「高12回 3G」の版間の差分

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== 2G集合写真 ==
== 2G集合写真 ==
:以下の写真は、高12回 板倉海彦 様より提供いただきました。
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:[[ファイル:dummy.jpg|660px|クリックすると詳細表示されます。ダウンロードも可能です。]]
::1958(昭和33)年 4月 2G集合写真 担任 永見 至先生
:[[ファイル:04 1958年 2G 遠足 千葉県香取市香取神社 永見 至先生p.jpg|660px|クリックすると詳細表示されます。ダウンロードも可能です。]]
::1958(昭和33)年 遠足 香取市香取神社 2G集合写真 担任 永見 至雄先生
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== 3G集合写真 ==
== 卒業から62年、毎年楽しく集まるクラス会:坂倉 海彦 ==
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| colspan="3" style="width: 48%"|'''2014年 1月24日 甲子園出場決定!'''<br>
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 2014(平成26)年 1月24日、ビッグニュースが飛び込んできました。そうです。甲子園出場の決定です。<br>
| style="width: 47%; vertical-align:top"|<span style="font-size:18px;">'''2022年G組クラス会'''</span><br>
 母校がその春に阪神甲子園球場で行われる第86回選抜高等学校野球大会の21世紀枠出場校に選出されるという栄誉を得たのです。前年の高校野球秋季東京大会で、母校野球班が、堀越、早実、日大豊山などの強豪校を破り、ベスト8に進出した成績と、母校の日頃の進学実績等の学業面の良好さが併せて評価され、晴れの甲子園出場が決まったのです。<br>
 
 そこで、小山台生のこの快挙を全面的に支援しようと、学校、PTA、同窓会がオール小山台として一体となって甲子園出場を応援するため、菊桜会会長を会長とする組織「東京都立小山台高等学校野球班甲子園出場応援委員会」(以下「応援委員会」また単に「委員会」)が立ち上がり、出場決定の翌日、2014(平成26)年 1月25日に発足しました。<br>
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 応援委員会の主たる役目は、関係各位から、甲子園出場支援のための寄付(賛助金)を募り、甲子園出場費用(野球班物品、選手・班員の交通費滞在費等)、応援団費用(応援ツァー代・同バス代の補助、入場券代、応援グッズ代等)、記念誌等の事業費等に充てることでした。<br>
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 寄付の集金システムとしては、学内関係者(教職員、生徒保護者等)及び一般からの寄付は、委員会の広報や委員会スタッフの直接の呼びかけ、また学校を窓口とするなどにより、応援委員会が直接収受し、学外の小山台関係者からの寄付は、学外団体(同窓会、野球班OB&G会等)が独立して寄付金を集め、これを応援委員会に必要に応じて再寄付するということにしました。<br>
ファイル:20221016_高12回_クラス会p.jpg|<div style="text-align:center; >2022年10月16日クラス会。81歳を迎えるこの年15人が参加<br>本人後列右より3人目</div>
 何故に学校ではなく応援委員会が主体となってこのようなシステムで寄付金を集めたのかということですが、その理由は、学校が寄付の受領者になると、収支の余剰金が出ると、学校は都立学校であることから、それを都へ納付しなければならなくなり、折角の寄付の趣旨即ち小山台高校への応援という趣旨が報われなくなってしまい、また学外の小山台関係者からの寄付も、学外団体がいったん収受してから委員会の要請に応じて必要な額だけ委員会に再寄付をすれば、応援委員会には余剰金は発生せず、委員会として面倒な残余金処理手続きが不要となり、加えて学外団体に余剰金が残り、学外団体の収入として有意義な利用ができることになるからです。<br><br>
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| style="width: 48%"| '''寄付金総収入 9,235万円'''<br>
 
 さて、委員会直接の募金活動としては、学内関係者、企業、近隣商店街、一般個人、都庁・区役所職員などの方々から寄付を頂きました。(菊桜会などの学外団体は独自に募金活動をしたことは前記のとおりです)<br>
 2022年10月16日()、毎年恒例のG組クラス会が開かれ15人のクラスメートが出席、3時間の宴を楽しんだ。今年度中に全員が81歳になるがまだまだ出席者は元気、毎年来ているのに会場の場所が分からなくなって遅刻したメンバーもいたが、多分全員無事に帰宅してくれたのだろうと思う。
 大口の寄付を頂いた先としては、小山台教育財団(300万円)、武蔵小山商店街振興組合(80万円)、キャノン㈱(50万円)、都立雪谷高校野球部応援会(30万円)といった方々でした。また品川区からも200万円の補助金を頂いたことも記しておきたいと思います。<br>
 
 <br>
 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。
 収入額の全体については、応援委員会としての収入は、菊桜会と野球班OB&G会からの再寄付分を含めて 6,445万円、菊桜会としての収入は、応援委員会への再寄付支出分 2,914万円を含めて 4,218万円、野球班OB&G会としての収入は、応援委員会への再寄付支出分520万円を含めて2,006万円、結局、再寄付分の重複計上を調整控除した寄付金の総収入は、9,235万円に上りました。<br><br>
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 これは2014(平成26)年 3月21日(金)に行われた甲子園大会での1回戦母校対履正社高校の試合(結果は残念ながら 0対11の敗戦)の1試合のみに掛かった数字でしたので、仮に母校が1回戦に勝利し、2回戦に進出していれば、更に数字は上乗せされ、軽く1億円は超えることは必至でした。<br>
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 支出額としては、応援委員会としては収入額6,445万円がそのまま必要経費として支出されました。また他に菊桜会や野球班OB&G会としての支出も当然に相当額がありましたが、詳細は省かせていただきます。ただ、菊桜会の残余金967万円余(経費控除後の金額)が「小山台生の夢の応援基金」として母校現役生徒の諸活動のために有意義に使用され、また野球班OB&G会の残余金も母校野球班の以後の活動費として有意義に使用されていることは特記しておきたいと思います。<br><br>
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 以上、母校の歴史上、一大イベントであった野球班甲子園出場の応援募金について、概略を後世の為に記させて頂きました。<br><br><br><br><br>
ファイル:高12回_006_修学旅行で友人と右側坂倉さんp.jpg|<div style="text-align:center; >修学旅行で友人と。本人右側</div>
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 クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。
 
 そして2000年代になってからは会場と日程を固定したことで毎年確実に開くこととなった。また担当の永見至先生がご長寿で80歳代になっても毎年出席して下さった事もクラス会を毎年開こうというクラスメートの気持ちに繋がったように思う。
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ファイル:高12回_007_担任の永見至先生p.jpg|<div style="text-align:center; >担任の永見 至先生</div>
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</div>
 
 このようにしてクラス会を続けていると面白いもので、最初は高校時代の思い出を語る会という感じが強かったが、メンバー同士が年を取ってからの新たな交流が重なって来ると新しい人間関係が生まれ年々より楽しく、より盛り上がる会になってきたように感じる。
 
 そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。
 
 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。
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ファイル:高12回_008_黄色組選手大活躍の運動会_増脚リレーp.jpg|<div style="text-align:center; >黄色組選手、大活躍の運動会</div>
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| style="width: 47%; vertical-align:top"|<span style="font-size:18px;">'''在学当時の小山台高校'''</span><br>
 我々のクラス、小山台高校12回生は1957(昭和32)年に入学、1960年までの3年間の武蔵小山での学園生活を送った。この時期の小山台高校の位置づけを思い出してみると、近年の大学の付属校、中高一貫教育校、多くの私立受験校などが受験の主役になっている時代と異なり、公立高校(東京では都立高校)が圧倒的に受験の中心だった。
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ファイル:高12回_003_運動会での応援団長の熱演p.jpg|<div style="text-align:center; >運動会での応援団長の熱演</div>
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 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きん出た進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。
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ファイル:高12回_001_修学旅行でのクラスメートp.jpg|<div style="text-align:center; >修学旅行でのクラス集合写真</div>
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 我々クラスメートは2年と3年の2学年をG組で過ごしたが、部活に時間を割くクラスメートも多く、理科系、文科系で授業が分かれていたからクラスで集まるのは昼休みのホームルームの時だけだったのではないかと思う。ホームルームは和気あいあいとした感じだったことは覚えているが、多分他のクラスも同じようなものだったのではないだろうか?
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ファイル:高12回_013_駅伝大会2G優勝_小山台壁新聞p.jpg|<div style="text-align:center; >駅伝大会で2G優勝 (小山台壁新聞)</div>
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 ただ2年生の3学期に開催された校内クラス対抗駅伝大会には2チームで参加し、1チームは大会新記録で優勝した。また3年の秋の運動会はG組のクラスメートが応援団長で、G組男子が中心になって下級生をリードし2年生、1年生も頑張ってくれて見事にG組とH組の黄色組が優勝した。
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ファイル:高12回_014_運動会_黄色組優勝のシーンp.jpg|<div style="text-align:center; >運動会で黄色組優勝のシーン</div>
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 受験勉強中でも学校の行事などでは皆が協力する団結の強いクラスだったのかもしれないし、このことは楽しかった良い思い出として皆の心に残っている。
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:[[ファイル:いっぱち_第4号_007_命拾いの人生_西尾孝先生02.jpg|1200px]]
 
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| style="width: 47%; vertical-align:top"|<span style="font-size:18px;">'''クラス会幹事グループ創設'''</span><br>
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ファイル:高12回_002_運動会の応援席p.jpg|<div style="text-align:center; >運動会の応援席</div>
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 クラス会を開くとなると幹事を決めて様々なアレンジをするのが普通だろうが、当然我々のクラス会もそのような体制で開催してきた。
 
 しかし75歳を超えたころから、幹事が急に病に倒れたりするとこのクラス会が途切れるリスクがあるという話になり、幹事を複数にしてリスクヘッジをしようという事になった。
 
 その結果8人で幹事グループを編成し夫々が会計担当、会の進行担当、名簿や書類担当、連絡担当、会場との折衝担当、会の挨拶担当など適当に分業している。また関西居住のクラスメートには母校が再び甲子園に出場の際の大阪での臨時クラス会を開く時の担当をお願いしてある。
 
 実は2014年のセンバツ高校野球に小山台高校が初出場した時には、我々のクラスメート10人が大阪に駆け付けた。そして甲子園で応援の後大阪のホテルで臨時クラス会を開いた。
 
 多分50年以上前に卒業した年代で1クラスから10人も甲子園に応援に行ったのはそう多くはないはずだ。<br>
 
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ファイル:高12回_009_運動会での応援席p.jpg|<div style="text-align:center; >運動会での応援席</div>
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| style="width: 47%; vertical-align:top"| 
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ファイル:高12回_004_仮装行列_01p.jpg|<div style="text-align:center; >運動会:仮装行列 その1</div>
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<span style="font-size:18px;">'''幹事会の楽しみ'''</span><br>
 クラス会幹事を複数にすることになると時々幹事会を開きクラス会の反省をしたり、計画を立てたりする事になる。10月のクラス会の後12月か1月に幹事会を開き、反省点を話し合い次の会に生かそうという事になるが、当然その後は忘年会または新年会での一杯を楽しむ。
 5月頃に春の幹事会で情報交換のあと一杯、暑気払いの際に次のクラス会の詳細を決めてまた一杯。クラス会を含めて年4回集まることが幹事にとってはこの上ない楽しみになって来た。
 最近になって「G組クラス会は我々の生涯の財産だ!」という気持ちが幹事にも芽生えてきているし、クラスメートも近い思いだろう。これから我々は年々加齢し色々問題が出てくるであろうが、先ずはクラス会の出席を目標にお互いに元気でいるように刺激し合い、動けないクラスメートが出てきたらITに強い幹事がオンラインでも出席できるようにしよう!などと話し合っている。出来るだけ長く続ける覚悟なのだ。
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ファイル:高12回_005_仮装行列_02p.jpg|<div style="text-align:center; >運動会:仮装行列 その2</div>
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:[[ファイル:いっぱち_第4号_008_命拾いの人生_西尾孝先生03.jpg|1200px]]
 
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| style="width: 47%; vertical-align:top"|<span style="font-size:18px;">'''母校100周年を祝える喜び'''</span><br>
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ファイル:高12回_010_1959年遠足3G_担任永見至先生p.jpg|<div style="text-align:center; >1959(昭和34)年 遠足 3G集合写真 担任 永見 至先生</div>
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<tab name="P004c">
 我々の人生にこのような素晴らしい贈り物をしてくれた小山台高校に感謝をしたいし、その母校の100周年に立ち会えることは高12回生G組クラス会のクラスメート全員の喜びである。
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:[[ファイル:いっぱち_第4号_009_命拾いの人生_西尾孝先生04.jpg|1200px]]
 ありがとう!
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 そして100周年おめでとう小山台高校!♪
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ファイル:高12回_011_G組ホームルームの様子p.jpg|<div style="text-align:center; >G組 ホームルームの様子</div>
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<gallery widths=490px heights=340px >
ファイル:高12回_012_昼食後八角塔周辺に集まる3Gクラスメートp.jpg|<div style="text-align:center; >昼食後、八角塔周辺に集まるクラスメート</div>
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<span style="font-size:18px;">'''100周年の先を見つめて'''</span><br>
 後輩にぜひ伝えたいこと
 
 私たちの世代は長寿化の恩恵を受け始めた世代で80代になった今でも高校時代の仲間との楽しいクラス会を続けています。今の高校生諸君は我々よりもっと長い年月を生きることになります。
 
 長い人生を素晴らしく生きるには月並みな言葉ですが身体、心、頭脳をバランスよく鍛える事が大切、特に高校時代がポイントだと思います。また生涯付き合える良い友や仲間を純粋な気持ちで作れるのもこの時期かもしれません。幸いに小山台高校にはそれらを叶える環境が今でも揃っているのではないでしょうか。
 
 小山台での高校生活を充実させ、卒業後もその縁を大切にして良い人生を送る後輩が多い事を願っています。
 
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あとがき:<br>
 この文章は坂倉海彦の素案をベースに根津修、藤田邦武、荒木鑑、興津雄二、勝田泰久、松丸重雄、高原晃の各幹事が意見を出しあい写真の加工などの作業を分担して完成しました。
 
            (原稿作成日:2022年11月3日)
 
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== 卒業アルバムより ==
== 卒業アルバムより ==
:高4回卒業アルバムは、保管されていません。お持ちの方は以下までご連絡ください。
:高12回卒業アルバムは、保管されていません。お持ちの方は以下までご連絡ください。
:<gallery widths=350px  heights=250px >
:ファイル:04 卒業アルバム 3G寄せ書き.jpg|<div style="text-align:center; > 3G 寄せ書き </div>
:ファイル:05 卒業アルバム 3Gスナップ01.jpg|<div style="text-align:center; > 3G組 スナップ </div>
:ファイル:05 卒業アルバム 3Gスナップ02.jpg|<div style="text-align:center; > 3G組の華 </div>
:ファイル:05 卒業アルバム 3Gスナップ03.jpg|<div style="text-align:center; > 3G組? </div>
:ファイル:05 卒業アルバム 3Gスナップ04.jpg|<div style="text-align:center; > 3G組 八角塔 </div>
:ファイル:05 卒業アルバム 3Gスナップ05.jpg|<div style="text-align:center; > 男子の表情はなぜか硬いですねぇ </div>
:ファイル:06 卒業アルバム 屋上にて.jpg|<div style="text-align:center; > 屋上集合写真 </div>
:ファイル:06 卒業アルバム 永見 至先生 物理の授業.jpg|<div style="text-align:center; > 永見 至先生 物理の授業風景 </div>
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: [[高12回 3F| ←「高12回 3F のページへ」]]   [[高12回 3H| →「高12回 3H のページへ」]]
: [[高12回 3C| ←「高12回 3C のページへ」]]   [[高12回 3D| ←「高12回 3D のページへ」]]   [[高12回 3E| ←「高12回 3E のページへ」]]   [[高12回 3F| ←「高12回 3F のページへ」]]   [[高12回 3H| →「高12回 3H のページへ」]]
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2023年1月17日 (火) 10:24時点における最新版

2G集合写真





卒業から62年、毎年楽しく集まるクラス会:坂倉 海彦

2022年G組クラス会

 2022年10月16日(日)、毎年恒例のG組クラス会が開かれ15人のクラスメートが出席、3時間の宴を楽しんだ。今年度中に全員が81歳になるがまだまだ出席者は元気、毎年来ているのに会場の場所が分からなくなって遅刻したメンバーもいたが、多分全員無事に帰宅してくれたのだろうと思う。

 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。

 クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。

 そして2000年代になってからは会場と日程を固定したことで毎年確実に開くこととなった。また担当の永見至先生がご長寿で80歳代になっても毎年出席して下さった事もクラス会を毎年開こうというクラスメートの気持ちに繋がったように思う。

 



 このようにしてクラス会を続けていると面白いもので、最初は高校時代の思い出を語る会という感じが強かったが、メンバー同士が年を取ってからの新たな交流が重なって来ると新しい人間関係が生まれ年々より楽しく、より盛り上がる会になってきたように感じる。

 そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。

 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。




在学当時の小山台高校

 我々のクラス、小山台高校12回生は1957(昭和32)年に入学、1960年までの3年間の武蔵小山での学園生活を送った。この時期の小山台高校の位置づけを思い出してみると、近年の大学の付属校、中高一貫教育校、多くの私立受験校などが受験の主役になっている時代と異なり、公立高校(東京では都立高校)が圧倒的に受験の中心だった。

 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きん出た進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。

 


 我々クラスメートは2年と3年の2学年をG組で過ごしたが、部活に時間を割くクラスメートも多く、理科系、文科系で授業が分かれていたからクラスで集まるのは昼休みのホームルームの時だけだったのではないかと思う。ホームルームは和気あいあいとした感じだったことは覚えているが、多分他のクラスも同じようなものだったのではないだろうか?

 ただ2年生の3学期に開催された校内クラス対抗駅伝大会には2チームで参加し、1チームは大会新記録で優勝した。また3年の秋の運動会はG組のクラスメートが応援団長で、G組男子が中心になって下級生をリードし2年生、1年生も頑張ってくれて見事にG組とH組の黄色組が優勝した。

 受験勉強中でも学校の行事などでは皆が協力する団結の強いクラスだったのかもしれないし、このことは楽しかった良い思い出として皆の心に残っている。



クラス会幹事グループ創設

 クラス会を開くとなると幹事を決めて様々なアレンジをするのが普通だろうが、当然我々のクラス会もそのような体制で開催してきた。

 しかし75歳を超えたころから、幹事が急に病に倒れたりするとこのクラス会が途切れるリスクがあるという話になり、幹事を複数にしてリスクヘッジをしようという事になった。

 その結果8人で幹事グループを編成し夫々が会計担当、会の進行担当、名簿や書類担当、連絡担当、会場との折衝担当、会の挨拶担当など適当に分業している。また関西居住のクラスメートには母校が再び甲子園に出場の際の大阪での臨時クラス会を開く時の担当をお願いしてある。

 実は2014年のセンバツ高校野球に小山台高校が初出場した時には、我々のクラスメート10人が大阪に駆け付けた。そして甲子園で応援の後大阪のホテルで臨時クラス会を開いた。

 多分50年以上前に卒業した年代で1クラスから10人も甲子園に応援に行ったのはそう多くはないはずだ。


   



幹事会の楽しみ
 クラス会幹事を複数にすることになると時々幹事会を開きクラス会の反省をしたり、計画を立てたりする事になる。10月のクラス会の後12月か1月に幹事会を開き、反省点を話し合い次の会に生かそうという事になるが、当然その後は忘年会または新年会での一杯を楽しむ。

 5月頃に春の幹事会で情報交換のあと一杯、暑気払いの際に次のクラス会の詳細を決めてまた一杯。クラス会を含めて年4回集まることが幹事にとってはこの上ない楽しみになって来た。

 最近になって「G組クラス会は我々の生涯の財産だ!」という気持ちが幹事にも芽生えてきているし、クラスメートも近い思いだろう。これから我々は年々加齢し色々問題が出てくるであろうが、先ずはクラス会の出席を目標にお互いに元気でいるように刺激し合い、動けないクラスメートが出てきたらITに強い幹事がオンラインでも出席できるようにしよう!などと話し合っている。出来るだけ長く続ける覚悟なのだ。




母校100周年を祝える喜び

 我々の人生にこのような素晴らしい贈り物をしてくれた小山台高校に感謝をしたいし、その母校の100周年に立ち会えることは高12回生G組クラス会のクラスメート全員の喜びである。

 ありがとう!

 そして100周年おめでとう小山台高校!♪


   



100周年の先を見つめて
 後輩にぜひ伝えたいこと

 私たちの世代は長寿化の恩恵を受け始めた世代で80代になった今でも高校時代の仲間との楽しいクラス会を続けています。今の高校生諸君は我々よりもっと長い年月を生きることになります。

 長い人生を素晴らしく生きるには月並みな言葉ですが身体、心、頭脳をバランスよく鍛える事が大切、特に高校時代がポイントだと思います。また生涯付き合える良い友や仲間を純粋な気持ちで作れるのもこの時期かもしれません。幸いに小山台高校にはそれらを叶える環境が今でも揃っているのではないでしょうか。

 小山台での高校生活を充実させ、卒業後もその縁を大切にして良い人生を送る後輩が多い事を願っています。




あとがき:
 この文章は坂倉海彦の素案をベースに根津修、藤田邦武、荒木鑑、興津雄二、勝田泰久、松丸重雄、高原晃の各幹事が意見を出しあい写真の加工などの作業を分担して完成しました。

            (原稿作成日:2022年11月3日)





卒業アルバムより

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脚注: 


2023年1月17日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20230117102447