「1943年度 (昭和18年度)」の版間の差分

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ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌03号</div>
ファイル:八髙會 002 教職員写真.jpg|<div style="text-align:center; >恩師の面影 1944年3月時点</div>
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌04号</div>
ファイル:報國団雑誌_第20号_001_表紙.jpg|<div style="text-align:center; >報国団雑誌20号 表紙</div>
ファイル:Example.jpg|<div style="text-align:center; >「写真」校友会雑誌04号</div>
ファイル:報國団雑誌_第20号_007_中島団長_創立満廿周年に当りて01.jpg|<div style="text-align:center; >報国団雑誌20号 創立満廿周年に当りて</div>
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</gallery>
|-
|-
| style="text-align:center" | できごと || style="text-align:center" | 詳細・引用・寄稿
|-
|style="width: 25%;vertical-align:top" |4月 2日 始業式<br>
4月 3日 健康診断<br>
4月XX~XX日 開校記念日<br>
5月 4日 春の遠足<br>
5月XX日 中間考査<br>
5月XX~XX日 PTA総会<br>
5月XX日 3年ア・テスト<br>
6月XX~XX日 期末考査 生徒総会<br>
6月XX日 終業式<br>
7月X~XX日 林間学校<br><br>
----
9月1日 始業式<br>
9月2日~4日 ア・テスト<br>
9月9日~11日 水泳大会<br>
9月XX~XX日 運動会、X・X日代休<br>
10月XX~XX日  中間考査<br>
11月XX~XX日 2年修学旅行<br>
11月XX日~XX日 3年ア・テスト<br>
11月XX日 生徒総会<br>
12月XX~XX日 期末考査<br>
12月XX日 終業式<br>
----
1月X日 始業式<br>
1月X~XX日 1・2年ア・テスト<br>
1月XX日 3年ア・テスト<br>
1月XX日 ロードレース<br>
3月X~XX日 期末考査<br>
3月 8日 卒業式 [[中8回 | 中八回生]](男子190名)<br>
3月XX日 終業式
| rowspan="3" style="width: 75% ;vertical-align:top" |'''ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
 ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
(「XX周年記念誌」PYY)<br><br>
'''ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト'''<br>
 ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト<br>
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ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト ダミーテキスト
その後弁論班にも入って多くの先輩達の教えを受けたことも今ではなつかしい想い出である。<br>
(「創立XX周年記念誌」PYYY)
|-
| style="text-align:center" |世 相
|-
|style="vertical-align:top"|
9月8日 イタリア降伏<br>
10月1日 学徒出陣壮行会、神宮外苑競技場で雨中の挙行<br>
12月24日 徴兵年令を一年引下げ一九歳とする<br>
3月 中学生の勤労動員大綱決定<br><br>
流行語-撃ちてし止まん・転進<br>
流行歌-予科練のうた・湯島の白梅<br>
|}
|}
</div>
</div>
<br><br>


==できごと==
==できごと==
:4月 2日 入学式[[中21回 | 中21回生]](男子1XX名)
:'''1943年'''
:4月 6日 岡田藤十郎初代校長逝去
:04.01 中学校令改正により、修業年限四年となる 同令施行により、弘道中学は東京府立第八中学校夜間課程(通称二部)となる
:5月 5日 創立20周年記念式典挙行
:04.02 入学式[[中21回 | 中21回生]]
:6月 日 60粁徹宵行軍 (府中大国魂神社)
:04.06 岡田藤十郎前校長逝去
:7月 1日 都制施行により、東京都立第八中学校と改称
:05.05 創立二〇周年記念式典挙行
:10月 2日 学芸会(午前中 1・2・3年、午後4、5年合流)
:07.01 都政実施により校名を東京都立第八中学校と改称
:10月21日 学徒出陣壮行会 (神宮外苑)
:10.02 学芸会
:10月28日 戦没卒業生 合同慰霊祭
:10.21 五年千葉県下連合演習に勇躍出発
:10月30日 教練査問 (講評「優良」)
:10.23 戦争に散華した卒業生・生徒父兄の合同慰霊祭講堂にて挙行、三年以上参列
:11月14日 鍛錬運動大会
:'''1944年'''
:12月24日 徴兵年齢、19歳に引き下げ
:02.11 報国団雑誌20号発行
:2月11日 [[#「報國団雑誌 第20号」|「報国団雑誌 第20号」]]発行
:03.02 卒業式([[中17回]]生:198名)
:3月28日 卒業式([[中17回]]生:198名)
<br>
</br></br></br></br>
==世相==
:'''1943年'''
:09.08 イタリア降伏
:10.01 学徒出陣壮行会、神宮外苑競技場で雨中の挙行
:12.24 徴兵年令を一年引下げ一九歳とする
:'''1944年'''
:03. 中学生の勤労動員大綱決定<br>
:'''流行語'''-撃ちてし止まん・転進
:'''流行歌'''-予科練のうた・湯島の白梅
<br>
==“遠からず死ぬ”と思っていたころ==
既に戦争中だったが、八中には一種自由の気風があった。一個の人間として尊重されている感じがあった。肩からかけた重いズックのカバン。教練服のバッグ。イガグリ頭。誇り高く目深にかぶった学帽。鉄道模型に凝り、ポータブル・ラジオの製作に熱中し、図書室に通いつめ、それでも足りずに古本屋を漁った。漱石から大陸移動説まで、何にでも首を突込んだ。<br>
多摩川べりを気の合った友と語りながらとめどもなく歩いた。大枚2 円也を投じて、二子玉川の東京一周のセスナ機に乗った。人生は真新しい本のようで、一頁一頁が新鮮な驚きに満ちていた。<br>
そして、3 年になる頃から少しずつ周りが見えてくる。驚きに苦さが加わってくる。一つ一つの事実を自分で問い直して行く時期に入ったのだ。丁度その頃、日本は太平洋戦争に突入した。軍事教練は厳しさを増した。体力章検定が始まった。手榴弾投擲が駄目でなかなか初級が貰えなかった。4 年の夏、千葉県の保田で海洋訓練に参加した。海兵団一時入団という形で結構しごかれた。最後の夜、訓練の感想を問われて、勇敢なる某君立ちて曰く、肉体的にいくら錬成されても、精神は変えられない。連帯責任で皆殴られた。<br>
授業は相変わらずキチンと続いていた。英語の原書をバリバリ読んでる奴がいた。ラテン語を独習してる奴もいた。文科系進学者には徴兵延期の特典がなかった。キッパリ文科系を選んだ。何がキッパリか判らなかったが、遠からず死ぬのだと思っていた。だから、やたらと本を読んだ。今でもやたらと本を読む。<br>
(熊倉一雄 中17 回「創立60 周年記念誌」P131)<br>
==皆川先生のことなど==
昭和一六年一二月八日府立八中の校庭に早暁の臨時ニュースに興奮した生徒たちが早めに登校し、ざわめいていた。曇っていた、と思う。砂場のあたりだったか、不断目立たない矢野君の話に、一瞬、まわりがしんとした。<br>
矢野君は、人の良さそうな細い眼に、当時の近眼の中学生なら誰でも同じの丸い眼鏡を掛けていた。「おやじは今日から英会話を始めるっていうんだ。ハワイをやったってアメリカは立ち直る。この戦争は負けるって…」<br>
一瞬ののち、僕らは「へえっ」「ほんとう」というだけで、誰も反発しなかった。皆それを話として聞いていた。この都会の中学には、仲間同志で自由に語り、聞く雰囲気がまだあったようだし、第一、負ける、という想像力は持てなかったから、いきり立ったりはしなかった。<br>
その日の授業は、各先生が、感想を述べることで始まった。それで授業がつぶれた。<br>
国語の時間、すらりとした白皙の皆川先生は、君たちには、これから希望を充分伸ばせる時代が来るだろう、といわれ「うらやましいよ」と一言添えられた。私には少し意外だった。皆川さんには「うらやましい」などという言葉はふさわしくなかった。使ってもらいたくなかったのだ。<br>
戦後の昭和二一年、皆川先生戦病死のことを知られた加藤楸邨先生の句がある。<br>
征きし日のかの夕焼と風呂敷と  楸邨<br>
皆川先生の応召は、昭和一八年末。二○年八月一五日終戦。その一○日後の二五日、ハルマヘラ島の第三二師団第一野戦病院で戦病死された。栄養失調による衰弱の果てであった。無念であったろう。無念である。<br>
(川崎展宏 中17回「創立60周年記念誌」P130)


==恩師の面影==
==恩師の面影==
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==学芸会==
==学芸会==
:10月 2日(土)午前8時半開催
:10月 2日(土)午前8時半開催
:午前中 1・2・3年、午後 4・5年合流
:午前中 一・二・三年、午後 四・五年合流
<br>
<br>
*開会挨拶
*開会挨拶
<br>
<br>
:学芸会詳細については[[#「報國団雑誌 第20号」|「報国団雑誌 第20号」]]P94に掲載
*閉会挨拶
<br>
<br>
*閉会挨拶
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== 「報國団雑誌 第20号」 ==
== 「報國団雑誌 第20号」 ==
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=== [[File:R2l.gif|link=#「報國団雑誌 第20号」|以下の「報國団雑誌 第20号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「報國団雑誌 第20号」全文表示]]「報國団雑誌 第20号」全文===
=== [[File:R2l.gif|link=#「報國団雑誌 第20号」|以下の「報國団雑誌 第20号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「報國団雑誌 第20号」全文表示]]「報國団雑誌 第20号」全文===
:以下のリンクから「報國団雑誌 第20号」全文をご覧いただけます。
:以下のリンクから「報國団雑誌 第20号」全文をご覧いただけます。
: [https://www.dropbox.com/scl/fi/dfxy4uazq4y5jwps2t5v7/_-20.pdf?rlkey=53vtk7om8fcrreb0vf2u7ir8g&st=5eobd7fu&dl=0 「報國団雑誌 第20号」PDFファイルへのリンク]
: [https://www.dropbox.com/scl/fi/dfxy4uazq4y5jwps2t5v7/_-20.pdf?rlkey=53vtk7om8fcrreb0vf2u7ir8g&st=rbe71p1u&dl=0 「報國団雑誌 第20号」PDFファイルへのリンク]
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2025年3月10日 (月) 11:51時点における最新版

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1943(昭和18)年度

できごと

1943年
04.01 中学校令改正により、修業年限四年となる 同令施行により、弘道中学は東京府立第八中学校夜間課程(通称二部)となる
04.02 入学式 中21回生
04.06 岡田藤十郎前校長逝去
05.05 創立二〇周年記念式典挙行
07.01 都政実施により校名を東京都立第八中学校と改称
10.02 学芸会
10.21 五年千葉県下連合演習に勇躍出発
10.23 戦争に散華した卒業生・生徒父兄の合同慰霊祭講堂にて挙行、三年以上参列
1944年
02.11 報国団雑誌20号発行
03.02 卒業式(中17回生:198名)


世相

1943年
09.08 イタリア降伏
10.01 学徒出陣壮行会、神宮外苑競技場で雨中の挙行
12.24 徴兵年令を一年引下げ一九歳とする
1944年
03. 中学生の勤労動員大綱決定
流行語-撃ちてし止まん・転進
流行歌-予科練のうた・湯島の白梅


“遠からず死ぬ”と思っていたころ

既に戦争中だったが、八中には一種自由の気風があった。一個の人間として尊重されている感じがあった。肩からかけた重いズックのカバン。教練服のバッグ。イガグリ頭。誇り高く目深にかぶった学帽。鉄道模型に凝り、ポータブル・ラジオの製作に熱中し、図書室に通いつめ、それでも足りずに古本屋を漁った。漱石から大陸移動説まで、何にでも首を突込んだ。
多摩川べりを気の合った友と語りながらとめどもなく歩いた。大枚2 円也を投じて、二子玉川の東京一周のセスナ機に乗った。人生は真新しい本のようで、一頁一頁が新鮮な驚きに満ちていた。
そして、3 年になる頃から少しずつ周りが見えてくる。驚きに苦さが加わってくる。一つ一つの事実を自分で問い直して行く時期に入ったのだ。丁度その頃、日本は太平洋戦争に突入した。軍事教練は厳しさを増した。体力章検定が始まった。手榴弾投擲が駄目でなかなか初級が貰えなかった。4 年の夏、千葉県の保田で海洋訓練に参加した。海兵団一時入団という形で結構しごかれた。最後の夜、訓練の感想を問われて、勇敢なる某君立ちて曰く、肉体的にいくら錬成されても、精神は変えられない。連帯責任で皆殴られた。
授業は相変わらずキチンと続いていた。英語の原書をバリバリ読んでる奴がいた。ラテン語を独習してる奴もいた。文科系進学者には徴兵延期の特典がなかった。キッパリ文科系を選んだ。何がキッパリか判らなかったが、遠からず死ぬのだと思っていた。だから、やたらと本を読んだ。今でもやたらと本を読む。
(熊倉一雄 中17 回「創立60 周年記念誌」P131)

皆川先生のことなど

昭和一六年一二月八日府立八中の校庭に早暁の臨時ニュースに興奮した生徒たちが早めに登校し、ざわめいていた。曇っていた、と思う。砂場のあたりだったか、不断目立たない矢野君の話に、一瞬、まわりがしんとした。
矢野君は、人の良さそうな細い眼に、当時の近眼の中学生なら誰でも同じの丸い眼鏡を掛けていた。「おやじは今日から英会話を始めるっていうんだ。ハワイをやったってアメリカは立ち直る。この戦争は負けるって…」
一瞬ののち、僕らは「へえっ」「ほんとう」というだけで、誰も反発しなかった。皆それを話として聞いていた。この都会の中学には、仲間同志で自由に語り、聞く雰囲気がまだあったようだし、第一、負ける、という想像力は持てなかったから、いきり立ったりはしなかった。
その日の授業は、各先生が、感想を述べることで始まった。それで授業がつぶれた。
国語の時間、すらりとした白皙の皆川先生は、君たちには、これから希望を充分伸ばせる時代が来るだろう、といわれ「うらやましいよ」と一言添えられた。私には少し意外だった。皆川さんには「うらやましい」などという言葉はふさわしくなかった。使ってもらいたくなかったのだ。
戦後の昭和二一年、皆川先生戦病死のことを知られた加藤楸邨先生の句がある。
征きし日のかの夕焼と風呂敷と 楸邨
皆川先生の応召は、昭和一八年末。二○年八月一五日終戦。その一○日後の二五日、ハルマヘラ島の第三二師団第一野戦病院で戦病死された。栄養失調による衰弱の果てであった。無念であったろう。無念である。
(川崎展宏 中17回「創立60周年記念誌」P130)

恩師の面影

1944(昭和19)年 3月時点 「八高会 卒業50周年記念誌」より」
八高会 卒業50周年記念誌より



学芸会

10月 2日(土)午前8時半開催
午前中 一・二・三年、午後 四・五年合流


  • 開会挨拶


  • 閉会挨拶


「報國団雑誌 第20号」

「報國団雑誌 第20号」は、1944(昭和19)年2月11日発行されました。
中17回 三宮 洋 様より寄贈いただきました。


「皆川一郎」先生が出征され「皆川先生出征」が掲載されています。

「皆川先生出征」を表示


昨年度の「報国団雑誌 第19号」で好評を博した「先生方」のぶら下がり取材「秋晴れの八角塔」続編が掲載されています(下のボタンを押すと全文が表示されます)

ぶら下がり取材「秋晴れの八角塔」続編 を表示




以下の「報國団雑誌 第20号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「報國団雑誌 第20号」全文表示「報國団雑誌 第20号」全文

以下のリンクから「報國団雑誌 第20号」全文をご覧いただけます。
 「報國団雑誌 第20号」PDFファイルへのリンク




卒業アルバム





関連項目

 *← 1942年度 (昭和17年度)   *→ 1944年度 (昭和19年度)


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脚注



2025年3月10日:直近編集者:Hosamu
TimeStamp:20250310115117