矢野 佐

提供:八中・小山台デジタルアーカイブ
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矢野 佐 先生 (高6回卒業アルバム)

矢野 佐(やの たすく、1905年XX月XX日 - 1978年XX月XX日)は、日本の生物学者、教育者。府立第八中学校 生物教諭。「原色植物検索図鑑」他、植物関連書籍の著作多数あり。

本校歴

1942(昭和17)年 3月31日 府立第八中学校生物教諭として赴任
1942(昭和17)年 7月 都制施行により、東京都立第八中学校と改称
1950(昭和25)年 1月28日 校名を東京都立小山台高等学校と改称
1968(昭和43)年 3月31日 都立小山台高校教諭を退任



記事

40周年記念誌_P72_矢野佐_ごろ寝の習慣
 「ごろ寝の習慣」
              矢野 佐
 私が本校に赴任したのは昭和17年4月で、太平洋戦争が既にはじまっていた。東京はあぶないから、山梨に居ろといわれるのを振り切って出て来て最後の空襲で丸焼けになった。
 赴任して間もないころ、ある日突然校長室に呼ばれ「君、顕微鏡買ったよ。これで授業し給え」と当時の金で270円もする顕微鏡を24台もそろえて出された。当時としては、府立中学一だったであろう。毎日よく使ったものだった。
 戦争がはげしくなり、生徒は工場へ動員され、花壇や運動場は菜園と化し、職員の研修の時間には、会議室で食用野草の見分け方と料理法の話をさせられたこともあった。
 学校の警備の当直の晩は、実験台の上に靴もゲートルもそのままでごろ寝した。この習慣がついたのか、戦後18年になるが忙しいん時にはネクタイもズボンもとらずにごろ寝をすることが、2日も3日も続くことがある。
 私が生徒諸君に望みたいことは、平凡なことがあるがよく勉強せよということである。今の諸君もよく努力するが、昔の八中生は実によく勉強した。
 この頃、世の中が興味本位になってきたせいか、世の多くの青少年の中には、勉強への真剣さを忘れているような者が多く見受けられるが、小山台生徒諸君はそうした世風に流されずに、真剣な学習をしてもらいたい。真面目な学習生活をしてこそ、昔の伝統の中に生きる魅力ある小山台生徒となれよう。
  (本校生物科教諭)




関連項目

着任:1942年 3月31日
退任:1968年 3月31日



関連事項

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脚注: ・

2023年12月23日:直近編集者:SGyasushi
TimeStamp:20231223175325