「1937年度 (昭和12年度)」の版間の差分

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==できごと<ref>第一学期は、「校友会雑誌 第14号」P239からの校誌抄から転記、第二学期以降は「校友会雑誌 第15号」P157からの校誌抄から転記しました。</ref>==
==できごと<ref>第一学期は、「校友会雑誌 第14号」P239からの校誌抄から転記、第二学期以降は「校友会雑誌 第15号」P157からの校誌抄から転記しました。</ref>==
:'''1937年'''
:04.02 始業式
:04.02 始業式
:04.03 入学式([[中15回|中15回生]])
:04.03 入学式([[中15回|中15回生]])
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:07.18 午後1時より同窓会総会
:07.18 午後1時より同窓会総会
:07.20 終業式
:07.20 終業式
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:09.01 始業式
:09.01 始業式
:09.02 模擬試験(~03)
:09.02 模擬試験(~03)
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:12.21 五年野外演習(狭窄射撃<ref name="E"/>)
:12.21 五年野外演習(狭窄射撃<ref name="E"/>)
:12.24 終業式
:12.24 終業式
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:'''1938年'''
:'''1938年'''<br>
:01.01 四方拝
:01.01 四方拝
:01.08 始業式
:01.08 始業式
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==世相==<br>
 
==世相==
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:'''1937年'''
:07.07 盧溝橋事件(日中戦争起こる)<br>
:12.01 矢内原忠雄教授筆禍事件<br>
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:'''流行語'''-持てる国と持たざる国・国民精神総動員<br>
:'''流行歌'''-露営の歌・愛国行進曲<br><br>
 
==校長の交代、徐々に戦時体制へ==
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1931(昭和6)年の満州事変以降、時勢は超国家主義台頭が顕著で、ことに1937(昭和12)年日華事変の勃発を機に軍国主義の風潮は一段と高まった。1937年末、岡田校長は退任し、府立第2中学校より中島嘉之吉校長を迎えた。すでに日中両国の全面的戦争の段階に入って戦時体制が着々と強化されるなかで、学校教育における軍国主義的傾向は強まった。現役将校の学校配属はすでに1927(昭和2)年以降実施されていたが、その後時勢の推移とともに配属将校の学校教育における発言は高まり、学校は戦時下国民練成の場として期待されていた。8中では、この時期に進学脂導に力をいれ、定期考査・実力考査を実施して学習成績の向上につとめ、上級学校進学の成果を高めるとともに、質実・剛健の気風を立て、また教練・行軍・野外淡習等を通して心身の鍛練をはかった。</br>
1931(昭和6)年の満州事変以降、時勢は超国家主義台頭が顕著で、ことに1937(昭和12)年日華事変の勃発を機に軍国主義の風潮は一段と高まった。1937年末、岡田校長は退任し、府立第2中学校より中島嘉之吉校長を迎えた。すでに日中両国の全面的戦争の段階に入って戦時体制が着々と強化されるなかで、学校教育における軍国主義的傾向は強まった。現役将校の学校配属はすでに1927(昭和2)年以降実施されていたが、その後時勢の推移とともに配属将校の学校教育における発言は高まり、学校は戦時下国民練成の場として期待されていた。8中では、この時期に進学脂導に力をいれ、定期考査・実力考査を実施して学習成績の向上につとめ、上級学校進学の成果を高めるとともに、質実・剛健の気風を立て、また教練・行軍・野外淡習等を通して心身の鍛練をはかった。</br>
この時代の修学の指標として生徒に示されたものが「校訓」である。上級学校進学に力を入れ、実力考査や定期試験を行い、その成果はめきめきと現れて、この面での優秀校と 自他共に許すほどになった。教練にも力を入れ、都下でも最も優秀な学校と認められるようになった。<br>
この時代の修学の指標として生徒に示されたものが「校訓」である。上級学校進学に力を入れ、実力考査や定期試験を行い、その成果はめきめきと現れて、この面での優秀校と 自他共に許すほどになった。教練にも力を入れ、都下でも最も優秀な学校と認められるようになった。<br>
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(「創立50 周年記念誌」P12-13より)<br>
(「創立50 周年記念誌」P12-13より)<br>


==「校友会雑誌 第14号」==<br>
==「校友会雑誌 第14号」==
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「校友会雑誌 第14 号」は、昭和12 年12 月20 日発行。小山台高校 図書室資料室に保管されている。<br>
「校友会雑誌 第14 号」は、昭和12 年12 月20 日発行。小山台高校 図書室資料室に保管されている。<br>
表紙写真は、秋山庄太郎( 中11 回) 撮影による。<br>
表紙写真は、秋山庄太郎( 中11 回) 撮影による。<br>
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==卒業生==
==卒業生==
:秋山庄大郎[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%A4%AA%E9%83%8E → Wikipedia]
:秋山庄太郎[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%A4%AA%E9%83%8E → Wikipedia]
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2025年3月10日 (月) 11:40時点における最新版

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1937(昭和12)年度

できごと[1]

1937年
04.02 始業式
04.03 入学式(中15回生)
04.06 朝礼の際新任菅原融氏の紹介あり
04.13 補習会入学者発表
04.15 補習会入学式
04.20 校友会委員選挙
04.23 春季身体検査開始
04.27 靖国神社臨時大祭につき臨時休業
04.29 天長節式挙行
04.30 第一学年野外教練
05.05 開校記念日、運動会を廃し、式と余興を行う
05.11 一年 遊就館見学、二年 鉄道博物館、科学博物館見学、三年 動物園見学、四年 野外教練、五年 貴族院及び東朝社[2]見学
05.14 定期試験開始
05.19 全校遠足 (一年 大磯、二年 江ノ島鎌倉、三年 銚子犬吠埼、四年 三浦三崎、五年 箱根、補習科 休業)
05.21 二年野外教練
05.25 朝礼の際 國枝先生(美術)の紹介あり
05.26 五年宿泊演習(習志野)施行(~29)
05.30 一年保証人会
05.30 三年宿泊演習(習志野)施行(~06.02)
06.18 四年野外教練
06.25 春季剣道大会挙行
07.01 短縮授業実施、水泳開始
07.09 定期試験開始
07.16 五年狭窄射撃[3]演習(第三聯隊)
07.18 午後1時より同窓会総会
07.20 終業式
09.01 始業式
09.02 模擬試験(~03)
09.13 水泳大会
09.24 学芸会(三、四、五年)
09.25 学芸会(一、二年)
10.08 五年 府中等学校聯合演習(~09)
10.13 国民精神総動員強調週間(~19)
10.17 新嘗祭、靖国神社参拝
10.24 運動会
10.27 三年日光修学旅行(~28)
10.31 保証人会
11.03 明治節、明治神宮参拝
11.06 明治神宮奉拝式
11.08 四年関西旅行(~12)
11.12 岡田前校長依願退職、現校長中島嘉之吉先生任命せらる
11.13 一年野外演習
11.15 岡田前校長告別式
11.16 現校長中島先生新任式
11.24 模擬試験(~25)
11.26 武道大会
12.01 防火デー実施
12.04 映画会
12.06 清掃週間(~12)
12.07 後藤蒼洋[4]氏講演会
12.11 定期考査(~14)
12.15 南京陥落奉祝行進
12.21 五年野外演習(狭窄射撃[3])
12.24 終業式
1938年
01.01 四方拝
01.08 始業式
01.26 査閲施行
01.30 五年実包射撃
02.05 湯浅少将閣下講演会、映画会
02.11 紀元節
02.15 全校行軍
02.18 資格検定試験
02.22 武道強調週間(~26)
03.04 卒業式 中11回生(男子199名)
03.07 入学試験(~09)
03.12 定期考査(~17)
03.18 全校行軍
03.19 前校長岡田先生謝恩会
03.24 終業式


世相


1937年
07.07 盧溝橋事件(日中戦争起こる)
12.01 矢内原忠雄教授筆禍事件


流行語-持てる国と持たざる国・国民精神総動員
流行歌-露営の歌・愛国行進曲

校長の交代、徐々に戦時体制へ


1931(昭和6)年の満州事変以降、時勢は超国家主義台頭が顕著で、ことに1937(昭和12)年日華事変の勃発を機に軍国主義の風潮は一段と高まった。1937年末、岡田校長は退任し、府立第2中学校より中島嘉之吉校長を迎えた。すでに日中両国の全面的戦争の段階に入って戦時体制が着々と強化されるなかで、学校教育における軍国主義的傾向は強まった。現役将校の学校配属はすでに1927(昭和2)年以降実施されていたが、その後時勢の推移とともに配属将校の学校教育における発言は高まり、学校は戦時下国民練成の場として期待されていた。8中では、この時期に進学脂導に力をいれ、定期考査・実力考査を実施して学習成績の向上につとめ、上級学校進学の成果を高めるとともに、質実・剛健の気風を立て、また教練・行軍・野外淡習等を通して心身の鍛練をはかった。
この時代の修学の指標として生徒に示されたものが「校訓」である。上級学校進学に力を入れ、実力考査や定期試験を行い、その成果はめきめきと現れて、この面での優秀校と 自他共に許すほどになった。教練にも力を入れ、都下でも最も優秀な学校と認められるようになった。
昭和12 年の運動会は分列行進、爆弾点火競争、肉弾戦(野試合)など戦時色豊かな種目が行われた。
(「創立50 周年記念誌」P12-13より)

「校友会雑誌 第14号」


「校友会雑誌 第14 号」は、昭和12 年12 月20 日発行。小山台高校 図書室資料室に保管されている。
表紙写真は、秋山庄太郎( 中11 回) 撮影による。

教職員


学芸会

9月24日(金)午前8時より、三、四、五年学芸会
9月25日(土)午前8時より、一、二年学芸会


  • 開会挨拶


  • 閉会挨拶



運動会

10月24日(日)





「校友会雑誌 第14号」

「校友会雑誌 第14号」は、1937(昭和12)年12月20日発行されました。
発行所:東京府立第八中学校校友會
「校友会雑誌 第14号」は小山台高校 図書室資料室に保管されていました(裏表紙なし)。
表紙写真は、5D 秋山庄太郎 撮影によるもの



以下の「校友会雑誌 第14号」PDFファイルへのリンクをクリックすると「校友会雑誌 第14号」全文表示「校友会雑誌 第14号」全文

以下のリンクから「校友会雑誌 第14号」全文をご覧いただけます。
 「校友会雑誌 第14号」PDFファイルへのリンク




卒業アルバム





卒業生

秋山庄太郎→ Wikipedia




関連項目

 *← 1936年度 (昭和11年度)   *→ 1938年度 (昭和13年度)


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脚注

  1. 第一学期は、「校友会雑誌 第14号」P239からの校誌抄から転記、第二学期以降は「校友会雑誌 第15号」P157からの校誌抄から転記しました。
  2. 東京朝日新聞社の略
  3. 以下の位置に戻る: 3.0 3.1 室内もしくは狭隘(きょうあい)な射場で行なう射撃。装薬を少なくして狭窄射撃用に作られた狭窄弾を用いる。
  4. 後藤蒼洋 著「偽装の親日を曝く」→ 国立国会図書館デジタルコレクション



2025年3月10日:直近編集者:Hosamu
TimeStamp:20250310114017