「1968年度 (昭和43年度)」の版間の差分

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==1968(昭和43)年度==
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ファイル:1968高21回生卒業アルバムより運動会WS000026.jpg|<div style="text-align:center; >運動会</div>
ファイル:1968高21回生卒業アルバムより水泳WS000025.jpg|<div style="text-align:center; >水泳(高21回生卒業アルバムより)</div>
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌04号</div>
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==できごと==
==できごと==
:XXX学校行事報告なし(年間行事予定表より)XXX
:04.08 午前 始業式
:4月8日 午前 始業式
:04.08 午後 入学式  [[高23回 | 高23回生]](男子290、女子105、計395名)
:4月8日 午後 入学式  [[高23回 | 高23回生]](男子290、女子105、計395名)
:04.15 健康診断(~17)
:4月15日~17日 健康診断
:05.01 防火訓練
:5月1日 防火訓練
:05.04 創立記念日
:5月4日 開校記念日
:05.15 遠足
:5月15日 遠足
:05.18 PTA総会
:5月18日 PTA総会
:05.21 進路懇談会(3年)
:5月21日 進路懇談会(3年)
:05.28 中間考査(~30)
:5月28日~30日 中間考査
:06.04 生徒総会
:6月4日 生徒総会
:06.14 ア・テスト(2・3年)(~17)
:6月14日~17日 ア・テスト(2・3年)
:07.09 期末考査(~12)
:7月9日~12日 期末考査
:07.20 終業式
:7月20日 終業式
:07.24 林間学校(~27)
:7月24日~27日 林間学校
:07.29 クラブ合同合宿(~08.02)
:7月29日~8月2日 クラブ合同合宿
:08.04 臨海学校(~08)
:8月4日~8日 臨海学校
----
----
:9月2日 始業式
:09.02 始業式
:9月3日~5日 ア・テスト(2・3年)、~4日(1年)
:09.03 ア・テスト(1年)(~04)
:9月9日~11日 水泳大会
:09.03 ア・テスト(2・3年)(~05)
:9月28日~29日 第23回寒菊祭
:09.09 水泳大会(~11)
:10月6日 運動会
:09.28 第23回寒菊祭(~29)
:10月7日 代休(9月29日)
:10.06 運動会:優勝(青組)
:10月8日 代休(10月6日)
:10.16 中間考査(~18)
:10月16日~18日 中間考査
:11.08 ア・テスト(3年)(~11)
:11月8日~11日 ア・テスト(3年)
:11.09 修学旅行(2年)(~13)
:11月9日~13日 修学旅行(2年)
:11.13 遠足(1・3年)
:11月13日 遠足(1・3年)
:11.22 生徒総会
:11月22日 生徒総会
:11.27 進路懇談会(3年)、防火訓練
:11月27日 進路懇談会(3年)、防火訓練
:12.13 期末考査(~17)
:12月13日~17日 期末考査
:12.25 終業式
:12月25日 終業式
:01.03 スキー教室(~07)
:1月3日~7日 スキー教室
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----
:1月8日 始業式
:01.08 始業式
:1月9~11日 ア・テスト(2・3年)、~10日(1年)
:01.09 ア・テスト(1年)(~10)
:1月25日 ロードレース
:01.09 ア・テスト(2・3年)(~11)
:2月20日 学力検査(予定)
:01.25 ロードレース
:3月7日~11日 期末考査
:02.20 学力検査(予定)
:3月18日 卒業式 [[高21回 | 高21回生]](男子316、女子98、計414名)
:03.07 期末考査(~11)
:3月22日 終業式
:03.18 卒業式 [[高21回 | 高21回生]](男子316、女子98、計414名)
:3月25日 転入考査
:03.22 終業式
:3月23日~28日 スキー教室
:03.25 転入考査
:03.23 スキー教室(~28)
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<br>
==世相==
:'''1968年'''
:06.26 小笠原諸島が日本に復帰<br>
:10.17 川端康成ノーベル文学賞受賞<br>
:12.10 三億円事件<br>
:'''1969年'''
:01.18 東大安田講堂事件(この年東大入試中止)<br>
<br>
:'''流行語'''-ゲバ棒・ハレンチ・ニクソンショック<br>
:'''流行歌'''-受験生ブルース・天使の誘惑<br>
<br>
==運動会の思い出 斉藤理夫==
 私が小山台に在学していた昭和四○年代前半の世間は学園紛争が花盛り、よって母校の各教室でも、「何故卒業式で国歌が斉唱されねばならぬのか!」「学生帽が要求されるのは何故か!」等々万事白熱した談論がなされ、全員真剣に考えて大いに燃えた。<br>
昼販は校舎の脇に建つ掘っ立て小屋で喰うラーメンであり、これは何となく「ばんから」を気取って大変気に入っていた。八角塔下踊り場で菓子パンを買っている連中は軟弱と思った。<br>
過日娘の連動会を見ていたら、当時都内最高の迫力と、自負した母校の運動会風景が鮮かに甦った。いや、むしろ運勤会に至る迄の初秋一力月間の猛練習が深く想い出され胸が熱くなった。「棒倒しの体の支え方」「百足競争での呼吸の合わせ方」「応援合戦の迫力の出し方」、どれも重要事項として真剣に検討し練習した。連日放課後、日の暮れる迄練習することは苦痛である筈だが、大半の生徒に愚痴は無かったと記憶している。<br>ひとつの目標に向かって気持が高揚していく集団のパワーを体験し、ある程度会得したことは、当時落第生であった私にとって何よりりの収穫であった。<br>運動会終了後の感激と、直後に訪れた虚脱感も今となっては魅力であったかもしれない。<br>
(高21回・昭44年卒 三菱信託銀行㈱横浜支店)(「60周年記念誌」P180より抜粋)<br><br>
==水泳大会と三年B組のこと 井上雅一==
 昭和四三年九月九日(月)、我々三年生の水泳大会が行われた。水泳大会に臨む我がクラスの方針は「全員参加」であった。これには二つの意味があったように思う。一つは参加する事に意義があるのだから、犬かきでも良いから出る。もう一つは、勝敗にこだわらず、一人でも多くの級友がどれかの種目に参加出来るようにする。従ってバタフライ・背泳のように泳法が限られている種目から、メンバーを割り当てて行ったので、六○○米リレー(二五米ずつ二四名が出る)では、途中で息つぎを必要とする人や、バタ足だけの人も入る事となった。当然の事ながら、この友人達は深い方から浅い方へ泳ぐ。一年の水泳大会のときに逆に泳いで来て最後の五米の深い所で力尽き、沈みかけた友人がいたからである。<br>
 しかしながら、当時、女子の何名かは水着を持参しなかった。曰く、「泳げないから」「体の調子が悪いから」。これには少々ガッヵリした。結局、女子のリレーは人数が足らず、棄権する事になった。それでも「全員参加」の方針通り、残りの女子全員で途中まで泳いだ。太田由紀恵さんは、泳げないのでバタ足で参加した。最後の一人か泳ぎ終わるまで級友達が懸命に応援したのに、その後に誰も泳ぎ継ぐ者がいないのは、他のクラスから見ると不可解だったかも知れない。<br>
 こうして、水泳班所属の友人が出場した種目と幾つかの例外を除けば、成績は芳しくなく総合成績は八クラス中、最下位になった。しかし我々は誰もそれを口惜しいとも残念とも思わなかった。全員参加をクラスの大方針にしてその通り実行したのだから。<br>
 我々はこの大方針を一ヵ月後の運動会にも掲げ、今度は勝った。そして我々のクラスは高校を卒業した年から一五年間、毎年一回も欠かさずクラス会を続けている。<br>
(高21回・昭44年卒 協和銀行システム開発部主任)(創立60周年記念誌」P180より抜粋)
<br>
<br>


622行目: 664行目:
:「1968年寒菊祭」は以下のリンクからご覧になれます。
:「1968年寒菊祭」は以下のリンクからご覧になれます。
:[https://www.dropbox.com/s/ejzb0wkhvyxk5ec/1968%E5%B9%B4_23%E5%9B%9E%E5%AF%92%E8%8F%8A%E7%A5%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.pdf?dl=0 1968年寒菊祭.pdfファイルへのリンク]
:[https://www.dropbox.com/s/ejzb0wkhvyxk5ec/1968%E5%B9%B4_23%E5%9B%9E%E5%AF%92%E8%8F%8A%E7%A5%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0.pdf?dl=0 1968年寒菊祭.pdfファイルへのリンク]
<br><br>
:文化祭(寒菊祭)パンフレット一覧は以下のページからご覧いただけます。
:[[文化祭(寒菊祭)|文化祭(寒菊祭)一覧表]]
<br><br>
<br><br>


635行目: 680行目:


==菊香 第3号 ==  
==菊香 第3号 ==  
:「生徒会誌 菊香」第3号
:「生徒会誌 菊香」第3号が発行された。
<br><br><br>
<br>
<gallery widths="300px" heights="430px">
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_1.jpg|<div style="text-align:center; > 表 紙 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_2.jpg|<div style="text-align:center; > 中 扉 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_3.jpg|<div style="text-align:center; > 訂正表 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_4.jpg|<div style="text-align:center; > 巻頭言 01 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_5.jpg|<div style="text-align:center; > 巻頭言 02 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_6.jpg|<div style="text-align:center; > 目 次 01 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_7.jpg|<div style="text-align:center; > 目 次 02 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_8.jpg|<div style="text-align:center; > 編集後記 </div>
ファイル:文書名菊香_3号_昭和43年度.pdf_ページ_9.jpg|<div style="text-align:center; > 裏表紙 </div>
</gallery>
<br><br>
:[[File:R2l.gif|link=1968年度 (昭和43年度)#菊香 第3号|「生徒会誌 菊香 第3号」pdfファイルへのリンクをクリックすると「生徒会誌 菊香 第3号」の全文が表示されます。]]「生徒会誌 菊香 第3号」全文 は以下のリンクからご覧になれます。
:[https://www.dropbox.com/s/abb5bbcudmcrsli/%E8%8F%8A%E9%A6%99_3%E5%8F%B7_%E6%98%AD%E5%92%8C43%E5%B9%B4%E5%BA%A6.pdf?dl=0 「生徒会誌 菊香 第3号」pdfファイルへのリンク]
<br>
:生徒会誌「菊香」の一覧はこちら → [[校友会誌・生徒会誌「菊香」#生徒会誌「菊香」|生徒会誌「菊香」一覧表]]
<br><br>
 
==卒業アルバム==
==卒業アルバム==
:
:
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==小山台新聞==
:1968(昭和43)年度発行
<gallery widths=700px  heights=500px>
ファイル:1968_昭和43年7月5日_小山台新聞第52号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1968(昭和43)年7月5日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/bymqs5ag1n1mw4y/1968_%E6%98%AD%E5%92%8C43%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC52%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1968(昭和43)年7月5日発行」へのリンク] </div>
ファイル:1968_昭和43年12月12日_小山台新聞第53号.jpg|<div style="text-align:center; > 「小山台新聞1968(昭和43)年12月12日発行」は以下のリンクからご覧になれます。→[https://www.dropbox.com/s/frhdj4dlwsxh3fk/1968_%E6%98%AD%E5%92%8C43%E5%B9%B412%E6%9C%8812%E6%97%A5_%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%8F%B0%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%AC%AC53%E5%8F%B7.pdf?dl=0 「小山台新聞1968(昭和43)年12月12日発行」へのリンク] </div>
</gallery>
::[[小山台新聞#八高・小山台新聞|→「八高・小山台新聞」一覧へ移動]]
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==関連項目==
==関連項目==

2025年3月14日 (金) 10:44時点における最新版

1968(昭和43)年度



できごと

04.08 午前 始業式
04.08 午後 入学式 高23回生(男子290、女子105、計395名)
04.15 健康診断(~17)
05.01 防火訓練
05.04 創立記念日
05.15 遠足
05.18 PTA総会
05.21 進路懇談会(3年)
05.28 中間考査(~30)
06.04 生徒総会
06.14 ア・テスト(2・3年)(~17)
07.09 期末考査(~12)
07.20 終業式
07.24 林間学校(~27)
07.29 クラブ合同合宿(~08.02)
08.04 臨海学校(~08)

09.02 始業式
09.03 ア・テスト(1年)(~04)
09.03 ア・テスト(2・3年)(~05)
09.09 水泳大会(~11)
09.28 第23回寒菊祭(~29)
10.06 運動会:優勝(青組)
10.16 中間考査(~18)
11.08 ア・テスト(3年)(~11)
11.09 修学旅行(2年)(~13)
11.13 遠足(1・3年)
11.22 生徒総会
11.27 進路懇談会(3年)、防火訓練
12.13 期末考査(~17)
12.25 終業式
01.03 スキー教室(~07)

01.08 始業式
01.09 ア・テスト(1年)(~10)
01.09 ア・テスト(2・3年)(~11)
01.25 ロードレース
02.20 学力検査(予定)
03.07 期末考査(~11)
03.18 卒業式 高21回生(男子316、女子98、計414名)
03.22 終業式
03.25 転入考査
03.23 スキー教室(~28)


世相

1968年
06.26 小笠原諸島が日本に復帰
10.17 川端康成ノーベル文学賞受賞
12.10 三億円事件
1969年
01.18 東大安田講堂事件(この年東大入試中止)


流行語-ゲバ棒・ハレンチ・ニクソンショック
流行歌-受験生ブルース・天使の誘惑


運動会の思い出 斉藤理夫

 私が小山台に在学していた昭和四○年代前半の世間は学園紛争が花盛り、よって母校の各教室でも、「何故卒業式で国歌が斉唱されねばならぬのか!」「学生帽が要求されるのは何故か!」等々万事白熱した談論がなされ、全員真剣に考えて大いに燃えた。
昼販は校舎の脇に建つ掘っ立て小屋で喰うラーメンであり、これは何となく「ばんから」を気取って大変気に入っていた。八角塔下踊り場で菓子パンを買っている連中は軟弱と思った。
過日娘の連動会を見ていたら、当時都内最高の迫力と、自負した母校の運動会風景が鮮かに甦った。いや、むしろ運勤会に至る迄の初秋一力月間の猛練習が深く想い出され胸が熱くなった。「棒倒しの体の支え方」「百足競争での呼吸の合わせ方」「応援合戦の迫力の出し方」、どれも重要事項として真剣に検討し練習した。連日放課後、日の暮れる迄練習することは苦痛である筈だが、大半の生徒に愚痴は無かったと記憶している。
ひとつの目標に向かって気持が高揚していく集団のパワーを体験し、ある程度会得したことは、当時落第生であった私にとって何よりりの収穫であった。
運動会終了後の感激と、直後に訪れた虚脱感も今となっては魅力であったかもしれない。
(高21回・昭44年卒 三菱信託銀行㈱横浜支店)(「60周年記念誌」P180より抜粋)

水泳大会と三年B組のこと 井上雅一

 昭和四三年九月九日(月)、我々三年生の水泳大会が行われた。水泳大会に臨む我がクラスの方針は「全員参加」であった。これには二つの意味があったように思う。一つは参加する事に意義があるのだから、犬かきでも良いから出る。もう一つは、勝敗にこだわらず、一人でも多くの級友がどれかの種目に参加出来るようにする。従ってバタフライ・背泳のように泳法が限られている種目から、メンバーを割り当てて行ったので、六○○米リレー(二五米ずつ二四名が出る)では、途中で息つぎを必要とする人や、バタ足だけの人も入る事となった。当然の事ながら、この友人達は深い方から浅い方へ泳ぐ。一年の水泳大会のときに逆に泳いで来て最後の五米の深い所で力尽き、沈みかけた友人がいたからである。
 しかしながら、当時、女子の何名かは水着を持参しなかった。曰く、「泳げないから」「体の調子が悪いから」。これには少々ガッヵリした。結局、女子のリレーは人数が足らず、棄権する事になった。それでも「全員参加」の方針通り、残りの女子全員で途中まで泳いだ。太田由紀恵さんは、泳げないのでバタ足で参加した。最後の一人か泳ぎ終わるまで級友達が懸命に応援したのに、その後に誰も泳ぎ継ぐ者がいないのは、他のクラスから見ると不可解だったかも知れない。
 こうして、水泳班所属の友人が出場した種目と幾つかの例外を除けば、成績は芳しくなく総合成績は八クラス中、最下位になった。しかし我々は誰もそれを口惜しいとも残念とも思わなかった。全員参加をクラスの大方針にしてその通り実行したのだから。
 我々はこの大方針を一ヵ月後の運動会にも掲げ、今度は勝った。そして我々のクラスは高校を卒業した年から一五年間、毎年一回も欠かさずクラス会を続けている。
(高21回・昭44年卒 協和銀行システム開発部主任)(創立60周年記念誌」P180より抜粋)

教職員

職名 教科目 氏 名 担任 校務分掌 班活顧問 就 任 PTA・菊桜会 財団小山台
校長 (国語) 伊藤 太一郎 1967/04/01 PTA顧問 財団理事長
教頭 数学 飛岡 正治 1964/04/01 PTA副会長 財団常任理事
教諭 国語 舞田 正達 3G 図書部 文芸 1939/06/30
落合 光禎 1A 学年主任 ラグビー 1945/09/30 PTA実行委員
安藤 千鶴子 2H 図書部 華道 1960/04/01
湯沢 賢之助 進路部 バスケット 1962/04/01
河野 通敬 生徒部長 新聞 1969/04/01 PTA実行委員
土屋 泰男 1F 進路部 剣道 1965/04/01
野沢 穣 2C 教務部 ワンゲル 1965/04/01
江藤 秀男 3年係 進路部 自動車 1968/04/01
社会 地理 宮田 時雄 1年係 庶務部 1947/06/15
斎藤 績 2B 図書部 美術 1962/04/01
世界史 三橋 力 2年係 庶務部 1949/05/15
日本史 荒久保 忠夫 教務部長 写真 1954/09/16 PTA実行委員
沢井 景之助 1B 生徒部 歴史研究 1960/04/01
政経 塩野入 啓晃 3B 進路部 演劇 1948/03/31
倫社 野々山 正司 3A 学年主任 心理研究 1949/03/31 PTA実行委員
数学 奥野 一雄 1年係 進路部 天文 1946/03/31
不島 静夫 2A 学年主任 1947/09/30 PTA実行委員
川又 之裕 図書部長 鉄道研究 1957/04/01 PTA実行委員
石井 孝雄 3F 教務部 1960/04/01
斎藤 昉 庶務部長 1960/04/01 PTA実行委員
若林 明弘 3C 教務部 卓球 1963/04/01
児玉 一成 2D 生徒部・学校祭委員長 柔道 1967/04/01 PTA実行委員
石黒 富美男 1E 生徒部 ブラスバンド 1967/10/01
理科 物理 鬼崎 菖三 3D 庶務部 ラジオ 1967/04/01
森  章 1D 教務部 物理 1967/04/01
化学 園山 忠夫 2G 進路部 化学 1946/09/15 財団理事
生物 鈴木 亨 進路部長 1951/04/01 PTA実行委員
水越 虔二 1G 教務部 社会研究 1963/05/01
地学 多胡 忠治 3年係 保健部 フォークダンス同好会 1965/04/01
英語 大島 長次 2年係 保健部 軟式テニス 1945/06/20
深掘 修 1年係 硬式テニス 1945/10/31 PTA書記長
勢山 秀子 1H 図書部 ESS 1949/05/31
中山 重男 3E 保健部 水泳 1959/04/01
直井 鋠治 2年係 進路部 野球 1967/04/01
稲田 宏 2E 教務部 バドミントン 1968/04/01
保健・体育 榎木 繁男 保健部長 陸上競技 1949/03/31 PTA実行委員
小林 年子 3H 生徒部 舞踊 1952/04/01
阿部 修二 1C 庶務部 器械体操 1958/01/01
粂 太郎 2F 生徒部 サッカー 1964/09/01
中村 洋一 2年係 生徒部 排球 1967/04/01
音楽 土屋 公平 3年係 生徒部 合唱 1968/04/01 PTA書記
司書教諭 図書 矢口 洋子 図書部 弦楽 1955/04/01
養護教諭 養護 斎藤 千代 保健部 1964/03/01

講師・校医

教科 氏名
非常勤講師 社会 世界史 水村 光男
千葉 茂雄
理科 物理 豊田 正雄
化学 大岩 誠
前田 穂
松井 順三
英語 牛山 輝代
内藤 秀雄
中田 静子
原口 正則
坂東 浩司
芸術 美術 武田 良三
書道 黒沢 岩資
家庭 中村 純子
校医 内科 武田 久孝
耳鼻科 仙頭 哲夫
眼科 早川 和夫
歯科 鎌田 栄一
薬剤師 三浦 薫

事務職員

職 名 氏 名 就 任
事務長 佐藤 二郎 1966/04/01
事務主事 諸  孝 1961/05/01
真保 孝 1962/07/01
藤野 照子 1967/10/01
事務主事補 見村すみ子 1964/04/01
森井 節子 1967/04/01
山本 瑛子 1964/04/01
用務員 平野 福三郎 1947/05/06
樋口 和三郎 1967/04/01
浅野 修一 1968/01/01
警備員 浜村 辰次郎 1954/08/01
神原 孝史 1966/02/01
PTA(事務) 小林 泰代 1964/04/01
PTA(大職) 市川 勝己 1967/12/21
PTA(理科) 花屋 龍王 1967/11/01
PTA(図書) 柳川 幸子 1967/07/10
PTA(清掃) 槌屋 フミヨ 1963/04/01

生徒在籍数  (1968年4月現在)

A B C D E F G H
1年 36 36 36 36 36 37 36 37 290
13 13 13 13 14 13 13 13 105
49 49 49 49 50 50 49 50 395
2年 38 37 38 37 38 37 38 38 301
12 13 13 13 13 13 12 13 102
50 50 51 50 51 50 50 51 403
3年 40 40 40 39 39 40 39 39 316
12 12 12 13 13 12 12 12 98
52 52 52 52 52 52 51 51 414
総 計 907 305 1,212


寒菊祭(学芸会、展示会、招待試合、後夜祭)

9月28日(土)、29日(日) 開催




「1968年寒菊祭」は以下のリンクからご覧になれます。
1968年寒菊祭.pdfファイルへのリンク



文化祭(寒菊祭)パンフレット一覧は以下のページからご覧いただけます。
文化祭(寒菊祭)一覧表



運動会

10月6日(日) 開催
青組優勝




菊香 第3号

「生徒会誌 菊香」第3号が発行された。




「生徒会誌 菊香 第3号」pdfファイルへのリンクをクリックすると「生徒会誌 菊香 第3号」の全文が表示されます。「生徒会誌 菊香 第3号」全文 は以下のリンクからご覧になれます。
「生徒会誌 菊香 第3号」pdfファイルへのリンク


生徒会誌「菊香」の一覧はこちら → 生徒会誌「菊香」一覧表



卒業アルバム





小山台新聞

1968(昭和43)年度発行
→「八高・小山台新聞」一覧へ移動



関連項目

 * ← 1967年度 (昭和42年度)    * → 1969年度 (昭和44年度)


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脚注




2025年3月14日:直近編集者:NMKtakaji
TimeStamp:20250314104434