成:「thumb|250px|深堀 修 先生 (高7回卒業アルバム)'''深堀 修'''(ふかぼり おさむ、19XX年XX月XX日 - 20XX年XX月XX日)は、日本の教育者。都立小山台高校英語教諭 ==本校歴== :1945(昭和20)年10月31日 都立第八中学校英語教諭として赴任 :1948(昭和23)年 4月 1日 学制改革(新制高等学校制度)により、東京都立第八新制高等学校となる…」) |
|||
11行目: | 11行目: | ||
<br><br> | <br><br> | ||
==記事== | |||
'''40周年記念誌_P73_深堀修_20年間生徒とともに''' | |||
<br> | |||
'''「20年間生徒とともに」'''<br> | |||
'''深堀修'''<br> | |||
<br> | |||
この8月で満20年、この間、開戦・終戦と歴史の二大ページを地で体験した。終戦直後は、教室の床を生徒といっしょになってブラシで水洗いした。33年ー35年の3年間は毎朝裏門に立って生徒の登校状況を見てみた。寒中校庭の水溜りで、雀の水浴びの風情をつくづく眺めたのもこの時である。<br> | |||
自由な校風の中に1本バックボーンの通った八中時代の生徒。戦後の生徒にそれがないとはいわない。未だ何かの結論らしきものも握れないというだけの話だ。卒業試験で担任クラスの中から3人のカンニングの生徒を発見して、及落判定会議で卒業させないとがんばった私は只一つ今でも誇りとしている。誰れでも欠点はある。二度注意したあげくの処置だった。私はこの信念を、この後も大事に守って行きたいと思う。電車の中で老人に声をかけて席をゆずる。小さくて、大きな勇気のある青少年であってもらいたいと思うこととともに。<br> | |||
(本校英語科教諭)<br> | |||
<br><br> | |||
==関連項目== | ==関連項目== |
2023年12月23日 (土) 18:00時点における最新版
深堀 修(ふかぼり おさむ、19XX年XX月XX日 - 20XX年XX月XX日)は、日本の教育者。都立小山台高校英語教諭
本校歴
- 1945(昭和20)年10月31日 都立第八中学校英語教諭として赴任
- 1948(昭和23)年 4月 1日 学制改革(新制高等学校制度)により、東京都立第八新制高等学校となる
- 1950(昭和25)年 1月28日 校名を東京都立小山台高等学校と改称
- 1981(昭和56)年 3月31日 都立小山台高校を退任
記事
40周年記念誌_P73_深堀修_20年間生徒とともに
「20年間生徒とともに」
深堀修
この8月で満20年、この間、開戦・終戦と歴史の二大ページを地で体験した。終戦直後は、教室の床を生徒といっしょになってブラシで水洗いした。33年ー35年の3年間は毎朝裏門に立って生徒の登校状況を見てみた。寒中校庭の水溜りで、雀の水浴びの風情をつくづく眺めたのもこの時である。
自由な校風の中に1本バックボーンの通った八中時代の生徒。戦後の生徒にそれがないとはいわない。未だ何かの結論らしきものも握れないというだけの話だ。卒業試験で担任クラスの中から3人のカンニングの生徒を発見して、及落判定会議で卒業させないとがんばった私は只一つ今でも誇りとしている。誰れでも欠点はある。二度注意したあげくの処置だった。私はこの信念を、この後も大事に守って行きたいと思う。電車の中で老人に声をかけて席をゆずる。小さくて、大きな勇気のある青少年であってもらいたいと思うこととともに。
(本校英語科教諭)
関連項目
- 着任:1945年10月31日
- 退任:1981年 3月31日
関連事項
- ↑ページトップへ ↑「恩師の思い出」のページに移動 ↑「歴代校長一覧」のページに移動 ↑「卒業生・同窓生」のページに移動 ↑卒業生、同窓生からの「寄稿」ページに移動 ↑「菊桜会歴代会長」のページに移動 ↑↑メインページ(人物アーカイブ)に移動
脚注:
・
2023年12月23日:直近編集者:SGyasushi
TimeStamp:20231223180042