「1939年度 (昭和14年度)」の版間の差分
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2022年10月15日 (土) 14:32時点における版
(編集中) (編集完了)
できごと[1]
- 6月15~21日 百億貯蓄強調週間
- 9月25日 学芸会、第五学年野外教練
- 10月23日 八中卒業生並に父兄戦没将士慰霊祭を講堂にて挙行、関連記事「校友会雑誌 第16号」P16に掲載
- 1月 1日 新年拝賀式(宮城遙拝 前九○○。紀元二千六百年頌歌)
- 1月 8日 合唱始業式及び興亜奉公日(第六回)。始業を30分繰上げ、朝礼時に国旗掲揚、宮城遙拝、黙祷、青少年学徒への勅語奉読、学校長訓示等を行い、放課後閲兵分列式、大掃除を行う)
- 1月 8日 岡崎先生(英語)離別式、塚越先生(英語)新任式
- 1月15日 「校友会雑誌 第16号」発行
- 1月31日 高野先生(國漢)離別式、小谷野先生(國漢)新任式
- 2月 1日 興亜奉公日諸行事実施
- 2月 9日 配属将校石井中佐離別式、佐々木大佐新任式
- 2月11日 紀元節。式後剣道送別試合及び生徒諸役員懇談茶話会
- 2月15~17日 5年、4年受験組、補習科学年考査
- 2月18~20日 入学考査
- 2月20日 学校教練研究会(太田中将及び学校配属将校113名来校、当校伊藤少尉教練教授(40)。)
- 2月22日 入学合格者発表
- 3月 1日 興亜奉公日行事実施
- 3月 8日 卒業式 中13回生(男子189名、内官立学校合格76名、私立学校合格38名。尚一高への7名はタイ記録、海兵への7名は新記録)
- 3月10日 陸軍記念日、4年演習参加(午前2時第四日即小学校集合、前8:30代々木練兵場にいたる市街戦)
- 3月13~16日 学年考査
- 3月16日 故竹田宮大妃殿下[2]御葬儀当日につき遙拝、半旗掲揚
- 3月19日 午後 中谷新治氏講演(ディーゼルエンジンの話)及び映画会
- 3月23日 終業式、百田先生(英語)十五中へ、土屋先生(数学)立川陸軍航空飛行学校へ、栗本先生(國漢)十七中へ転任の離別式。
- 3月25日 転入学考査施行(合格者:2年 5名、3年 5名、4年 4名)
教職員
学芸会
9月25日(月)午前9時20分より
- 開会の辞:部長岩本実次郎先生
- 校長挨拶:中島校長先生
- 1.(修)日本書紀について:4F 小黒 吉宏
- 2.(國)臨海学校の思い出:3A 宮島 信男
- 演目詳細については「校友会雑誌 第16号」P165「学芸会講評」を参照
- 31.(敬)7月21・2日の教練について:4D 高澤 俊雄
- 32.(修)和について:4C 宮澤 泰
- 閉会の辞:部長岩本実次郎先生
- 校歌斉唱(午後4時閉会)
「校友会雑誌 第16号」
- 「校友会雑誌 第16号」は、1940(昭和15)年1月15日発行されました。
- 中17回 三宮 洋 様より寄贈いただきました。
- 「第16号」より「校誌抄」の掲載なしのため、「できごと」詳細の記載ができず。
「校友会雑誌 第16号」全文
- 以下のリンクから「校友会雑誌 第16号」全文をご覧いただけます。
- 「校友会雑誌 第16号」PDFファイルへのリンク
卒業生数
中学13回 189名
教職員
職名 | 担任学科 | 氏 名 | 就 任 | |
---|---|---|---|---|
学校長 | 中島嘉之吉 | 1937/11/11 | ||
配属将校[3] | 不明 | |||
教諭 | 修身 | 修身、国漢、法経 | 岩本 實次郎 | 1923/04/12 |
国漢 | 臼杵 東峻 | 1923/04/05 | ||
手塚 昇 | 1924/03/31 | |||
尾見 修一 | 1926/03/31 | |||
宮下 幸平 | 1927/03/31 | |||
田波 又男 | 1927/03/31 | |||
岸本 美之留 | 1930/04/07 | |||
高野 正巳 | 1930/09/19 | |||
国漢(習字) | 斎藤 梅雄 | 1924/03/31 | ||
社会 | 地理 | 児玉 貞臣 | 1923/02/23 | |
歴史 | 山本 義夫 | 1924/03/31 | ||
甲藤 太郎 | 1926/03/31 | |||
歴史、地理 | 都築 秀徳 | 1925/03/31 | ||
数学 | 栗原 善範 | 1923/04/30 | ||
飯野 兼八 | 1924/03/31 | |||
高輪 休郎 | 1925/05/15 | |||
崎谷 巖 | 1926/03/31 | |||
沼尻 源一郎 | 1927/03/31 | |||
理科 | 博物[4] | 北見 宗吉 | 1923/04/05 | |
一瀬 義行 | 1925/03/31 | |||
物化 | 桑野 達平 | 1925/03/31 | ||
峯岸 政之助 | 1930/03/31 | |||
英語 | 伊藤 義末 | 1923/03/30 | ||
大伴 峻 | 1924/03/31 | |||
斎藤 幸之助 | 1926/03/31 | |||
川波 千尋 | 1926/03/31 | |||
百田 治朗 | 1926/03/31 | |||
大竹 健夫 | 1927/03/31 | |||
体操 | 加藤 譲 | 1923/04/10 | ||
岐部 信之助 | 1924/02/11 | |||
市野 保 | 1924/03/31 | |||
峰岸 徳哉 | 1927/03/31 | |||
芸術 | 図画 | 麻生 秀二 | 1923/03/31 | |
唱歌 | 松井 力 | 1925/03/31 |
嘱託・学校医
教科 | 氏名 | 就任 | 本籍地 | ||
---|---|---|---|---|---|
嘱託 | 国漢 | 龜山 與市 | 1925/06/20 | 岐阜県 | |
斎藤 芳滋 | 1927/03/31 | 東京府 | |||
福村 清 | 1929/03/31 | 大分県 | |||
数学 | 奈良 善雄 | 1926/03/31 | 青森県 | ||
赤沼 實 | 1929/10/09 | 長野県 | |||
理科 | 博物 | 岸谷 貞治郎 | 1925/03/31 | 大阪府 | |
英語 | 佐藤 浩 | 1924/03/31 | 山形県 | ||
ヘンリー・マーフォート・ケーリー | 1926/04/01 | 米国 | |||
長見 久堅 | 1929/03/31 | 島根県 | |||
山口 孝 | 1929/04/09 | 千葉県 | |||
体操 | 森田 文十郎 | 1925/03/31 | 埼玉県 | ||
佐藤 留五郎 | 1927/03/31 | 福島県 | |||
芸術 | 図画 | 吉田 雄司 | 1927/05/09 | 千葉県 | |
学校医 | 岡田 省三 | 1926/09/18 | 東京府 |
書記
職 名 | 氏 名 | 就 任 | 本籍地 |
---|---|---|---|
書記 | 佐藤 正男 | 1924/02/20 | 東京府 |
永山 政信 | 1924/04/05 | 茨城県 | |
平野 義包 | 1927/03/15 | 愛知県 |
卒業アルバム
- 1939(昭和14)年度の卒業生は「中13回」です。
- 中13回のページを参照ください。
関連項目
*← 1938年度 (昭和13年度) *→ 1940年度 (昭和15年度)
脚注
- ↑ 1940(昭和15)年1月以降については、「校友会雑誌 第17号」P68からの学校歴から転記しました。
- ↑ 恒久王妃 昌子内親王(つねひさおうひ まさこないしんのう)1888(明治21)年9月30日 - 1940(昭和15)年3月8日は日本の皇族。竹田宮恒久王の妃。明治天皇の第六皇女。母は園基祥伯爵令嬢・園祥子。大正天皇は異母兄、昭和天皇は甥に当たる。また作家で憲法学者の竹田恒泰の曾祖母である。
- ↑ 旧日本陸軍で、学校教練のため陸軍現役将校配属令などにより官公私立の中学校、高等学校、大学予などに配属された将校。
- ↑ 明治、大正、昭和初期までの小学校、中学校の動植物・鉱物を内容とする教科の名称。
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2022年10月15日:直近編集者:Hosamu
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