「1952年度 (昭和27年度)」の版間の差分

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ファイル:19521127_小山台新聞13号_運動会雑感_白組応援風景.jpg|<div style="text-align:center; >「運動会雑感」小山台新聞13号</div>
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ファイル:19521127_小山台新聞13号_写真特集_運動会写真のみ.jpg|<div style="text-align:center; >「写真特集 運動会」小山台新聞13号</div>
ファイル:19521127_小山台新聞13号_写真特集_運動会写真のみ.jpg|<div style="text-align:center; >「写真特集 運動会」小山台新聞13号</div>
ファイル:19521026_左より黄川崎_青白赤応援団長_青初優勝_白組バック.jpg|<div style="text-align:center; >「白組バックボード前にて:左より黄川崎_青白赤応援団長_青初優勝</div>
ファイル:19521026_左より黄川崎_青白赤応援団長_青初優勝_白組バック.jpg|<div style="text-align:center; >白組バックボード前にて:左より黄 川崎_青白赤応援団長_青初優勝</div>
ファイル:都立小山台高校校旗.JPG|<div style="text-align:center; >都立小山台高校校旗</div>
ファイル:都立小山台高校校旗.JPG|<div style="text-align:center; >都立小山台高校校旗</div>
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卒業式 [[高5回 | 高5回生]](男子313、女子82、計395名)
卒業式 [[高5回 | 高5回生]](男子313、女子82、計395名)
|style="width: 65% ;vertical-align:top"|'''「運動会雑感」'''小山台新聞13号より<br> 昨年に比し、今年はレベルが下がるだろうとの前評判であったが、案に相違して昨年に倍する成績を収めたのは、賞賛されてしかるべきであろう。各面から見て昨年より格段の進歩が見られ、応援戦などもバックに巨大な装置などを使ったのは昨年は白組のみであったが、今年は四組とも相当の費用をかけ黄色が特大の蝶を作れば、白組も負けじと白亜の巨城をつくるなど、それぞれ意匠をこらして気をはき、白組のごときは前評判で地理的なハンデに見舞われr、ぜんぜん望みがないとまで言われていたが、見事にハンデを有利に導いて、一等を取ったのは賞賛されてよい。<br>
| style="width: 65% ;vertical-align:top" |'''「運動会雑感」'''小山台新聞13号より<br> 昨年に比し、今年はレベルが下がるだろうとの前評判であったが、案に相違して昨年に倍する成績を収めたのは、賞賛されてしかるべきであろう。各面から見て昨年より格段の進歩が見られ、応援戦などもバックに巨大な装置などを使ったのは昨年は白組のみであったが、今年は四組とも相当の費用をかけ黄色が特大の蝶を作れば、白組も負けじと白亜の巨城をつくるなど、それぞれ意匠をこらして気をはき、白組のごときは前評判で地理的なハンデに見舞われ、ぜんぜん望みがないとまで言われていたが、見事にハンデを有利に導いて、一等を取ったのは賞賛されてよい。<br>
 また仮装行列にも格段の進歩が見られ、優勝した白組の仮装など、着想が良く群を抜いていた。<br>
 また仮装行列にも格段の進歩が見られ、優勝した白組の仮装など、着想が良く群を抜いていた。<br>
 競技種目では、新形式のパン食い、さて誰でしょうなど相当観衆の哄笑を買ったようだ。<br>
 競技種目では、新形式のパン食い、さて誰でしょうなど相当観衆の哄笑を買ったようだ。<br>
 終了後行われたファイヤー・ストームは昭和22年以来、初めて正式の許可が降り、事前に千円の薪の購入等をめぐって相当紛糾もあったようだが、ともかく井沢先生等の監督下に盛大に挙行され、久し振りで青春を謳歌し、三年生にとっては内容的には、意余って力及ばずの感が強かったかもしれぬが、申し分のない一日を送ったことであろう。(秋麗太郎)<br><br>
 終了後行われたファイヤー・ストームは昭和22年以来、初めて正式の許可が降り、事前に千円の薪の購入等をめぐって相当紛糾もあったようだが、ともかく井沢先生等の監督下に盛大に挙行され、久し振りで青春を謳歌し、三年生にとっては内容的には、意余って力及ばずの感が強かったかもしれぬが、申し分のない一日を送ったことであろう。(秋麗太郎)<br>
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'''「写真特集 運動会」'''小山台新聞13号より<br> 文化祭の劈頭を飾った運動会は10月26日開催され、トラックにフィールドに数々の熱戦を展開し、応援戦、仮装行列等昨年以上の豪華版であった。総合では青組が二連覇の黄組を破り、小山台以来初の優勝を遂げた。<br>
'''「写真特集 運動会」'''小山台新聞13号より<br> 文化祭の劈頭を飾った運動会は10月26日開催され、トラックにフィールドに数々の熱戦を展開し、応援戦、仮装行列等昨年以上の豪華版であった。総合では青組が二連覇の黄組を破り、小山台以来初の優勝を遂げた。<br>
 【写真説明】右上から 白組仮装「原爆の子」、好評を得た女子体操ダンス、黄組仮装「現代人」、赤組仮装「キリスト昇天」、初お目見えの綱引き<br>
 【写真説明】右上から 白組仮装「原爆の子」、好評を得た女子体操ダンス、黄組仮装「現代人」、赤組仮装「キリスト昇天」、初お目見えの綱引き<br>
'''“4回卒業生が校旗を寄贈'''<br>
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'''高4回卒業生が校旗を寄贈'''<br>
 1952(昭和27)年第4回卒業生の卒業記念品として作成寄贈された。紫の絹地に寒菊の校章を金糸で刺繍した立派なもので、入学式、卒業式のときに掲げられ、また運動会の際に全生徒・職員・観衆の注視のうちに行なわれる校旗入・退場式は、会の意気と真剣さをあらわす小山台の象徴となっている。
 1952(昭和27)年第4回卒業生の卒業記念品として作成寄贈された。紫の絹地に寒菊の校章を金糸で刺繍した立派なもので、入学式、卒業式のときに掲げられ、また運動会の際に全生徒・職員・観衆の注視のうちに行なわれる校旗入・退場式は、会の意気と真剣さをあらわす小山台の象徴となっている。
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(「50周年記念誌」P27)<br><br>
(「50周年記念誌」P27)<br><br>
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| colspan="2" |世相
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5月1日 血のメーデー事件<br>
2月1日 NHKテレビ放送開始<br>
3月5日 スターリンソ連首相没<br><br>
流行語ーワンマン・ヤンキー・ゴーホーム<br>
流行歌ー山のけむり・テネシーワルツ<br>
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==教職員<ref>「昭和27年度教員組織」一覧表より転記</ref>==
==教職員<ref>「昭和27年度教員組織」一覧表より転記</ref>==
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:仮想行列:白組優勝
:仮想行列:白組優勝
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:運動会の写真は[[運動会:1951年(昭和26年)|「運動会:1951年(昭和26年)」]]をご覧ください。
:運動会の写真は[[運動会:1952年(昭和27年)|「運動会:1952年(昭和27年)」]]をご覧ください。
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==学芸会==
==学芸会==
:10月28日(火)、29日(水)
:10月28日(火)、29日(水)

2023年12月15日 (金) 14:21時点における最新版

(編集中) (編集完了)

1952(昭和27)年度

できごと 詳細・引用・寄稿
4月XX日

10月26日
10月28~29日
11月 1日
11月17日
  
11月27~28日


3月 6日

入学式 高7回生(男子XXX、女子XX、計XXX名)

運動会
学芸会・展覧会
塩野入・野々山両先生玉川学園視察
毎週水・土を除く毎日午後1時より全校生徒によるラジオ体操開始
ア・テスト


卒業式 高5回生(男子313、女子82、計395名)

「運動会雑感」小山台新聞13号より
 昨年に比し、今年はレベルが下がるだろうとの前評判であったが、案に相違して昨年に倍する成績を収めたのは、賞賛されてしかるべきであろう。各面から見て昨年より格段の進歩が見られ、応援戦などもバックに巨大な装置などを使ったのは昨年は白組のみであったが、今年は四組とも相当の費用をかけ黄色が特大の蝶を作れば、白組も負けじと白亜の巨城をつくるなど、それぞれ意匠をこらして気をはき、白組のごときは前評判で地理的なハンデに見舞われ、ぜんぜん望みがないとまで言われていたが、見事にハンデを有利に導いて、一等を取ったのは賞賛されてよい。

 また仮装行列にも格段の進歩が見られ、優勝した白組の仮装など、着想が良く群を抜いていた。
 競技種目では、新形式のパン食い、さて誰でしょうなど相当観衆の哄笑を買ったようだ。
 終了後行われたファイヤー・ストームは昭和22年以来、初めて正式の許可が降り、事前に千円の薪の購入等をめぐって相当紛糾もあったようだが、ともかく井沢先生等の監督下に盛大に挙行され、久し振りで青春を謳歌し、三年生にとっては内容的には、意余って力及ばずの感が強かったかもしれぬが、申し分のない一日を送ったことであろう。(秋麗太郎)

「写真特集 運動会」小山台新聞13号より
 文化祭の劈頭を飾った運動会は10月26日開催され、トラックにフィールドに数々の熱戦を展開し、応援戦、仮装行列等昨年以上の豪華版であった。総合では青組が二連覇の黄組を破り、小山台以来初の優勝を遂げた。
 【写真説明】右上から 白組仮装「原爆の子」、好評を得た女子体操ダンス、黄組仮装「現代人」、赤組仮装「キリスト昇天」、初お目見えの綱引き

高4回卒業生が校旗を寄贈
 1952(昭和27)年第4回卒業生の卒業記念品として作成寄贈された。紫の絹地に寒菊の校章を金糸で刺繍した立派なもので、入学式、卒業式のときに掲げられ、また運動会の際に全生徒・職員・観衆の注視のうちに行なわれる校旗入・退場式は、会の意気と真剣さをあらわす小山台の象徴となっている。
(「50周年記念誌」P27)


世相

5月1日 血のメーデー事件
2月1日 NHKテレビ放送開始
3月5日 スターリンソ連首相没

流行語ーワンマン・ヤンキー・ゴーホーム
流行歌ー山のけむり・テネシーワルツ



教職員[1]

職名 教科目 氏 名 担任 校務分掌 班活顧問 就 任 PTA・菊桜会
校長 岩本 實次郎 1923/04/12
教諭 国語 舞田 正達 教務部主任・国語科主任 弁論、籠球 1939/06/30
坂井 寿夫 3D バドミントン 1941/03/31
落合 光禎 一年学年係 新聞 1945/09/30
松永 正修 1E 文学 1948/06/30
鵜川 昇 3F 文学 1949/10/30
青木木菟哉 1D 映画 1950/03/31
社会 日下部寅次郎 3C 社会科主任 社会研究 1939/03/31
森 貞成 卒業生係主任 考現 1944/03/31
宮田 時雄 二年学年係 時研 1947/06/15
平井 正士 2B 歴史研究 1947/06/30 PTA書記
塩野入菊三郎 1B 気象 1948/04/15
野々山正司 1F 心理研究 1949/03/31
三橋 力 2E 歴史研究 1949/05/15
数学 高輪 休郎 3A 第三学年主任・人事委員長 1925/03/15
崎谷 巖 校務主任 自動車 1926/03/31 PTA副会長
赤沼 実 1H 図書部主任 生活 1929/04/10
奥野 一雄 2G 数学科主任 天文 1946/03/31
不島 静夫 一年学年係 鉄道研究 1947/09/30
井沢 弘児 海洋・山岳 1950/03/31
竹内 庸雄 蹴球 1950/03/31
理科 矢野 佐 保健部主任・理科生物主任 生物 1942/03/31
大岩 誠 1G 第一学年主任・理科物化主任 化学 1944/07/04
永見 至 2H ラジオ 1944/09/20
園山 忠夫 3B 写真 1946/09/15
杉村 親一 1A 弁論 1947/03/03
八乙女盛典 一年学年係 物理 1949/04/30
鈴木 亨 3E 地質 1951/04/01
英語 大伴 峻 2A 校務副主任・第二学年主任 語学 1924/03/31
深掘 修 一年学年係 庭球 1943/08/31
大島 長次 2F 語学 1945/06/20
中村 禎 生徒部主任・英語科主任 生活 1946/04/10
勢山 秀子 生活 1949/05/31
堅川 吉英 映画 1950/03/31
保健 岐部 信之助 1924/02/11 PTA会計補佐
保健体育 榎木 繁男 1C 陸上競技 1949/03/31
薗頭 潔 3H 体育科主任 卓球 1950/03/31
小林 年子 排球 1952/04/01
図画 武田 良三 2C 芸能科主任 美術 1947/06/30
工作 田村 耕 三年学年係 水泳 1941/07/20
音楽 柳 力 一年学年係 音楽 1947/06/30
家庭 持塚 多喜 家庭科主任 生活 1951/02/28


講師・校医

職名 教科目 氏 名 担任 校務分掌 班活顧問 就 任 PTA・菊桜会
専任講師 英語 黒岩 善吉 3G 生活 1946/04/10
国語 栗原 源七 2D 教研協委員長 野球 1946/05/15



運動会

10月26日(日)
総合:青組優勝(小山台高校初)
応援戦:白組優勝
仮想行列:白組優勝


運動会の写真は「運動会:1952年(昭和27年)」をご覧ください。




学芸会

10月28日(火)、29日(水)




卒業生数

男子313、女子82、計395名




卒業アルバム

この年度の卒業生は、「高5回生」(男:313名、女:82名)となります。


卒業アルバムは「高5回生」のページに掲載されています。







小山台新聞

1952(昭和27)年度発行


「小山台新聞1952(昭和27)年4月5日発行」は以下のリンクからご覧になれます。 「小山台新聞1952(昭和27)年11月22日発行」は以下のリンクからご覧になれます。
「小山台新聞1952(昭和27)年4月5日発行」へのリンク 「小山台新聞1952(昭和27)年11月22日発行」へのリンク



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関連項目

 *← 1951年度 (昭和26年度)   *→ 1953年度 (昭和28年度)


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脚注

  1. 「昭和27年度教員組織」一覧表より転記



2023年12月15日:直近編集者:NMKtakaji
TimeStamp:20231215142127