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[[ファイル:09代 斎藤義光 02p.jpg|thumb|250px|斎藤 義光校長]]'''斎藤 義光'''(さいとう よしみつ、1976年4月1日 - 1980年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(九代) | |||
==本校歴== | ==本校歴== | ||
:1976年 | :1976年 4月 着任以後校舎改築の要請を関係方面に継続して行う。 | ||
:1977年 | :1977年 1月 8日 「小山台通信」を創刊する。 | ||
:1978年 | :1978年 3月31日 放送設備・給水設備・スプリンクラー設備・野外照明改修工事及び外灯増設工事完了する。 | ||
: | :1978年10月11日 創立55周年記念行事を挙行する。(高校3回卒 小林道夫氏によるバロック音楽演奏会実施) | ||
: | :1978年12月10日 地域社会に対する工程開放を実施する。 | ||
:1979年 | :1979年 3月31日 防球ネット(病院側)・消火栓(旧館・体育館)・講堂屋根ふきかえ、倉庫、体育館裏の整地を完了する。 | ||
:1980年 | :1980年 1月22日 体育館、旧館屋上の整備工事を完了する。 | ||
:1980年 | :1980年 3月14日 本校、校舎改築のための予算が決定承認された旨の示達を受ける。 | ||
:1980年 | :1980年 3月19日 「小山台高等学校校舎改築委員会」を発足させる。 | ||
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:斎藤義光校長先生については、以下のフォルダー内文書を転記すること。 | |||
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==エピソード== | |||
: 小山台高等学校4年間の思い出は尽きないが、その中でも、何かにつけて思い出すのは、昭和53年11月11日の創立55周年記念と、54年運動会練習中の生徒の事故である。 | |||
本校の創立記念は従来10年毎に行うのが伝統であったが、あえてその途中で創立記念式を行ったのには、私なりの教育的判断があった。その趣旨は、「小山台通信」の当日の記念号にも述べておいたが、高度経済成長の行き詰まりと、大学・高校紛争後の虚脱状態が、激変する情報化社会の中で、教育界にも極めて重要な課題を孕みつつあると判断したからである。そのためには、二分の一世紀にわたり、今日の小山台高校の伝統を築くのに卒業生と教師がどのような厳しい努力を重ねてきたかを、生徒諸君に直接認識させるのが最も有効な教育的方法と考えたからである。小林道夫氏にご出馬願ったのも、その優れた芸術に触れることもさることながら、生きた伝統を生徒に直接体験させたかったからである。今、60周年を迎えようとするとき、正に感無量である。 | |||
昭和54年の秋の運動会の練習中、先生方の周到な準備にもかかわらず事故が続出した。そのため、伝統ある運動会を大幅に変更せざるを得なかったが、その間における先生方と生徒諸君の、問題解決のための、理性ある努力には頭の下がる思いがしたことであった。伝統は常に生々発展する。小山台高校のシンボルとしての新しい運動会の発展を祈るや切である。 | |||
(第九代校長 斎藤義光 60周年記念誌より 在任中の思い出) | |||
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2023年11月24日 (金) 10:27時点における最新版
斎藤 義光(さいとう よしみつ、1976年4月1日 - 1980年3月31日)は、日本の教育者。東京都立小山台高等学校校長(九代)
本校歴
- 1976年 4月 着任以後校舎改築の要請を関係方面に継続して行う。
- 1977年 1月 8日 「小山台通信」を創刊する。
- 1978年 3月31日 放送設備・給水設備・スプリンクラー設備・野外照明改修工事及び外灯増設工事完了する。
- 1978年10月11日 創立55周年記念行事を挙行する。(高校3回卒 小林道夫氏によるバロック音楽演奏会実施)
- 1978年12月10日 地域社会に対する工程開放を実施する。
- 1979年 3月31日 防球ネット(病院側)・消火栓(旧館・体育館)・講堂屋根ふきかえ、倉庫、体育館裏の整地を完了する。
- 1980年 1月22日 体育館、旧館屋上の整備工事を完了する。
- 1980年 3月14日 本校、校舎改築のための予算が決定承認された旨の示達を受ける。
- 1980年 3月19日 「小山台高等学校校舎改築委員会」を発足させる。
- 斎藤義光校長先生については、以下のフォルダー内文書を転記すること。
エピソード
- 小山台高等学校4年間の思い出は尽きないが、その中でも、何かにつけて思い出すのは、昭和53年11月11日の創立55周年記念と、54年運動会練習中の生徒の事故である。
本校の創立記念は従来10年毎に行うのが伝統であったが、あえてその途中で創立記念式を行ったのには、私なりの教育的判断があった。その趣旨は、「小山台通信」の当日の記念号にも述べておいたが、高度経済成長の行き詰まりと、大学・高校紛争後の虚脱状態が、激変する情報化社会の中で、教育界にも極めて重要な課題を孕みつつあると判断したからである。そのためには、二分の一世紀にわたり、今日の小山台高校の伝統を築くのに卒業生と教師がどのような厳しい努力を重ねてきたかを、生徒諸君に直接認識させるのが最も有効な教育的方法と考えたからである。小林道夫氏にご出馬願ったのも、その優れた芸術に触れることもさることながら、生きた伝統を生徒に直接体験させたかったからである。今、60周年を迎えようとするとき、正に感無量である。
昭和54年の秋の運動会の練習中、先生方の周到な準備にもかかわらず事故が続出した。そのため、伝統ある運動会を大幅に変更せざるを得なかったが、その間における先生方と生徒諸君の、問題解決のための、理性ある努力には頭の下がる思いがしたことであった。伝統は常に生々発展する。小山台高校のシンボルとしての新しい運動会の発展を祈るや切である。
(第九代校長 斎藤義光 60周年記念誌より 在任中の思い出)
関連項目
- 着任:1976年4月1日
- 退任:1980年3月31日
前 任 | 在 任 | 後 任 |
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班目 文雄 | 川合 元彦 |
関連事項
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脚注:
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2023年11月24日:直近編集者:Inorio
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