「トーク:1956年度 (昭和31年度)」の版間の差分
(ページの作成:「'''できごと''' 4月 入学式 5月 女子制服決定 5月18日 1・2年遠足 6月19日 紫雲丸弔慰金募集 7月14日 海洋班ヨット大井競馬場附近で転覆、救助さる 7月21日~30日 夏期講習(1・2年) 7月21日~8月4日 夏期講習(3年) 9月19日 小山台新聞20号、黒板新聞1200号発刊 9月23日~24日 学校祭 10月2日 運動会 11月 裏門改修、木扉を鉄扉に改める…」) |
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できごと | |||
4月9日 入学式 | |||
4月14日 開校記念日を5月4日に変更 | |||
5月15日 遠足 | |||
7月16日~27日 夏期講習(1・2年) | |||
7月16日~8月4日 夏期講習(3年) | |||
9月5日 水泳大会(1・2年午前、3年午後) | |||
9月27日 台風接近のため臨時休校 | |||
9月29日~30日 学校祭 | |||
10月7日 運動会 | |||
11月20日 1・3年遠足 | |||
11月20日~24日 2年関西修学旅行 | |||
12月 表門改修、木扉を鉄扉に改める | |||
2月26日 なわとび大会 | |||
3月1日~2日 合同選抜学力検査のため休校 | |||
3月12日 高等学校第9回卒業式 | |||
'''世相''' | |||
5月9日 日本マナスル登山隊登頂に成功 | |||
10月19日 日ソ共同宣言調印(日ソ国交回復) | |||
12月12日 国連加盟なる | |||
流行語:「一億総白痴化」「書きますわよ」 | |||
流行歌:「わかれの一本杉」「哀愁列車」「ケセラセラ」 | |||
「在任時の思い出 小山台高生気質(かたぎ)」 | |||
戦前からの古い校舎が、見違えるくらい立派な校舎に改築され、ここで学ぶ今の生徒はしあわせだと思う。 | |||
昔の校舎は創立以来の建物で、きたなく、特に東側の校舎にはり出していた1階の生徒用便所は、雨が降ると水びたしになり、皆がひどく閉口していた。 | |||
しかしそんな校舎でも学んでいた生徒は、その気質が明るく自由にのびのびと、しかもファイトに満ちていた。 | |||
ある時、山岳部の生徒が、ロッククライミングの練習だといって、校舎の屋上へ縄をかけ、よじ登っている最中、一人(高校2回卒)が2階の高さから落ちた。幸い下に廃棄する下駄箱があったためバウンドして落ち、気を失ったものの強い打ち身だけですんだ。その生徒が翌日2時間目の授業から、杖をつき足をひきずりながら登校してきた。このファイト!! | |||
また一時、英・数の強化で能力別コースの授業を試みたことがあったが、これを聞きつけて他校の生徒が反対を叫んでおしかけてきた。 | |||
この時生徒会は、これは我々の学校の問題であるとして断固追い返した。この自主性!! | |||
これらの出来事は、八中以来の伝統と生徒の気質を端的に表すものと、今でも印象深い。 | |||
この気風は現在でも流れていると思うがいかが。 | |||
(60周年記念誌P157 坂井寿夫先生) | |||
(「山岳班の思い出」より学園生活部分を抜粋)掲載する場合は要編集 | |||
一生懸命に参加した毎週の体育の授業の2㎞計測、薗頭式小山台体操、1万メートル多摩川マラソン、班対抗のバレーボール試合等々 | |||
教室では物理の八乙女先生と、英語の大伴先生の授業が、毎回、それこそ胸おどらせて待つほど楽しかった | |||
(現在私は地学の教育と、南極大陸の地質研究に携わっていますが、高校当時の山岳班活動や授業は、高校卒業後今日まで私の人生に大きな影響を及ぼしている) | |||
(60周年記念誌P156 高9回吉田勝) |
2023年8月13日 (日) 13:58時点における最新版
できごと
4月9日 入学式
4月14日 開校記念日を5月4日に変更
5月15日 遠足
7月16日~27日 夏期講習(1・2年)
7月16日~8月4日 夏期講習(3年)
9月5日 水泳大会(1・2年午前、3年午後)
9月27日 台風接近のため臨時休校
9月29日~30日 学校祭
10月7日 運動会
11月20日 1・3年遠足
11月20日~24日 2年関西修学旅行
12月 表門改修、木扉を鉄扉に改める
2月26日 なわとび大会
3月1日~2日 合同選抜学力検査のため休校
3月12日 高等学校第9回卒業式
世相
5月9日 日本マナスル登山隊登頂に成功
10月19日 日ソ共同宣言調印(日ソ国交回復)
12月12日 国連加盟なる
流行語:「一億総白痴化」「書きますわよ」
流行歌:「わかれの一本杉」「哀愁列車」「ケセラセラ」
「在任時の思い出 小山台高生気質(かたぎ)」
戦前からの古い校舎が、見違えるくらい立派な校舎に改築され、ここで学ぶ今の生徒はしあわせだと思う。 昔の校舎は創立以来の建物で、きたなく、特に東側の校舎にはり出していた1階の生徒用便所は、雨が降ると水びたしになり、皆がひどく閉口していた。 しかしそんな校舎でも学んでいた生徒は、その気質が明るく自由にのびのびと、しかもファイトに満ちていた。
ある時、山岳部の生徒が、ロッククライミングの練習だといって、校舎の屋上へ縄をかけ、よじ登っている最中、一人(高校2回卒)が2階の高さから落ちた。幸い下に廃棄する下駄箱があったためバウンドして落ち、気を失ったものの強い打ち身だけですんだ。その生徒が翌日2時間目の授業から、杖をつき足をひきずりながら登校してきた。このファイト!!
また一時、英・数の強化で能力別コースの授業を試みたことがあったが、これを聞きつけて他校の生徒が反対を叫んでおしかけてきた。 この時生徒会は、これは我々の学校の問題であるとして断固追い返した。この自主性!!
これらの出来事は、八中以来の伝統と生徒の気質を端的に表すものと、今でも印象深い。 この気風は現在でも流れていると思うがいかが。
(60周年記念誌P157 坂井寿夫先生)
(「山岳班の思い出」より学園生活部分を抜粋)掲載する場合は要編集 一生懸命に参加した毎週の体育の授業の2㎞計測、薗頭式小山台体操、1万メートル多摩川マラソン、班対抗のバレーボール試合等々
教室では物理の八乙女先生と、英語の大伴先生の授業が、毎回、それこそ胸おどらせて待つほど楽しかった
(現在私は地学の教育と、南極大陸の地質研究に携わっていますが、高校当時の山岳班活動や授業は、高校卒業後今日まで私の人生に大きな影響を及ぼしている)
(60周年記念誌P156 高9回吉田勝)