「トーク:1962年度 (昭和37年度)」の版間の差分

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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(ページの作成:「 鹿沢寮完成   昭和37年7月、定時制の努力によって小山台高校山の家、鹿沢寮が完成した。敷地4,958㎡、木造2階建の建坪302㎡、収容人員は、男子50名女子20名の立派な建物である。寮は、上信越高原国立公園の旧鹿沢にあり、標高約1,500m。附近には、コマクサの咲く三方ヶ峯、湯の丸山、烏帽子岳といった2,000m級の山々が連なり、四季を通じて自然…」)
(相違点なし)

2023年8月12日 (土) 17:14時点における版



鹿沢寮完成  

昭和37年7月、定時制の努力によって小山台高校山の家、鹿沢寮が完成した。敷地4,958㎡、木造2階建の建坪302㎡、収容人員は、男子50名女子20名の立派な建物である。寮は、上信越高原国立公園の旧鹿沢にあり、標高約1,500m。附近には、コマクサの咲く三方ヶ峯、湯の丸山、烏帽子岳といった2,000m級の山々が連なり、四季を通じて自然に親しむことのできる景勝の地である。6月のツツジ、イワカガミ、7月のアヤメ、8月のヤナギランは特に美しい。   夏に林間学校、冬にはスキー教室が開かれ、また、生物班やブラスバンド班の合宿地でもあったが、近年は、がけ崩れや水利の便等により、ほとんど利用できなくなったのは大変残念なことである。 (『60周年記念誌』P169より)