「1969年度 (昭和44年度)」の版間の差分

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| style="text-align:center" | できごと || style="text-align:center" | 詳細・引用・寄稿
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|style="width: 25%;vertical-align:top" |4月 2日 始業式<br>
4月 3日 健康診断<br>
4月XX~XX日 開校記念日<br>
5月 4日 春の遠足<br>
5月XX日 中間考査<br>
5月XX~XX日 PTA総会<br>
5月XX日 3年ア・テスト<br>
6月XX~XX日 期末考査 生徒総会<br>
6月XX日 終業式<br>
7月X~XX日 林間学校<br><br>
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9月1日 始業式<br>
9月2日~4日 ア・テスト<br>
9月9日~11日 水泳大会<br>
9月XX~XX日 運動会、X・X日代休<br>
10月XX~XX日  中間考査<br>
11月XX~XX日 2年修学旅行<br>
11月XX日~XX日 3年ア・テスト<br>
11月XX日 生徒総会<br>
12月XX~XX日 期末考査<br>
12月XX日 終業式<br>
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1月X日 始業式<br>
1月X~XX日 1・2年ア・テスト<br>
1月XX日 3年ア・テスト<br>
1月XX日 ロードレース<br>
3月X~XX日 期末考査<br>
3月 8日 卒業式 [[中8回 | 中八回生]](男子190名)<br>
3月XX日 終業式
| rowspan="3" style="width: 75% ;vertical-align:top" |'''変革期の高校時代 金山佳正'''<br>
 我々の高校生時代は正に変革期であった。まず、入学試験は例の学校群制度適用の第一期であり、世間の注目を集めた。この制度は我々一期生にとっては、学校群制度がその後評価されたほど悪いものではなかった。それは恐らく、この学校群第一期という事実が、当時の小山台の先生方、生徒の双方に、先輩にひけを取ってはならじという意識を植え付けたからではないだろうか。<br>
 そして、その学校群制度の洗礼を受けた我々を、学園紛争の嵐が襲ったのが、ちょうど三年生の時であった。<br>
当時、各地で学園紛争の嵐が吹き荒れていたが、小川台でも、掲示物、印刷物の検閲問題に端を発し、全校ストをかけて生徒総会が連日開かれていた。その総会では、白熱した論議が闘わされ、一時は受験勉強どころではなかった。一歩誤れば、スト突入、紛争の泥沼化に陥る危機に瀕していた。しかし、スト賛成派、反対派共、皆決して感情的にならず、全員自分の問題として真剣にかつ理性的に議論を交わした。その後大学で経験した総会や昨今の国会などより遥かに理性的かつ秩序正しいものだった。このように全校の先生方、生徒が真剣に問題に取り組んだからこそ、スト突入、紛争の泥沼化、生徒間の暴力的対立等の事態を回避し得たのであろう。<br>
 そして、結果的には、この時代が、長い小山台の歴史の中で、汚点とはならず、むしろ小山台の理性を証明するエポックとなっているのではないかと思う。<br>
 今後も、過去から培われた良き伝統を生かし、幾多の荒波を乗り切り、より一層素晴らしい小山台の伝統が築かれることを願って止まない。
(高22回・45年卒 日本航空㈱財務部)<br>
(「60周年記念誌」P182)<br><br>
'''着任当時の思い出 高村元継'''<br>
 初めて小山台の生徒に会ったのは目黒駅だった。清潔で凜々しい顔立ちをしていた。<br>
 教室では生徒たちは張り切って。よく反応し、鋭い質問が出、またよく哄笑した。<br>
 基礎的事項はその時々に物にしてくれるので、あとは存分に余談ができた。万葉集では仙覚律師の業績をたたえたり、文法では動詞の活用の発見者本居春庭を、東条義門とともに語ったり、時には中世のキリシタン資料を一緒に読んでハ行のF音を確めたりなどした。どこの高校でもやらないことをやってみようと思った。生徒はこういうはみ出した余談をよく聞いてくれた。<br>
 和辻哲郎の『風土』の文章の明噺であることを紹介し、割合に廉価であることを話したところ、岩波の箱入り上装の本格的書籍を、早速何人かの生徒が買ったからと言ってきてくれたのも忘れられない。<br>
 昼食休みには定刻に全校生徒が校庭に出てきて、自分たちで一斉に小山台体操をしていた。「敬愛・自主・力行」ということは脈々として生きていた。<br>
 それゆえ、修学旅行の西芳寺で寺の人に学校名を尋ねられ、印象に残る立派な生徒さんの学校は年に二つ三つありますと、この耳で聞けたのは心の宝となっている。(国語科教諭)<br>
(「60周年記念誌」P183)<br><br>
'''ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
 ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
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その後弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br>
(「創立XX周年記念誌」PYYY)
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| style="text-align:center" |世 相
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4月 学園紛争全国の高校に波及<br>
7月20日 米のアポロ一号月面に着陸<br>
3月14日 日本万国博覧会が開かる<br>
3月31日 日航機「よど号」ハイジャック事件
<br><br>
流行語-モーレツ・ニャロメ・あっと驚くタメゴロウ<br>
流行歌-恋の季節・ブルーライトヨコハマ・黒ネコのタンゴ<br>
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2025年3月14日 (金) 10:47時点における最新版

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1969(昭和44)年度



できごと

04.08 午前 始業式
04.08 午後 入学式 高24回生(男子280、女子102、計382名)
04.14 身体検査(~16)
05.04 創立記念
05.07 防火訓練
05.14 遠足
05.24 PTA総会
05.26 中間考査(~28)
05.31 進路懇談会(3年)
06.10 生徒総会
06.12 ア・テスト(3年)(~14)
07.09 期末考査(~12)
07.19 終業式
07.23 転入考査
07.29 クラブ合同合宿(~08.04)
08.05 林間学校(~08)

09.01 始業式
09.02 ア・テスト(1年)(~03)
09.02 ア・テスト(2・3年)(~04)
09.08 水泳大会(~10)
09.27 第24回寒菊祭(~28)
10.05 運動会:優勝(赤組)
10.16 中間考査(~18)
11.07 ア・テスト(3年)(~10)
11.10 修学旅行(2年)(~14)
11.12 遠足
11.20 生徒総会
11.22 個人面接(3年)
11.26 防火訓練
12.13 期末考査(~17)
12.25 終業式
01.03 スキー教室(~07)

01.08 始業式
01.09 ア・テスト(1年)(~10)
01.09 ア・テスト(2・3年)(~12)
01.24 ロードレース
02.20 学力検査(予定)
03.09 期末考査(~12)
03.18 卒業式 高22回生(男子297、女子99、計396名)
03.22 終業式
03.21 スキー教室(~25)
03.24 転入考査


世相

1969年
04. 学園紛争全国の高校に波及
07.20 米のアポロ一号月面に着陸
1970年
03.14 日本万国博覧会が開かる
03.31 日航機「よど号」ハイジャック事件


流行語-モーレツ・ニャロメ・あっと驚くタメゴロウ
流行歌-恋の季節・ブルーライトヨコハマ・黒ネコのタンゴ


変革期の高校時代 金山佳正

 我々の高校生時代は正に変革期であった。まず、入学試験は例の学校群制度適用の第一期であり、世間の注目を集めた。この制度は我々一期生にとっては、学校群制度がその後評価されたほど悪いものではなかった。それは恐らく、この学校群第一期という事実が、当時の小山台の先生方、生徒の双方に、先輩にひけを取ってはならじという意識を植え付けたからではないだろうか。
 そして、その学校群制度の洗礼を受けた我々を、学園紛争の嵐が襲ったのが、ちょうど三年生の時であった。
当時、各地で学園紛争の嵐が吹き荒れていたが、小川台でも、掲示物、印刷物の検閲問題に端を発し、全校ストをかけて生徒総会が連日開かれていた。その総会では、白熱した論議が闘わされ、一時は受験勉強どころではなかった。一歩誤れば、スト突入、紛争の泥沼化に陥る危機に瀕していた。しかし、スト賛成派、反対派共、皆決して感情的にならず、全員自分の問題として真剣にかつ理性的に議論を交わした。その後大学で経験した総会や昨今の国会などより遥かに理性的かつ秩序正しいものだった。このように全校の先生方、生徒が真剣に問題に取り組んだからこそ、スト突入、紛争の泥沼化、生徒間の暴力的対立等の事態を回避し得たのであろう。
 そして、結果的には、この時代が、長い小山台の歴史の中で、汚点とはならず、むしろ小山台の理性を証明するエポックとなっているのではないかと思う。
 今後も、過去から培われた良き伝統を生かし、幾多の荒波を乗り切り、より一層素晴らしい小山台の伝統が築かれることを願って止まない。
(高22回・45年卒 日本航空㈱財務部)(「60周年記念誌」P182より抜粋)

着任当時の思い出 高村元継

 初めて小山台の生徒に会ったのは目黒駅だった。清潔で凜々しい顔立ちをしていた。
 教室では生徒たちは張り切って。よく反応し、鋭い質問が出、またよく哄笑した。
 基礎的事項はその時々に物にしてくれるので、あとは存分に余談ができた。万葉集では仙覚律師の業績をたたえたり、文法では動詞の活用の発見者本居春庭を、東条義門とともに語ったり、時には中世のキリシタン資料を一緒に読んでハ行のF音を確めたりなどした。どこの高校でもやらないことをやってみようと思った。生徒はこういうはみ出した余談をよく聞いてくれた。
 和辻哲郎の『風土』の文章の明噺であることを紹介し、割合に廉価であることを話したところ、岩波の箱入り上装の本格的書籍を、早速何人かの生徒が買ったからと言ってきてくれたのも忘れられない。
 昼食休みには定刻に全校生徒が校庭に出てきて、自分たちで一斉に小山台体操をしていた。「敬愛・自主・力行」ということは脈々として生きていた。
 それゆえ、修学旅行の西芳寺で寺の人に学校名を尋ねられ、印象に残る立派な生徒さんの学校は年に二つ三つありますと、この耳で聞けたのは心の宝となっている。
「60周年記念誌」P183より抜粋)

紛争日録

 昭和44年は大学紛争が高校にも波及し、郁内各校で学校封鎖が行われるなど、多事多難な年であった。小山台商校は比較的冷静にこの波を乗り切ったが、ピークには連日のように生徒総会、職員会議が行われるなど、記録に苦悩の跡をとどめている。

4/28 沖縄デーで中央集会・学生多数参加本校生徒二名逮捕
    このころから臨時職員会議しばしば行われる
10/8 臨時職員会談(以下「臨職」と略称)郁内各校の紛争状況報告 赤軍派裏門でビラ散布
10/20 これより警備のため職員宿直実施
10/21 全校集合 国際反戦デーにつき注意
10/22・23 臨職
10/23 紛争対策委貝会(委員長荒久保忠夫)このころより活発に活動
10/24 児玉生徒部長より生徒会指導 23:00まで
10/25・27・29 臨職 29日は17:00~21:00
    3A,3G無許可ビラ配布
11/16 佐藤訪米反対のデモ激し 宿直9人
11/19 早朝三年生を中心に一部の動き(封鎖失敗)
    離職 17:00~20:10
11/21 三年生 掲示・ビラ・集会の件で校長と話し合い
11/26 臨職 生徒総会について
11/27 生徒総会(終日) 現行の検閲制度を廃止 掲示・ビラ・集会自由要求
11/29 生徒総会続行 13:00~16:30 臨職 17:00~21:00
12/1 臨職 15:35~22:10
12/2 臨職 15:40~22:40
12/3 生徒総会 13:00~16:45 学校側説明 質疑応答
    臨職 17:20~18:40
12/4 生徒総会 15:40~17:00 ストライキ提議 臨職
12/5 生徒総会 スト決議不成立 臨職 17:50~22:35
    (紛争ヤマを越える)
12/6 生徒総会 10:40~14:55 臨職 15:30~17:30
12/18 掲示等許可基準草案作成委員会(委員長荒久保忠夫教諭 生徒総会の要求に応えるため、これより連日開催)
45・1/26・28 臨職
1/29 定例生徒総会 掲示等許可基準承認 全学協議会設置について決議
 この後生徒総会の決議に基づいて全学協議会が設けられた。学校封鎖などに至らず、生徒総会によってすべてを運んだことは生徒の良識と全職員一致の努力の成果であった。
(「60周年記念誌」P182より抜粋)

教職員

職名 教科目 氏 名 担任 校務分掌 班活顧問 就 任 PTA・菊桜会 財団小山台
校長 (国語) 伊藤 太一郎 1967/04/01 PTA顧問 財団理事長
教頭 社会 宇野 一 1969/04/01 PTA副会長 財団常任理事
教諭 国語 舞田 正達 2年係 保健部 文芸 1939/06/30
落合 光禎 2年係 図書部 1945/09/30
安藤 千鶴子 3H 庶務部 華道 1960/04/01
湯沢 賢之助 1F 図書部 バドミントン 1962/04/01
土屋 泰男 2F 教務部 剣道 1965/04/01
野沢 穣 3C 教務部 1965/04/01
江藤 秀男 1C 進路部 卓球 1968/04/01
高村 元継 3年係 庶務部 1969/04/01
社会 地理 宮田 時雄 2B ラグビー 1947/06/15 PTA書記長
斎藤 績 3B 図書部 美術 1962/04/01
世界史 三橋 力 保健部長 1949/05/15 PTA実行委員
日本史 荒久保 忠夫 教務部長 写真 1954/09/16 PTA実行委員
沢井 景之助 2A 学年主任 歴史研究 1960/04/01 PTA実行委員
政経 塩野入 啓晃 1A 学年主任 演劇 1948/03/31 PTA実行委員
倫社 岡野 尚起 2年係 生徒部 心理研究 1969/04/01
数学 奥野 一雄 2年係 進路部 天文 1946/03/31
不島 静夫 3A 学年主任 1947/09/30 PTA実行委員
川又 之裕 図書部長 鉄道研究 1957/04/01 PTA実行委員
石井 孝雄 1年係 庶務部 1960/04/01
斎藤 昉 庶務部長 水泳 1960/04/01 PTA実行委員
若林 明弘 1E 教務部 ワンゲル 1963/04/01
児玉 一成 2D 生徒部長 1967/04/01 PTA実行委員
石黒 富美男 2E 生徒部 学校祭委員長 1967/10/01 PTA実行委員
理科 物理 鬼崎 菖三 2D 教務部 ラジオ 1967/04/01
芝 茂雄 3年係 教務部 物理 1969/04/01
化学 園山 忠夫 3G 進路部 化学 1946/09/15 財団理事
萩原 祥宏 1D 教務部 生物 1968/09/01
生物 鈴木 亨 進路部長 自動車 1951/04/01 PTA実行委員
水越 虔二 2G 進路部 社会研究 1963/05/01
地学 多胡 忠治 1年係 図書部 フォークダンス同好会 1965/04/01
英語 大島 長次 保健部 軟式テニス 1945/06/20
深掘 修 1G 生徒部 硬式テニス 1945/10/31
勢山 秀子 2H 図書部 ESS 1949/05/31
中山 重男 3D 保健部 柔道 1959/04/01
直井 鋠治 1H 進路部 野球 1967/04/01
稲田 宏 3E 教務部 新聞 1968/04/01
吉田 公子 1年係 保健部 合唱 1968/09/01
川端 一男 2年係 庶務部 バスケット 1969/04/01
保健・体育 榎木 繁男 3年係 保健部 陸上競技 1949/03/31
小林 年子 1B 生徒部 1952/04/01
阿部 修二 2C 生徒部 器械体操 1958/01/01
粂 太郎 3F 生徒部 サッカー 1964/09/01
中村 洋一 1年係 庶務部 排球 1967/04/01
音楽 土屋 公平 生徒部 ブラスバンド 1968/04/01 PTA書記
司書教諭 図書 矢口 洋子 図書部 弦楽 1955/04/01
養護教諭 養護 斎藤 千代 保健部 1964/03/01

講師・校医

教科 氏名
非常勤講師 社会 世界史 水村 光男
岡 俊夫
日本史 斉藤 壌
数学 橋本 勝正
理科 物理 豊田 正雄
化学 大岩 誠
芸術 美術 武田 良三
書道 黒沢 岩資
家庭 金子 純子
校医 内科 武田 久孝
耳鼻科 仙頭 哲夫
眼科 早川 和夫
歯科 鎌田 栄一
薬剤師 三浦 薫

事務職員

職 名 氏 名 就 任
事務長 佐藤 二郎 1966/04/01
事務主事 諸  孝 1961/05/01
真保 孝 1962/07/01
田頭 行雄 1968/10/01
事務主事補 見村 スミ子 1964/04/01
森井 節子 1967/04/01
山本 瑛子 1964/04/01
業務員(理科) 花屋 龍王 1969/04/01
用務員 平野 福三郎 1947/05/06
樋口 和三郎 1967/04/01
浅野 修一 1968/01/01
警備員 浜村 辰次郎 1954/08/01
神原 孝史 1966/02/01
PTA(事務) 小林 泰代 1964/04/01
PTA(大職) 市川 勝己 1967/12/21
PTA(図書) 増井 美佐子 1968/07/01
PTA(清掃) 槌屋 フミヨ 1963/04/01

生徒在籍数  (1969年4月現在)

A B C D E F G H
1年 35 35 35 35 35 35 35 35 280
13 13 13 12 13 13 13 12 102
48 48 48 48 48 48 48 47 383
2年 36 36 36 37 36 36 36 36 289
13 13 12 12 13 13 13 13 102
49 49 48 49 49 49 49 49 391
3年 38 37 38 37 37 37 38 37 299
10 13 13 13 13 13 11 13 99
48 50 51 50 50 50 49 50 398
総 計 868 303 1,171


寒菊祭(学芸会、展示会、招待試合、後夜祭)

9月27日(土)、28日(日) 開催




「1969年寒菊祭」は以下のリンクからご覧になれます。
1969年寒菊祭.pdfファイルへのリンク



文化祭(寒菊祭)パンフレット一覧は以下のページからご覧いただけます。
文化祭(寒菊祭)一覧表



運動会

10月5日(日) 開催
赤組優勝




菊香 第4号

「生徒会誌 菊香」第4号が発行された。


しかし、学校図書室には保管されていない。→現在探索中


生徒会誌「菊香」の一覧はこちら → 生徒会誌「菊香」一覧表

卒業アルバム





小山台新聞

1969(昭和44)年度発行
→「八高・小山台新聞」一覧へ移動



関連項目

 * ← 1968年度 (昭和43年度)    * → 1970年度 (昭和45年度)


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脚注




2025年3月14日:直近編集者:NMKtakaji
TimeStamp:20250314104711