「1955年度 (昭和30年度)」の版間の差分

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」小山台新聞XX号</div>
ファイル:1955 体育館完成 70周年記念誌.png|体育館完成(「70周年記念誌」)
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」小山台新聞XX号</div>
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」小山台新聞XX号</div>
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|-
| colspan="2" style="text-align:center" | できごと || style="text-align:center" | 詳細・引用・寄稿
|-
|style="width: 10%;vertical-align:top" |4月X日<br>
4月X日<br>
4月XX~XX日<br>
5月 4日<br>
5月XX日<br>
5月XX~XX日<br>
5月XX日<br>
6月XX~XX日<br>
6月XX日<br>
7月X~XX日<br>
7月XX日<br>
8月XX~XX日<br>
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9月1日<br>
9月2日~4日<br>
9月9日~11日<br>
9月XX~XX日<br>
10月X日<br>
10月XX~XX日<br>
11月XX~XX日<br>
11月XX日~XX日<br>
11月XX<br>
12月XX~XX日<br>
12月XX日<br>
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1月X日<br>
1月X~XX日<br>
1月XX日<br>
1月XX日<br>
3月X~XX日<br>
3月8日<br>
3月XX日
|style="width: 25% ;vertical-align:top" |入学式 [[高10回]]生(男子296、女子96、計392名)<br>
始業式<br>
健康診断<br>
開校記念日<br>
春の遠足<br>
中間考査<br>
PTA総会<br>
3年ア・テスト<br>
生徒総会<br>
期末考査<br>
終業式<br>
林間学校<br>
----
始業式<br>
ア・テスト<br>
水泳大会<br>
文化祭<br>
運動会、X・X日代休<br>
中間考査<br>
2年修学旅行<br>
3年ア・テスト<br>
生徒総会<br>
期末考査<br>
終業式
----
始業式<br>
1・2年ア・テスト<br>
3年ア・テスト<br>
ロードレース<br>
期末考査<br>
卒業式 [[高8回 | 高8回生]](男子310、女子81、計391名)<br>
終業式
| rowspan="3" style="width: 65% ;vertical-align:top" |'''ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
 ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
(「XX周年記念誌」PYY)<br><br>
'''ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
 ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
 ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
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ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
その後弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br>
(「創立XX周年記念誌」PYYY)
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| colspan="2" style="text-align:center"|世 相
|-
|style="vertical-align:top"|5月XX日<br>
7月XX日<br><br>
流行語<br>
流行歌
|style="vertical-align:top"|〇〇〇〇〇〇〇〇<br>
〇〇〇〇〇〇〇〇<br><br>
〇〇〇〇〇〇〇〇<br>
〇〇〇〇〇〇〇〇
|}
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</div>
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==できごと==
<div style="margin:-6px 0 -8px 1em; max-width:1600px">
4月 入学式
5月 女子制服決定
5月18日 1・2年遠足
6月19日 紫雲丸弔慰金募集
7月14日 海洋班ヨット大井競馬場附近で転覆、救助さる
7月21日~30日 夏期講習(1・2年)
7月21日~8月4日 夏期講習(3年)
9月19日 小山台新聞20号、黒板新聞1200号発刊
9月23日~24日 学校祭
10月2日 運動会
11月 裏門改修、木扉を鉄扉に改める
11月23日~27日 2年修学旅行
11月26日 1・3年遠足
12月5日 全校マラソン
12月23日 体育館落成式挙行
2月11日 スケート教室
2月15日 オリンピック派遣費募金
3月1日~2日 合同選抜学力検査のため休校
3月6日 高等学校第8回卒業式


==できごと==
: ※入学式日 記載無 [[高10回 | 高10回生]](男子296、女子96、計392名)
:
: ※卒業式日 記載無 [[高8回 | 高8回生]](男子310、女子81、計391名)
:


<br>
==世相==
 
5月8日 砂川闘争
 
8月3日 民主党の「うれうべき教科書」配付、問題化
 
8月6日 第1回原水爆禁止世界大会
 
 
'''流行語''':「ノイローゼ」「太陽族」「兵隊の位になおすと」
 
'''流行歌''':「月がとっても青いから」「りんどう峠」
 
 
==当時の思い出==
 今二冊の文集を手にして高校時代を懐かしんでいる。一つは「ぼんくら」と表紙に書かれた自分のクラスの卒業記念文集であり、もう一つは「心の餞け」というクラス担任の先生方全員による餞別の文集である。思えば、われわれの学年は(全部のクラスではなかったかもしれぬが)受験期の忙しい時に貴重な時間をエネルギーを割いて文集を作成し、先生方もわれわれの意気込みに応えて小冊子の文集を編んで下さったのである。こうした文集にひとしお深い感慨を覚えるのは、小山台での生活が勉学に明け暮れするものではなかったことを端的に物語っているからだろう。実際に30周年記念行事、運動会での華やかな応援合戦や仮装行列、各種の組別対抗試合やサークル活動等、 小山台は「一流大学受験校」といったイメージとは裏腹に青春を楽しんだ思い出に豊かに彩られている。 秋の運動会の終了後、男女生徒が校庭で一緒になってフォークダンスを踊ったのもこの頃が最初であろう。 今の学生には何でもないことだろうが、われわれの世代には共学を意識する大変新鮮な出来事であったように思う。
 
(高8回 新川健三郎「60周年記念誌」P155)
 
==八中から小山台へ==
 
 昭和26年4月愛知県の田舎から2年A組(高輪組)に編入、27年9月病気休学、昭和30年4月半病人としか言えない状態ながらE組(井沢組)に復学、半日通学ではあったがお情けで翌年4月卒業。
 
 田舎で4年間を過ごした私にとって、小山台生はあまりにも都会的で、始めはロクに口もきけなかった。特にサークル(歴研)の先輩(神馬、塚越、木下三氏)には完全に圧倒された。マルクス、レーニン、古今東西の哲学者何でもござれ、という颯爽ぶり。受験勉強などしたことない、というポーズも本当らしく(実は現役で東大文一・一橋合格)いえた。
 
 復学後の同期生は、これらの猛者に比べると、いかにも若々しく旧制高校的な雰囲気は全くといってよいほどなくなっていた。刮目すべきは女生徒の進出で、何人かが上位50人の定連になっていた。
 
 という訳で5年も在籍したお蔭で、私は旧制八中が完全に消滅し、新制小山台が生長していく過程をまざまざと体験したのである。
 
(高8回 竹内敬人「60周年記念誌」P155)


==教職員==
==教職員==

2025年3月22日 (土) 00:24時点における最新版

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1955(昭和30)年度

できごと

4月 入学式 5月 女子制服決定

5月18日 1・2年遠足

6月19日 紫雲丸弔慰金募集

7月14日 海洋班ヨット大井競馬場附近で転覆、救助さる

7月21日~30日 夏期講習(1・2年)

7月21日~8月4日 夏期講習(3年)

9月19日 小山台新聞20号、黒板新聞1200号発刊

9月23日~24日 学校祭

10月2日 運動会

11月 裏門改修、木扉を鉄扉に改める

11月23日~27日 2年修学旅行

11月26日 1・3年遠足

12月5日 全校マラソン

12月23日 体育館落成式挙行

2月11日 スケート教室

2月15日 オリンピック派遣費募金

3月1日~2日 合同選抜学力検査のため休校

3月6日 高等学校第8回卒業式


世相

5月8日 砂川闘争

8月3日 民主党の「うれうべき教科書」配付、問題化

8月6日 第1回原水爆禁止世界大会


流行語:「ノイローゼ」「太陽族」「兵隊の位になおすと」

流行歌:「月がとっても青いから」「りんどう峠」


当時の思い出

 今二冊の文集を手にして高校時代を懐かしんでいる。一つは「ぼんくら」と表紙に書かれた自分のクラスの卒業記念文集であり、もう一つは「心の餞け」というクラス担任の先生方全員による餞別の文集である。思えば、われわれの学年は(全部のクラスではなかったかもしれぬが)受験期の忙しい時に貴重な時間をエネルギーを割いて文集を作成し、先生方もわれわれの意気込みに応えて小冊子の文集を編んで下さったのである。こうした文集にひとしお深い感慨を覚えるのは、小山台での生活が勉学に明け暮れするものではなかったことを端的に物語っているからだろう。実際に30周年記念行事、運動会での華やかな応援合戦や仮装行列、各種の組別対抗試合やサークル活動等、 小山台は「一流大学受験校」といったイメージとは裏腹に青春を楽しんだ思い出に豊かに彩られている。 秋の運動会の終了後、男女生徒が校庭で一緒になってフォークダンスを踊ったのもこの頃が最初であろう。 今の学生には何でもないことだろうが、われわれの世代には共学を意識する大変新鮮な出来事であったように思う。

(高8回 新川健三郎「60周年記念誌」P155)

八中から小山台へ

 昭和26年4月愛知県の田舎から2年A組(高輪組)に編入、27年9月病気休学、昭和30年4月半病人としか言えない状態ながらE組(井沢組)に復学、半日通学ではあったがお情けで翌年4月卒業。

 田舎で4年間を過ごした私にとって、小山台生はあまりにも都会的で、始めはロクに口もきけなかった。特にサークル(歴研)の先輩(神馬、塚越、木下三氏)には完全に圧倒された。マルクス、レーニン、古今東西の哲学者何でもござれ、という颯爽ぶり。受験勉強などしたことない、というポーズも本当らしく(実は現役で東大文一・一橋合格)いえた。

 復学後の同期生は、これらの猛者に比べると、いかにも若々しく旧制高校的な雰囲気は全くといってよいほどなくなっていた。刮目すべきは女生徒の進出で、何人かが上位50人の定連になっていた。

 という訳で5年も在籍したお蔭で、私は旧制八中が完全に消滅し、新制小山台が生長していく過程をまざまざと体験したのである。

(高8回 竹内敬人「60周年記念誌」P155)

教職員

職名 教科目 氏 名 担任 校務分掌 班活顧問 就 任 PTA・菊桜会
学校長 英語 斎藤 清       1954/04/01
教諭 国語 松永 正修 1B 校務主任、庶務部 生活 1939/03/31  
舞田 正達 3A 第3学年主任、生徒部   1939/06/30 教科主任
坂井 寿夫 2H 第2学年主任、生徒部 卓球、バドミントン 1941/03/31 学年主任
落合 光禎 3B 教務部   1945/09/30  
鵜川 昇 2E 図書部   1949/10/31  
青木 木莵哉 1E 教務部   1950/03/31  
社会 日下部 寅次郎   生徒部長 社研、新聞 1939/03/31 教科主任、学年主任
宮田 時雄 1G 校務主任   1947/06/15 教研協
平井 正士   図書部長   1947/06/30 教研協委員長
塩野入 菊三郎 2D 庶務部 演劇 1949/4/1  
野々山 正司 1H 教務部 心研 1949/03/31  
三橋 力 3F 教務部 歴研 1949/05/15  
荒久保 忠夫 2F 教務部 弁論 1954/09/16  
数学 高輪 休郎 1A 第1学年主任、生徒部   1925/05/15 教科主任、学年主任
赤沼 実 2H 職員会議副議長 山岳 1929/10/09
崎谷 厳   職員会議議長、PTA副委員長   1940/03/26 PTA副委員長
奥野 一雄   教務部長 天文 1946/03/31  
不島 静夫 1F 教務部 鉄研 1947/09/30  
井沢 弘児 3E 教務部   1950/03/31  
竹内 庸雄 2C 生徒部   1950/03/31  
理科 矢野 佐   保健部長   1942/03/31  
大岩 誠   庶務部長 科学 1944/07/14 教科主任
永見 至   校務主任、図書部 ラヂオ 1944/09/20 教研協
園山 忠夫 3G 生徒部、庶務部 自動車 1946/09/15  
杉村 親一 1D 保健部 写真 1947/03/31  
八乙女 盛典   校務主任、教務部 物理 1949/04/30  
鈴木 亨 2B 保健部 生物 1951/4/5  
英語 中村 禎   校務主任 (長)   1938/03/31 教科主任
深堀 修 1C 生徒部 庭球 1945/10/31  
大島 長次 3年係 生徒部   1945/06/20  
勢山 秀子 3H 図書部   1949/05/31  
瀬戸 規矩夫 2年係 庶務部   1955/04/01  
保健体育 岐部 信之助       1924/02/21 PTA会計
榎木 繁男 2G 保健部 陸上、柔道 1949/03/31  
薗頭 潔 3D 生徒部 サッカー、ラグビー 1946/08/31 教科主任
小林 年子 1年係 生徒部 排球、籠球 1952/04/01  
図画 武田 良三 3C 生徒部 美術 1947/06/30 教科主任
音楽 柳 力 1年係 生徒部、図書部 音楽 1948/03/31  
家庭 持塚 多喜 2年係 保健部   1951/02/28 教科主任

講師・校医

教科 氏名
専任講師 英語 黒岩 善吉
国語 栗原 源七
講 師 国語 田村 輝雄
三野輪 輝光
数学 川又 之裕
平田 和彦
理科 鈴木 幸夫
阿形 明
英語 大伴 俊
島村 政栄
山本 八朗
図画 麻生 秀二
工作 田村 耕
校医 武田 久孝
歯科校医 鎌田 栄一
薬剤師 松田 幸夫

事務職員

職 名 氏 名 就 任
事務長 松井 教爾 1954/02/16
事務主事 竹内 倉吉 1950/04/30
事務補佐員 井上 とみ 1948/10/15
三浦 忠雄 1950/03/31
塚原 敬一 1950/05/15
事務主事補 佐生 せい子 1949/08/31

生徒在籍数

A B C D E F G H
1年 37 37 37 37 38 37 37 36 296
12 12 12 12 11 12 12 13 96
49 49 49 49 49 49 49 49 392
2年 42 41 40 40 37 39 39 42 320
9 9 10 11 12 12 11 8 82
51 50 50 51 49 51 50 50 402
3年 42 40 39 40 37 39 40 40 317
9 10 11 10 11 11 10 10 82
51 50 50 50 48 50 50 50 399
総 計 933 260 1,193

文化祭(学芸会、展示会)

9月23日(金)、24日(土) 開催




「1955年文化祭」は以下のリンクからご覧になれます。
1955年文化祭.pdfファイルへのリンク



文化祭(寒菊祭)パンフレット一覧は以下のページからご覧いただけます。
文化祭(寒菊祭)一覧表



運動会

10月2日(日) 開催
赤組優勝




卒業アルバム





小山台新聞

1955(昭和30)年度発行
→「八高・小山台新聞」一覧へ移動



関連項目

 * ← 1954年度 (昭和29年度)    * → 1956年度 (昭和31年度)


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脚注




2025年3月22日:直近編集者:Ssumie2
TimeStamp:20250322002424