「高12回 3G」の版間の差分
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我々クラスメートは2年と3年の2学年をG組で過ごしたが、部活に時間を割くクラスメートも多く、理科系、文科系で授業が分かれていたからクラスで集まるのは昼休みのホームルームの時だけだったのではないかと思う。ホームルームは和気あいあいとした感じだったことは覚えているが、多分他のクラスも同じようなものだったのではないだろうか? | |||
ただ2年生の3学期に開催された校内クラス対抗駅伝大会には2チームで参加し、1チームは大会新記録で優勝した。また3年の秋の運動会はG組のクラスメートが応援団長で、G組男子が中心になって下級生を導き見事にG組とH組の黄色組が優勝した。 | |||
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2022年11月13日 (日) 23:30時点における版
2G集合写真
- 以下の写真は、高12回 板倉海彦 様より提供いただきました。
- クリックすると詳細表示されます。ダウンロードも可能です。
- 1958(昭和33)年 4月 2G集合写真 担任 永見 至先生
- クリックすると詳細表示されます。ダウンロードも可能です。
- 1958(昭和33)年 遠足 香取市香取神社 2G集合写真 担任 永見 至雄先生
卒業から62年、毎年楽しく集まるクラス会:板倉 海彦
2022年G組クラス会 2022年10月16日(日)、毎年恒例のG組クラス会が開かれ15人のクラスメートが出席、3時間の宴を楽しんだ。今年度中に全員が81歳になるがまだまだ出席者は元気、毎年来ているのに会場の場所が分からなくなって遅刻したメンバーもいたが、多分全員無事に帰宅してくれたのだろうと思う。 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。
クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。 |
そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きんでた進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。
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2022年G組クラス会 我々クラスメートは2年と3年の2学年をG組で過ごしたが、部活に時間を割くクラスメートも多く、理科系、文科系で授業が分かれていたからクラスで集まるのは昼休みのホームルームの時だけだったのではないかと思う。ホームルームは和気あいあいとした感じだったことは覚えているが、多分他のクラスも同じようなものだったのではないだろうか? ただ2年生の3学期に開催された校内クラス対抗駅伝大会には2チームで参加し、1チームは大会新記録で優勝した。また3年の秋の運動会はG組のクラスメートが応援団長で、G組男子が中心になって下級生を導き見事にG組とH組の黄色組が優勝した。
受験勉強中でも学校の行事などでは皆が協力する団結の強いクラスだったのかもしれないし、このことは楽しかった良い思い出として皆の心に残っている。 クラス会幹事グループ創設
高クラス会を開くとなると幹事を決めて様々なアレンジをするのが普通だろうが、当然我々のクラス会もそのような体制で開催してきた。
しかし75歳を超えたころから、幹事が急に病に倒れたりするとこのクラス会が途切れるリスクがあるという話になり、幹事を複数にしてリスクヘッジをしようという事になった。
その結果8人で幹事グループを編成し夫々が会計担当、会の進行担当、名簿や書類担当、連絡担当、会場との折衝担当、会の挨拶担当など適当に分業している。また関西居住のクラスメートには母校が再び甲子園に出場の際の大阪での臨時クラス会を開く時の担当をお願いしてある。
実は2014年のセンバツ高校野球に小山台高校が初出場した時には、我々のクラスメートが10人も大阪に駆け付けた。そして甲子園で応援の後大阪のホテルで臨時クラス会を開いた。多分50年以上前に卒業した年代で1クラスから10人も甲子園に応援に行ったのはそう多くはないはずだ。 |
そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きんでた進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。
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2022年G組クラス会 2022年10月16日(日)、毎年恒例のG組クラス会が開かれ15人のクラスメートが出席、3時間の宴を楽しんだ。今年度中に全員が81歳になるがまだまだ出席者は元気、毎年来ているのに会場の場所が分からなくなって遅刻したメンバーもいたが、多分全員無事に帰宅してくれたのだろうと思う。 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。
クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。 |
そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きんでた進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。
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2022年G組クラス会 2022年10月16日(日)、毎年恒例のG組クラス会が開かれ15人のクラスメートが出席、3時間の宴を楽しんだ。今年度中に全員が81歳になるがまだまだ出席者は元気、毎年来ているのに会場の場所が分からなくなって遅刻したメンバーもいたが、多分全員無事に帰宅してくれたのだろうと思う。 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。
クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。 |
そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きんでた進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。
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卒業アルバムより
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脚注:
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2022年11月13日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20221113233035