「高12回 3G」の版間の差分
Adminkoyama100 (トーク | 投稿記録) |
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小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。 | 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。 | ||
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ファイル:高12回_板倉さん送付写真_006p.jpg|<div style="text-align:center; >修学旅行で友人と。本人右側</div> | ファイル:高12回_板倉さん送付写真_006p.jpg|<div style="text-align:center; >修学旅行で友人と。本人右側</div> | ||
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クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。<br> | クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。<br> | ||
そして2000年代になってからは会場と日程を固定したことで毎年確実に開くこととなった。また担当の永見至先生がご長寿で80歳代になっても毎年出席して下さった事もクラス会を毎年開こうというクラスメートの気持ちに繋がったように思う。 | そして2000年代になってからは会場と日程を固定したことで毎年確実に開くこととなった。また担当の永見至先生がご長寿で80歳代になっても毎年出席して下さった事もクラス会を毎年開こうというクラスメートの気持ちに繋がったように思う。 |
2022年11月13日 (日) 23:11時点における版
2G集合写真
- 以下の写真は、高12回 板倉海彦 様より提供いただきました。
- クリックすると詳細表示されます。ダウンロードも可能です。
- 1958(昭和33)年 4月 2G集合写真 担任 永見 至先生
- クリックすると詳細表示されます。ダウンロードも可能です。
- 1958(昭和33)年 遠足 香取市香取神社 2G集合写真 担任 永見 至雄先生
卒業から62年、毎年楽しく集まるクラス会:板倉 海彦
2022年G組クラス会 2022年10月16日(日)、毎年恒例のG組クラス会が開かれ15人のクラスメートが出席、3時間の宴を楽しんだ。今年度中に全員が81歳になるがまだまだ出席者は元気、毎年来ているのに会場の場所が分からなくなって遅刻したメンバーもいたが、多分全員無事に帰宅してくれたのだろうと思う。 小山台高校卒業後の大学生時代、その後の社会人時代はそれぞれ進む道も違ったし、多忙な仕事人間として過ごした世代だからそんなに頻繁にクラス会を開催したわけでは無かったが、少しずつゆとりの出来てきた1990年代位から、つまり50歳を超える頃から毎年のようにクラス会を開くようになった。
クラスメートの一人が結構熱心に記録を残していてくれたが、それでも空白があり、これまで何回やったのかなどは到底分からない。 このようにしてクラス会を続けていると面白いもので、最初は高校時代の思い出を語る会という感じが強かったが、メンバー同士が年を取ってからの新たな交流が重なって来ると新しい人間関係が生まれ年々より楽しく、より盛り上がる会になってきたように感じる。 そして最近は「皆で80歳まで生きて来たのだ」という連帯感や誇りのようなものが生まれて来たように思う。もちろんこの年齢だから物故者もいるし、連絡がどうしても取れないクラスメートもいるが、クラス50人の内、物故者と連絡の取れない者が概ね4割、連絡はとれる者6割、そしてクラス会に賛同し参加可能な境遇にある者が4割である。 近年の会では多くて18人~20人の出席であるが、さすがに新型コロナ感染症が蔓延した2020年は12人、21年は14人、22年は15人であった。他を聞いてみるとコロナ感染の時期に不要不急のクラス会をやるなんてとんでもない!と言う意見が強かったようだが、我々のクラス会は日程を調整するなどはしたものの、しっかり会場も抑えて一度も休まなかった。我々にとってのクラス会は不要不急どころか、この時期に必要な集まりだと多くのクラスメートが意識していたからだろう。 |
在学当時の小山台高校 我々のクラス、小山台高校12期生は1957(昭和32)年に入学、1960年までの3年間の武蔵小山での学園生活を送った。この時期の小山台高校の位置づけを思い出してみると、近年の大学の付属校、中高一貫教育校、多くの私立受験校などが受験の主役になっている時代と異なり、公立高校(東京では都立高校)が圧倒的に受験の中心だった。 そんな中で小山台高校は一応有名受験校の一角ではあったが同じ学区の日比谷高校が抜きんでた進学校であったのに対し、東京工大への進学者が全国1位であったが、他の国公立大や私立大への進学者も多く、生徒が進みたい道が多様だったのではないだろうか。また受験の事が中心で勉強ばかりしていた生徒は少数で、多くがスポーツの部活に熱中するなど結構高校生活を楽しんでいたようにも思う。
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卒業アルバムより
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- 【担当者メールアドレス】wiki_admin@koyamadai100.jp
脚注:
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2022年11月13日:直近編集者:Adminkoyama100
TimeStamp:20221113231106