「中19回」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
Adminkoyama100 (トーク | 投稿記録) |
Adminkoyama100 (トーク | 投稿記録) |
||
(同じ利用者による、間の2版が非表示) | |||
41行目: | 41行目: | ||
:1945(昭和20)年 3月 9~10日 東京大空襲(下町) | :1945(昭和20)年 3月 9~10日 東京大空襲(下町) | ||
:1945(昭和20)年 3月28日 都立第八中学校[[中18回|18回]]生(180名)、[[#top|19回]]生(4年卒:282名)合同卒業式 | :1945(昭和20)年 3月28日 都立第八中学校[[中18回|18回]]生(180名)、[[#top|19回]]生(4年卒:282名)合同卒業式 | ||
---- | |||
:1945(昭和20)年 4月~7月 動員継続 | :1945(昭和20)年 4月~7月 動員継続 | ||
:1945(昭和20)年 5月23~25日 東京大空襲(山の手) | :1945(昭和20)年 5月23~25日 東京大空襲(山の手) | ||
471行目: | 472行目: | ||
:'''杉浦祥吉「イギリスはおかしな国」'''(下のボタンを押すと全文が表示されます) | :'''杉浦祥吉「イギリスはおかしな国」'''(下のボタンを押すと全文が表示されます) | ||
:仕事と旅行で海外に200回以上出かけた杉浦祥吉さんがイギリスの「怜悧・狡猾・悪辣な点、そしてすばらしいところ」について語ります。これであなたも「イギリス通!」 | :仕事と旅行で海外に200回以上出かけた杉浦祥吉さんがイギリスの「怜悧・狡猾・悪辣な点、そしてすばらしいところ」について語ります。これであなたも「イギリス通!」 | ||
: | :英王族の好色さについて詳述している点については、側室が当たり前の昔の日本や他の一夫多妻制各国などと比較すると「たいしたことない」感もあります。「自然遺産」などを保存する活動・仕組みはまさに「すばらしい」 | ||
<div style="margin:0 0 0 3em"> | <div style="margin:0 0 0 3em"> | ||
<span class="mw-customtoggle-myDivision2 koyama-button-c" style="padding:0 7px 0 7px; text-align:center;">杉浦祥吉「イギリスはおかしな国」を表示</span> | <span class="mw-customtoggle-myDivision2 koyama-button-c" style="padding:0 7px 0 7px; text-align:center;">杉浦祥吉「イギリスはおかしな国」を表示</span> | ||
627行目: | 628行目: | ||
---- | ---- | ||
: [[中18回| ←「中18回のページへ」]] [[中20回| →「中20回のページへ」]] | : [[中18回| ←「中18回のページへ」]] [[中20回| →「中20回のページへ」]] | ||
: [[#top| ↑ページトップへ]] [[メインページ#同期会のページ| ↑↑メインページ「同期会のページ」に戻る]] | : [[#top| ↑ページトップへ]] [[メインページ#同期会のページ| ↑↑メインページ「同期会のページ」に戻る]] [[1941年度 (昭和16年度)|↑1941年度 (昭和16年度)へ]] [[1942年度 (昭和17年度)|↑1942年度 (昭和17年度)へ]] [[1943年度 (昭和18年度)|↑1943年度 (昭和24年度)へ]] [[1944年度 (昭和19年度)|↑1944年度 (昭和19年度)へ]] | ||
脚注: <references/> | 脚注: <references/> | ||
<br> | <br> |
2023年5月26日 (金) 13:38時点における最新版
このページでは中19回生卒業50周年記念誌の「篤友」」をぜひご覧ください。
中19回生の歩み
- 1941(昭和16)年 3月 入試体力テスト(松蔭神社行軍)
- 1941(昭和16)年 4月 府立第八中学校入学(新制服制定)
- 1941(昭和16)年 5月 高尾山遠足
- 1941(昭和16)年 9月 学校報国隊結成
- 1941(昭和16)年10月 8日 学芸会
- 1941(昭和16)年10月10日 鍛錬運動大会
- 1941(昭和16)年12月 8日 真珠湾攻撃、マレー半島上陸
- 1941(昭和16)年12月 8日 教練査問(講評「優良」)
- 1942(昭和17)年 4月30日 10粁マラソン(学校⇔自由が丘)
- 1942(昭和17)年 6月 5日 ミッドウェー海戦
- 1942(昭和17)年 6月 6日 鎌倉遠足
- 1942(昭和17)年 6月28日 武道大会
- 1942(昭和17)年 9月 水泳大会
- 1942(昭和17)年10月 7日 学芸会
- 1942(昭和17)年11月 1日 鍛錬運動大会
- 1943(昭和18)年 4月 6日 岡田藤十郎初代校長逝去
- 1943(昭和18)年 5月 5日 創立20周年記念式典
- 1943(昭和18)年 5月 箱根・伊豆長岡遠足
- 1943(昭和18)年 6月 日 60粁徹宵行軍 (府中大国魂神社)
- 1943(昭和18)年 7月 1日 都制施行により、東京都立第八中学校と改称
- 1943(昭和18)年 9月 成績評価を従来の点数制より「有良可」へ変更
- 1943(昭和18)年10月 2日 学芸会
- 1943(昭和18)年10月21日 学徒出陣壮行会 (神宮外苑)
- 1943(昭和18)年10月28日 戦没卒業生 合同慰霊祭
- 1943(昭和18)年10月30日 教練査問 (講評「優良」)
- 1943(昭和18)年11月14日 鍛錬運動大会
- 1943(昭和18)年12月24日 徴兵年齢、19歳に引き下げ
- 1944(昭和19)年 4月 5年生勤労動員出動
- 1944(昭和19)年 6月 4年生勤労動員出動
- 1944(昭和19)年 8月 3年生勤労動員出動
- 1944(昭和19)年10月 軍学校(陸士・海兵)入校開始
- 1944(昭和19)年11月 小富士、野外教練
- 1944(昭和19)年12月 2年生勤労動員出動
- 1945(昭和20)年 3月 9~10日 東京大空襲(下町)
- 1945(昭和20)年 3月28日 都立第八中学校18回生(180名)、19回生(4年卒:282名)合同卒業式
- 1945(昭和20)年 4月~7月 動員継続
- 1945(昭和20)年 5月23~25日 東京大空襲(山の手)
- 1945(昭和20)年 5月23~24日 校舎罹災
- 1945(昭和20)年 6月30日 中島嘉之吉校長 依願退職
- 1945(昭和20)年 7月16日 米、ニューメキシで原爆実験に成功
各クラスのページ
入学時の各クラス集合写真
- プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は菊桜会事務局で保管しています。閲覧希望の菊桜会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名、菊桜会IDとともに事務局または以下までお問い合わせください。
- wiki_admin@koyamadai100.jp
- 入学時クラス集合写真:1941(昭和16)年入学
- 4年時クラス集合写真:1941(昭和20)年 3月卒業(4年卒)
中19回生卒業50周年記念誌「篤友」
- 1995(平成7)年3月26日、中19回卒業五十周年記念大会を開催。その会での合意をもとに同年11月30日「卒業五十周年記念誌『篤友』」を刊行
- 「篤友」は中19回 小島章伸 様にご紹介いただきました。
- 「恩師特別寄稿:深井英一・國枝芳夫・舞田正達・大島好道・西尾 孝」各先生方の寄稿は必見です。(下のボタンを押すと全文が表示されます)
「篤友」
- 以下のリンクから「篤友」全文をご覧いただけます。太平洋戦争に翻弄された、生徒達の記録。
- まさに「ひとりひとりが映画です」「ちょっとのぞいてみませんか?」
- 「篤友」PDFファイルへのリンク
- その後「篤友 会報」が8号まで発行されています。菊桜会会室には「篤友 会報1号、会報4号、会報5号、会報6号、会報7号、会報8号」が保管されていました。
篤友 会報1号
- 「篤友 会報4号」は1997(平成9)年10月1日発行。「卒業50周年記念誌」発刊後、毎年1号ずつ発行されています。
「篤友 会報1号」
- 以下のリンクから「篤友 会報1号」全文をご覧いただけます。
- 「篤友 会報1号」PDFファイルへのリンク
篤友 会報4号
- 「篤友 会報4号」は2000(平成12)年10月29日発行。「卒業50周年記念誌」発刊後、ほぼ毎年1号ずつ発行されているようです。
- 「加藤楸邨先生と私:佐藤善信」(下のボタンを押すと全文が表示されます)
「篤友 会報4号」
- 以下のリンクから「篤友 会報4号」全文をご覧いただけます。
- 「篤友 会報4号」PDFファイルへのリンク
篤友 会報5号
- 「篤友 会報5号」は2001(平成13)年10月20日発行。
- 青木延雄「日本学士院賞を受賞して」 (下のボタンを押すと全文が表示されます)
- 文化勲章に次ぐ賞と言われる「日本学士院賞」を受賞した青木延雄さんの寄稿で、人柄がしのばれる好編です。必読。
- 戸塚 新「佐渡二題」 佐渡にまつわる良い話です。「読んで良かった!」と嬉しくなります。(下のボタンを押すと全文が表示されます)
「篤友 会報5号」
- 以下のリンクから「篤友 会報5号」全文をご覧いただけます。
- 「篤友 会報5号」PDFファイルへのリンク
篤友 会報6号
- 「篤友 会報6号」は2002(平成14)年10月25日発行。
- 特別寄稿「大島好道君を偲ぶ:西尾 孝」 (下のボタンを押すと全文が表示されます)
- 「大島好道先生追悼:小島章伸、中村家久、岡田延弘」(下のボタンを押すと全文が表示されます)
「篤友 会報6号」
- 以下のリンクから「篤友 会報6号」全文をご覧いただけます。
- 「篤友 会報6号」PDFファイルへのリンク
篤友 会報7号
- 「篤友 会報4号」は2003(平成15)年10月26日発行です。
- 杉浦祥吉「イギリスはおかしな国」(下のボタンを押すと全文が表示されます)
- 仕事と旅行で海外に200回以上出かけた杉浦祥吉さんがイギリスの「怜悧・狡猾・悪辣な点、そしてすばらしいところ」について語ります。これであなたも「イギリス通!」
- 英王族の好色さについて詳述している点については、側室が当たり前の昔の日本や他の一夫多妻制各国などと比較すると「たいしたことない」感もあります。「自然遺産」などを保存する活動・仕組みはまさに「すばらしい」
「篤友 会報7号」
- 以下のリンクから「篤友 会報7号」全文をご覧いただけます。
- 「篤友 会報7号」PDFファイルへのリンク
篤友 会報8号
- 「篤友 会報8号」は2004(平成16)年10月24日発行。
- 小島康見「楸邨・弓彦」 (下のボタンを押すと全文が表示されます)
- 「加藤楸邨先生と皆川一郎(弓彦)先生」の交遊についての小島康見(中20、俳文学者)さんの寄稿。
- 杉浦祥吉「蟻の行列」 加藤楸邨先生の思い出です。有名な中村草田男って卑怯な人間だったようです。(下のボタンを押すと全文が表示されます)
中19回卒業生インタビュー
- ←「中18回のページへ」 →「中20回のページへ」
- ↑ページトップへ ↑↑メインページ「同期会のページ」に戻る ↑1941年度 (昭和16年度)へ ↑1942年度 (昭和17年度)へ ↑1943年度 (昭和24年度)へ ↑1944年度 (昭和19年度)へ
脚注:
・
2023年5月26日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20230526133852